2009/05/27

倉敷・牛窓・神戸・京都

 先週、倉敷の古本屋の蟲文庫で、友人のインチキ手まわしオルガンミュージシャンのオグラさんのライブを見るため岡山へ。

 ライブ前日、インターネットで三千円ちょっとで大浴場とサウナ、朝・夕食付の岡山市内のホテルを見つけ、そこに宿泊。次の日、万歩書店の東岡山店に行ったあと、倉敷に向かう途中、大雨が降ってきて、そのまま電車に乗って、総社でうどんを食う。

 総社から倉敷にもどると、小雨になっていた。美観地区をちょこっと観光して、ジャズ喫茶で休憩し、蟲文庫に行く。一年以上前から、ずっと実現させたいとおもっていた念願のオグラさんのライブである。といっても、おもっていただけで、わたしは何もしていない。これまでわたしが見たライブの中でも、屈指といえるくらいの熱演で、詩がからだに響いてきて、ぞくぞくしっぱなしだった。

 浅生ハルミンさんの猫ストーカーの本に触発されてつくったという曲、二度目のアンコールのときに歌った「詩人誕生」をはじめ、選曲もすばらしかった。オグラさんのライブで、コールアンドレスポンス(ちょっと照れくさかったのか、笑いに走っていたけど)があったのは、ほんとうに珍しい。

 ライブの写真を撮っていたカメラマンの藤井豊さんに、カブトガニ博物館に勤務する友人(藤井さんの幼なじみ)を紹介してもらう。十年くらい前に藤井さんは、わたしの部屋のすぐ近所に住んでいて、しょっちゅう遊びにきていた。そのころから、よくカブトガニ博物館の友人の話を聞いていて、ずっと会いたいとおもっていたのだ。

 山に行ってサメの化石を発掘することが趣味らしく、ほとんど毎週のように、六、七年通いつめて、はじめて見つけたときには雄叫びを上げたそうだ。

 ライブのあと、Uさんというハンサムな青年も紹介される。こんど岡山にきたときは万歩書店をいろいろ案内してくれるという。よろしくおねがいします。社交辞令ではないことを祈りたい。

 ライブのあと、蟲文庫の田中家に扉野良人さんといっしょに泊めてもらい、翌日、藤井さんの車で“日本のエーゲ海”といわれる瀬戸内海の牛窓に連れていってもらう。それから神戸の海文堂書店に行き、みずのわ出版をまわる。三ノ宮の駅前で、若者がマスクをバラで売っていた。北村さんも働いていた。みずのわ出版で、扉野さんが仕事をしているあいだ、藤井さんと元町のガード下を散歩する。そのあと、電話がかかってきて、みずのわに行くと、さっき牛窓で買ったばかりの千寿のにごり酒が一本空いている。まったく仕事にならなかったようだ。

 藤井さんには神戸まで送ってもらう予定だったのだが、ここまできたら、いっしょに京都まで行こうということなり、扉野宅にお世話になる。翌日、仕事に出かけた扉野さんを見送り、四条から出町柳まで藤井さんと散歩し、恵文社一乗寺店とガケ書房を案内する。

  ガケ書房で来月オープン予定の山本善行さんの古本屋の場所を教えてもらい、見に行くと、ちょうど店の前に山本さんがいた。山本さんの店は、ガケ書房から歩いて五分くらいの今出川通り沿いにある。京都に遊びに行く楽しみが増えた。

 夕方から東京で仕事があったので、金券ショップで新幹線の回数券を買おうとしたら、店員さんに「今日、おつかいになるのでしたら」と期限ギリギリの東京・京都間の乗車券・指定席券(「見合せ」と印字されているもの)を五千円で売ってもらった。こんなこともあるんですね。もちろん買いました。

