2024/11/28

『鐵』

 土曜夕方、西部古書会館。今回も三冊縛り。『写真集相模原』(相模原市教育研究所、一九八二年)、『「モダン昭和」展』図録(NHKサービスセンター、一九八七年)、『鐵』文化特集「東京・鉄の文化地図」(川崎製鉄株式会社、一九八四年)。三冊七百円。『鐵』は、神吉拓郎、安田武、永六輔がエッセイを書いている。「文学の中の鉄と東京」という記事——尾崎一雄『芳兵衛物語』、上林曉『母ハルエ』などを取り上げている。滝田ゆう『懐かしのチンチン電車』も。執筆者の名前は不明だが、いい記事だった。読んでいると、中に「ごあいさつ」と題した黄緑の紙がはさまっていた。

《「鐵」誌は、当社の広報誌として昭和45年に創刊し、現在126号を数えております。(中略)今回、とくに鉄の文化的側面をより深く考えてみるために、ページを倍増し、別冊として特集号を編集いたしました》

 この別冊は六十頁ちょっと。巻末の「編集室通信」によると、制作の所用日数は約五ヶ月とのこと。藤森照信が企画段階から深く関わっていたようだ。

 木曜夕方四時すぎ、高円寺駅の総武線ホームの端(阿佐ケ谷寄り)から久しぶりに富士山が見えた。しばらくぼーっと眺めていたら、いつの間にかすぐ隣で小学生男子も富士山を見ていた。
 五十代以降、高円寺駅から電車に乗る日(中央線の快速には滅多に乗らない)も週二日くらいになったので富士山が見えると嬉しい。帰りはドコモタワーを見る。阿佐ケ谷寄りの八号車あたりの総武線ホームは、駅の南口の広場のイルミネーションとドコモタワー、都庁のライティングが見える。ドコモタワーは中野寄りの総武線ホームの端からも見えるが、八号車付近のほうがおすすめ。

 そろそろ中野区大和町の大和北公園の巨大なイチョウも見ごろか。先週末はまだ葉が緑だった。大和北公園からすこし北に行くと妙正寺川にたどりつく。夕方、天気のいい日に妙正寺川を鷺ノ宮方面に歩くのも楽しい。途中、マルエツ中野若宮店とツルハドラッグ中野若宮店がある。買物して家に帰る。

2024/11/21

貼るカイロ

 十九日、この秋はじめて貼るカイロを装着。寒暖差が激しかったので、神経痛と腰痛予防のために貼った。すっかり貼るカイロなしでは生きていけない体になっている。

 先週の西部古書会館。今回も本は三冊、あと伊勢鉄道開業記念(一九八七年三月)と開業一周年記念(一九八八年)の下敷(裏は時刻表)があったので買う。伊勢鉄道は第三セクターで、元は国鉄の伊勢線。本社は三重県鈴鹿市桜島町にある。わたしが郷里の鈴鹿市にいたのは一九八九年春まで。高校時代は近鉄で津新町まで通学していた。高校を卒業したのは一九八八年春で、そのあと名古屋の予備校に通っていたころ、何度か伊勢鉄道に乗った。わたしが上京した年、親も市内で引っ越した。伊勢鉄道だと乗り換えなしで名古屋に行ける。ただし近鉄のほうが本数が多く、駅も近いのでたまにしか乗らない。

 鈴鹿市関係の資料では『特別展 斎宮・国府・国分寺 伊勢のまつりと古代の役所』(斎宮歴史博物館 三重県埋蔵文化財センター、一九九六年)も買った。古代の伊勢国府は鈴鹿にあったといわれている。何年か前、安楽川沿いを散策中にその跡地らしき場所を彷徨った。伊勢の国府跡をはじめ、能褒野神社、加佐登神社、白鳥塚古墳などの史跡は江戸期の東海道からちょっと離れている。
 東海道と伊勢参宮街道が分岐する日永の追分から亀山にかけての古代の東海道は上記の史跡の近くを通っていたのではないか。