              *

 ええっと、それから。旅行の一週間前にわめぞのフリーペーパーの創刊準備号で仙台を特集するというので原稿を書いた。すると、倉敷行の直前に武藤さんから、ほぼ全面リライトしてほしいという趣旨のメールがきた。武藤さんのいうとおりに一から書き直したところで、たいして変わらないというか、自分が作りたいとおもってはじめたことである以上、何でもいいから武藤さん自身の文章を載せたほうが格段に面白いものになるとおもったので「原稿はボツにしていいから、今すぐ仙台に行って自分で書け」というような返事を送った。

 そのメールが武藤さんをかなりへこませしまったようで、わめぞ関係者にも多大な心配をかけてしまったみたいで、申し訳なくおもっているのだが、結果はいい方向に出たのではないかと……。

 というわけで、今週末、五月三十日(土)、三十一日(日)の「第十四回 古書往来座 外市 〜軒下の古本・雑貨縁日〜」(今回のゲストはBook! Book! SENDAI! 詳細は、http://d.hatena.ne.jp/wamezo/にて)で、「武藤良子、渾身の仙台ルポ」掲載のフリーペーパーが配付される予定です。こうご期待!

2009/05/21

大人の知恵

 一年二年と月日が流れるうちに、自分の書いた文章や思考の欠陥が、大きく浮び上がってくる。書かなければ、そのことに気づかない。そのときそのときはわかった気になっていたことも、時間とともにどんどん更新されてゆき、何年か経つとすっかりちがう考えになっていることがある。

 たとえば、二十代のわたしは、旅行のさい、お金をかけずに時間をかけたほうがいいとおもっていた。目的地に普通列車で行けば、途中の景色も楽しめるし、その間、本も読める。ただし、移動による疲れで、目的地に着いてから、十分に活動できないこともよくあった。新幹線で行けば、お金はかかるし、旅情のようなものは味わえないが、体力が温存できるし、目的地に着いてからの時間も長くとることができる。

 お金と時間と体力その他を計算して、よりよい手段はなにかと考え、そのときどきの最善を選んだほうがいい。そんな当たり前のことを今さらとおもう人もいるかもしれないが、四十歳を前にわたしはようやくそのことに気づいたのだ。何年かしたら、また考えが変わるかもしれない。

 住まいについても、いろいろ優先事項が変わってきた。二十代のころはどうせ仕事場に泊って家に帰らないのだから、なるべく安い部屋がいいと考えていた。風呂なしでもいいから、本をたくさん置ける広い部屋がいいと考えていた時期もある。しかし今は自分の希望と同居人の希望の折り合いをつける必要がある。そうしなければ、生活が成り立たない。

 そのうちまず折り合いのつくような条件を考えるようになった。だんだん、その条件に合わせて、自分の考えや行動を変えることに慣れた。むしろそのほうが楽かもしれないとさえおもえるようになった。

 結論を保留することはあっても思考を停止させない。常に変化を前提にして考える。

 入念に計画して準備が整うまで動かない、行き当たりばったりでもいいから動く、どちらがいいのかという問題がある。

 わたしは慎重かつ小心ゆえ、行き当たりばったりで行動することが得意ではない。何も考えずに行動しているようにおもえる友人を見ていると、いつもハラハラする。しかし、これも長い目でみると、計画派と行動派、あるいはそのバランスをとる派のどれがいいのか、その人の向き不向きもあるし、ケースバイケースだ。

 苦手なことは人にまかせたり、逆に相手の苦手なことを引き受けたり、何でもかんでも自分でやろうとしないことが、大人の知恵だろう。ただ、一度、いや、二度か三度か、何でもかんでも自分でやってみるという経験なしには、なかなか大人の知恵は身につかない。はじめから分業に徹すると、自分の中に眠る可能性、ほんとうの得手不得手に気づかずに一生終えてしまうこともある。もちろん幸せならそれでいい。

 だからこれから何かしたいと考えている若い人には「とりあえず、やってみれば?」ということにしている。失敗は失敗で次の糧にすればいい。自分のことになると二の足を踏むことが多いが、そうおもう。

2009/05/18

初台でyumbo

 先週はずっと高円寺ひきこもり状態。うどん、焼きそば、ラーメン、スパゲティと麺類ばかり作っていることに気づく。
 家飲み用(寝酒用)のウイスキーがなくなり、OKストアに角を買いにいく途中、気がかわって、たまにはちがう酒を買ってみようと、駅前の酒屋でエズラブルックス(アルコール分四十五度)を購入した。
 円高のせいか、洋酒、輸入食材が安くなっている気がする。

 日曜日、初台の東京オペラシティの中にある近江楽堂で、yumboの“甘い魂”発売記念のリリースパーティに行く。同じくyumboファンの浅生ハルミンさんといっしょに招待してもらったのだ。
 京王新線に乗るのは何年ぶりだろう。新宿駅でちょっと迷いそうになる。

 ライブは、事前にリクエストをしていて、ベストテン形式で曲を演奏。十四曲+一票しかはいらなかった曲のメドレー、アンコール二曲。ゲストミュージシャンも何人かいて、ステージは十人くらいの編成になることもあり、しかも曲ごとに楽器が変わり、どこからどんな音が出てくるのか予想がつかない。
 何度かライブを見て、CDも聞いているけど、見るたびに曲の構成がすこしずつちがっていて、変幻自在というか、ものすごく緻密に計算されたとおもわれるのに野放しでやっているようにかんじられる演奏に、翻弄されっぱなしだった。

 帰りの電車、マスクしている人がいっぱいいた。

2009/05/11

高円寺界わい

 先週末、音羽館に行ったら、『長谷川七郎詩集』(皓星社、一九九七年刊)を見かけた。

 長谷川七郎は、高円寺に住んでいたこともある詩人で、アナキスト詩人の植村諦、岡本潤、また菅原克己とも交遊があった。
 とはいえ、わたしはその名前を知るだけで、詩を読んだことがなかった。なんとなく、高円寺の詩があるんじゃないかと頁をめくっていたら「高円寺界わい」と題した詩があった。

  看板は喫茶店だが
  酒も飲ませたし
  なにより女がごろごろしていた
  ロートレアモンを気どったへっぽこ詩人が
  目のまわりに隈のできた女を相手に
  《毒素》とがなって酒を呷っている
  潜伏中の共産党員が
  度の強い近眼をしょぼつかせて
  出稼ぎ女をねちこく口説いている
  野獣派の絵描きくずれが
  酒場づとめの女房から
  飲み代をせびってくる相棒を待って
  いらついている
  洋服屋のひものうれない文士が
  隅の方でとどいたばかりの《ヴォーグ》や
  《アーバス バザー》を
  女のためにせっせと訳している
  絵描き 音楽家 文士 新聞記者 その他正体不明
  見まわしてまともなやつはいない
  いつもきまった顔ぶれで
  がやがや夜が更けてゆく

 この詩がおさめられた詩集『演歌』は一九八七年、長谷川七郎、七十四歳のときに刊行されている。
 年譜によれば、長谷川七郎が高円寺の喫茶店に下宿していたのは一九三〇年代なのだが、そのころ中央線沿線にいたかもしれない「洋服屋のひものうれない文士」のことが気になる。

 今はそれを調べる時間がない。

2009/05/09

無理は承知

 東京に戻ってから、中野高円寺阿佐ケ谷を散歩する以外、ほとんど家でごろごろしていた。体力と気力の回復に専念。脳細胞が減った気がする。

 休日にやりたいこと掃除と本のパラフォンがけというのはどういうことなのか。欲望とか意欲とかそういうのがないといかんとおもう。気がつくと、古本屋通い、本を読むことが惰性になってしまう。