 五年前、五十歳になったとき、ここで一区切りという気持になった。知らない町を歩いたり、バスに乗ったり、そういう時間を増やしたほうがいいと考えた。本の読み方にしても、寄り道を多くしたい。

……なんてことを書いていたら、読みかけの本が行方不明になる。付箋を貼ったところまではおぼえているのだが、どこへ行ったやら。そのかわりといってはなんだが、数週間前から探していた『やなせたかしの世界』(公益財団法人やなせたかし記念 アンパンマンミュージアム財団、二〇一九年)が見つかる。なぜかわたしは白い背表紙だったとおもいこんでいた。黒だった。

 やなせたかしはインタービューやエッセイなどで、戦争と飢えのない世界を希求し、『アンパンマン』を創作したという話をくりかえし語っている。一九一九年生まれ。やなせたかしの弟は戦死している。

 世代を一括りにするのはむずかしいのだが、ある時期の多くの日本は、やなせたかしのように戦争は懲り懲りだ、ひもじいおもいをするのは嫌だという強い感情があった。焼跡世代の人たちも空襲と空腹にたいする怖れがあった。
 自分の同世代にそうした思想の幹となるような感情はあるのか。あったとしても千差万別のような気がする。

(追記)「戦争と飢えのない世界」を「戦争と飢えの世界」と書いていた。丸一日、気づかなかった。訂正した。

2024/11/14

雑記

 今月、五十五歳になる。『サザエさん』の波平は五十四歳という設定なので、彼より年上になる。昔なら定年である。思い返すと、十九歳で上京してから、人生の大半といっていいくらいの時間、本を探すこと、本を読むことに費やしてきた。三十数年、古本屋通いをしていると、何度となく低迷期も味わってきた。未知の本への渇望が薄れ、単行本で持っている本の文庫版を買うとかまたその逆とか、手持のものより状態のいい本(帯付など)に買い直すとか、そんなことをやって、新規開拓欲がわいてくるまでやりすごす。

 日曜、蔵書の整理を中断して散歩。中通りのミュージックストリートでいくつかバンドを見る。野外なのに音がよくて気持いい。夕方、塚本功さんが出演する店の前の路地を通ったのだが、満席で入れそうにない。そのまま散歩する。薬局で貼るカイロを買う。レジで店の人に「貼らないタイプですが、いいですか」と聞かれる。貼るほうに交換してもらう。

 ちょっと小雨。左の手のひらがすこし痺れが出て、さらにピリっと痛みが走ったので、のんびり過ごすことにした。手のひらに気休めの湿布を貼る。治まる。

 牛のさがりで牛丼作る。『些末事研究』の福田賢治さんが米を作っている。この米がうまい。高松に移住前から農業がしたいといっていたが、趣味の範囲かとおもっていた。年々、畑が広くなり、もはや農家である。

 終わりの見えない大掃除。街道から古典(これも街道絡みなのだが)に至り、部屋の動線を失う。図録は場所をとる。しかしなぜか買ったときの満足感が大きいのも図録なのだ。手元にあると嬉しいのだ。

 新聞や雑誌の切り抜き、自分の検索能力が衰えると何の役にも立たない。情けないけど、仕方がない。捨てようとおもって紙袋から出すと面白い(二十年くらい前のフリーター関連の記事など)。面白いから捨てられない。しかし収容スペースは限られている。

 押入に入れっぱなしだった不要なもの、壊れた家電などを処分しようと「杉並区 粗大ゴミ」と検索。以前、インターネットで申し込んだことがあるのだが、申し込みの画面から先に進まない。電話で申し込む(丁寧な対応)。リサイクルショップで激安で買ったタワー型の扇風機、処分費のほうが高い。そういうこともある。

2024/11/09

コタツメモ

 南口エトアール商店街、雪の結晶の電飾(星の形もある)。エトアール(エトワール)はフランス語で星の意味。花形スターみたいな意味もある。エトアール商店街、夏の提灯もいい。夜の散歩コース。ついでに西友で買物する。

 中通り商店街はミュージックストリート(土・日二日間)が開催中。散歩中に見る。茶処つきじでほうじ茶を買う。純情商店街の提灯もいい。

 九日(土)の昼、コタツ布団をセットする。電源を入れる。あたたか。ちなみに七日(木)の深夜、飲み屋に出かける前、長袖のヒートテックを着た。貼るカイロはまだつかっていないけど、冬が近づいている。

 手と足が冷えやすい(いわゆる末端冷え性)。手の指が冷えると原稿が書けない。三年前の十一月に神経痛になって以来、体の冷えには用心しまくっている。

 大病や大怪我をしたわけではないが、五十歳以降、身の処し方が安全第一主義になっている。散歩したり、電車やバスに乗ったり、本を読んだり、酒を飲んだり、これまで当たり前におもっていたことが、そうではないと知った。健康だからできるのだ。前は店に三、四時間居座って飲み続けてしまうことがよくあったが、今は閉店一時間前くらいに行き、さくっと帰る(深酒予防)。ウイスキーを飲んだ翌日、神経痛の手前の症状が出るようになり、ビール、ウォッカ、その他、いろいろ試したが、飲みすぎなければいいということがわかった。好きな酒が飲めるように体調を整える。よく歩き、よく寝る。体を冷やさない。あと自分の調子のいいときの体重より増えれば減らし、減れば増やす。

 尾崎一雄の「歩きたい」という小説が好きで、しょっちゅう読み返している。この小説は低迷の底を脱しかけている時期に書いたのではないか。そんな気がする。「冬眠居」の尾崎一雄もそうだが、わたしは寒がりの作家が好きになる傾向がある。古山高麗雄もそう。

 今年も冬を乗りきることが目標である。

2024/11/07

頭に入らない

 三日、朝から掃除。夕方、馬橋小学校盆おどり。ちょこっと顔を出す。クックロビン音頭。両手を前に出すふりしかおぼえていなかった。自分の記憶よりテンポも早かった。

 日本シリーズは横浜優勝。MVPは桑原将志選手。知り合いに横浜一筋のファンが何人かいるのだが、桑原選手の人気はすごい。おっさん野球ファンは体を張ったプレーをする選手に弱い。わたしも弱い。いっぽう自分の生き方に関しては、無理せずケガせず疲れをためず静かに暮らしたい。若いころはこんなに平穏かつ安楽を望む人間になるとはおもわなかった。

 アメリカ大統領選の前に『最後のコラム 鮎川信夫遺稿週集103篇』(文藝春秋、一九八七年)などを再読。『最後のコラム』の「アメリカ連邦議員選挙」(一九八六年)にはこんな記述がある。

《同じ民主国でも、米国の選挙はわかりにくい。すべての点で日本の選挙とはあまりにもかけ離れているから、一度や二度聞いたくらいでは、とても頭に入らない》

《民主党はリベラル、共和党は保守、と考えがちだが、そうした固定観念でみると、しばしば間違いを犯す》

 このコラムが書かれたころのアメリカ大統領はロナルド・レーガンだが、鮎川信夫は「レーガンでさえ、リベラルではないかと疑われるところは、いくらでもある」と述べている。レーガンはハリウッドの労組の委員長をつとめていたこともある。アメリカの共和党の政治家はリベラルからの転向者がけっこういる。

 わたしのアメリカの政治に関する情報の更新は滞っている。日本でアメリカのコラムニストの翻訳が盛んだったのは一九九〇年代半ばまで……。

 ここまで書いて仕事に出かける。外出先でドナルド・トランプの勝利宣言のニュースを見る。結果がわかるのは翌日の朝か昼くらいかなとおもっていた。選挙後、(わたしが見たニュースでは)共和党支持者だけど、トランプに投票しなかった人の意見は取り上げていたが、民主党支持者でカマラ・ハリスに投票しなかった人の意見は報じなかった。そこを取材して掘り下げていれば面白いとおもうのだが。トランプ支持者を「教育水準が低い」「高卒」と指摘する人もいるが、彼らのまわり(親兄弟親戚知人)には中卒や高卒の人がいないのだろうか。いつになったら、こうした発言が有権者の半数以上を占める人たちの強い反感を買っていることに気づくのか。