 過去にも新しいことに興味がもてなくなる時期があった。そういうとき、どうしていたかというと将棋とか音楽とか漫画とかに走っていた。でも、それもすぐマンネリ化する。

 新しいことをはじめたいなとおもうと、人があんまり興味をもたないような地味なことだったり、すっとんきょうなことだったり、なんとなく、すきま産業みたいなことになってしまう。なんかちがうぞとひっかかる。マイナーなことはもういいや。夜中、ふとそんなことをおもう。年に何回かそんな気持になるのだが、結局、自分は地味なものが好きなことを再確認する。

 十年二十年といい仕事を続けている同業者をいろいろ見ていておもうのは、サービス精神が旺盛な人が多いということだ。自分のこと以外にも、時間、金、労力を払っている。いろいろな損を引き受けている。自分のやりたいことをやろうとおもったら、恩や義理の積み立てがあるのとないのとではずいぶんちがう。遠回りが近道というか、なんというか、経験を積むと、いろいろ処理速度が上がる。処理速度が上がると、これまで無理だったことが、無理ではなくなる。とはいえ、無理しすぎると潰れてしまう。

 そういうことも経験を積まないとわからない。年に何回か、仕事量を増やして、自分の限界に挑戦してみようという気持になる。ちょっと忙しくなると仕事を断り、その後、まったく依頼されなくなって、気がつくと生活に困るということを繰り返してきた。若いころ、もうすこし無理していたらよかった。無理をすることによって身につく能力を軽視していた。

 仕事にとりかかるまでに時間がかかりすぎる。四十前にして、この問題に取り組むのはけっこうきつい。

2009/05/03

帰省して

 四月二十八日(火)から京都へ。二十九日(水)に出発するかどうか迷っていたのだけど、仕事も終わって、ぷらっとこだまのチケットがとれ、あとネット予約するとホテルが格安になることを知り、行ってしまえということになった。

 京都に着いて、ブックオフに行って、ラーメン食って、酒飲んで、寝た。

 翌日、徳正寺でパーティー。京都のミュージシャンが次々と登場する。オクノ修さん、かえるさんの歌を至近距離で堪能した。

 近鉄電車の中で読む本を買いにジュンク堂へ。『橋本治という考え方』(朝日新聞出版)を買う。前作よりもトーンダウンしている気がする。いつもより思考のうねりが少ない。疲れているかんじがする。感想は後日また。

 三重に帰省。父が仕事をやめたというか、自動車産業の大不況で年金生活になる。

 十八歳から六十八歳まで、途中、失業期間があったようだが(わたしが生まれたころ)、五十年も働き続けた。企業年金は五〇%くらいカットされるらしい。頼りにならないひとり息子の親は大変である。

 それから家の近所が様変わりしていた。家から歩いて数分のところにブックカフェがオープンし、リサイクルショップとインターネットカフェ、「古本ラッシュ」という大きな新古本屋もできていた。万代書店の系列店のようで、漫画、ゲーム、フィギュア、CD、DVD、古着、釣具から金、プラチナの買い取りまで、何でもありの店だった。

 巨大リサイクルショップが並ぶ通りを歩いていると、この先、新しいものを作らなくても、今あるものを再利用するだけでも、生きていけるのではないかとおもえてくる。  

 あと前からおかしいとおもっていたのだが、母は家を出て以降のわたしに関する情報を一切知りたくないということがわかった。今の自分の話をしようとすると、突然、まったく関係ない話(テレビの話とか地元の選挙の話とか)をまくしたて、何もしゃべらせまいとする。わざと、というより、本能でそうしているかんじがした。悪気はなく、ただ、理解できないものを拒絶しているにすぎない。

 長年の疑問が氷解したのはいいが、対処の仕様がない。両親の家に一泊し、午前中に名古屋に出る。リブロ名古屋店に寄ってから、それから上前津、鶴舞の古本街をまわった。

 いつもこのパターンだ。帰省のストレスで大量に古本を買ってしまうのも……。