 そんなことをあれこれ考えながら掃除を続ける。

2024/11/03

神田古本まつり

 ちょっと疲れているときに見る夢なのだが、巨大な駅(名古屋駅っぽい)の構内の地下通路が坂(幅が広い)になっていて、その傾斜がきつくて足が滑って転びそうになる。夢の中で「もっと滑り止めの効いた靴を履いてくればよかった」とおもう。一ヶ月くらい前にも見ている。

 木曜、ワールドシリーズの決勝戦を観て、中野に寄ってから神保町。神田古本まつりのち小諸そば(鳥からうどん)。神田古本まつりは岩波ブックセンターの横の路地が好きなのだが、今年は工事中で半分くらいになっていた。
 今回も「三冊縛り」。『古地図セレクション 神戸市博物館』(神戸市スポーツ教育公社、一九九四年)など。一冊ワンコイン以下の「値段縛り」はよくやるのだが、冊数で縛る買い方もけっこう楽しい。

『古地図セレクション 神戸市博物館』は歌川貞秀の「東海道五十三駅勝景 初編」(一八六〇年)を収録。貞秀の鳥瞰図は『東海道パノラマ地図』の清水吉康と線の感じが似ている。清水吉康の鳥瞰図は、山の描き方などが浮世絵っぽいところある。あと大坂の橘保春の二枚一組の「高野山細見絵図」(一八一三年)は色合と線がかっこいい。木版刷り。橘保春の絵図も大正昭和期の鳥瞰図絵師に影響を与えているようにおもう。絵地図の世界も継承と発展の歴史あり。

「文化遺産オンライン」で橘保春の鳥瞰図を見ることができる。でも紙(図録)で持っていたい。

 街道の研究をはじめたおかげで好きな画家が増えた。一番好きになったのは池田英泉(渓斎英泉)。お墓が高円寺南の福寿院にある。『木曾路の名所・図会 田中コレクション 「木曽海道六拾九次之内」を中心に』(中山道広重美術館、二〇〇一年)はわたしのお気に入りの図録で、この中にも英泉の絵がけっこうある。英泉の街道の絵は、風景だけでなく、宿場で働いている人(遊んでいる人)が細々と描かれているところがいい。人々の表情も面白い。

『木曾路の名所・図会 田中コレクション』所収の作品で、昭和の絵(一九三〇年代)だけど、名取春仙(一八八六〜一九六〇)の版画もよかった。山梨県中巨摩郡(現・南アルプス市)生まれ。春仙、漱石の挿絵(『三四郎』など)が有名だけど、中山道の絵(版画)も描いている。春仙の「恵那八勝」は図録ではなく、直に見てみたい。

 夜、神保町から水道橋駅まで歩き、JR総武線で高円寺に帰る。高円寺駅の総武線の八号車あたりのホーム(阿佐ケ谷駅寄り)で降りると、駅南口のビルの隙間からライトアップしたドコモタワー(NTTドコモ代々木ビル)が見える。昼もよく見える。

 高円寺駅の総武線のホームの阿佐ケ谷駅寄りは、わたしのドコモタワーと(天候に左右されるが)富士山の観測ポイントである。中野か東中野あたりに高層マンションが建ったら、ドコモタワーは見えなくなりそう。

 ドコモタワーといえば、荻窪の古書ワルツの前の道(青梅街道に向かう道)からも見える。古書ワルツの前の道はすこし斜めになっていて、その延長線上にドコモタワーがあり、高円寺界隈の路上よりもよく見える。道の角度、重要である。