2024/02/27

しんとく問答

 今年のはじめあたり、西部古書会館で上方史蹟散策の会編『東高野街道』(上下巻、向陽書房、一九九〇年、九一年)を買って積ん読していた。向陽書房は関西の出版社で九〇年代に近畿地方の街道本を何冊か刊行している(今、集めている)。

『東高野街道』の書名——どこかで見た記憶があり、なんとなく重複買いしたかなと気になっていたのだが、後藤明生の『しんとく問答』(講談社、一九九五年)に何度か出てくる本だということを思い出した。

《私の荷物はショルダー一個である。中身はカロリーメイト、缶入りウーロン茶、地図帳(大阪府)、メモ帳、『東高野街道(上)』(編著・上方史蹟散策の会/平成二年九月/向陽書房)、「写ルンです」。「写ルンです」は普通サイズとパノラマの両方を持った。どちらもストロボ付きである。それに今回はエアーサロンパスを加えた。とつぜん起るかも知れない腓返りに備えてである》(「しんとく問答」)

 妙に細かい。

 ほぼ後藤明生とおもわれる作中の「私」は『東高野街道』の上巻を持って「俊徳丸鏡塚」を見に行く。『しんとく問答』の収録作は「単身赴任の初老の男が、大阪地図を片手にあちこち歩き回る話」(「贋俊徳道名所図会」)という設定の短篇集なのだが、表題「しんとく問答」は小説というより歴史紀行エッセイのような風味がある。
「私」は謡曲「弱法師」、説教節「信徳丸」などの舞台となった大阪の地を散策する。週三日俊徳道駅(JRおおさか東線、近鉄大阪線)の次の駅に停車する大学に通っている。おそらくその大学は近畿大学で、もより駅は近鉄の俊徳道駅の隣の長瀬駅である。一九八九年から後藤明生は近畿大学文芸学部で教えていて、九三年から同学部長になっている。

『しんとく問答』所収の「俊徳道」(『群像』一九九四年十月号)、「贋俊徳道名所図会」(『新潮』一九九五年一月号)、「しんとく問答」(一九九五年三月号)など、初出の時期から一九三二年四月生まれの後藤明生、六十二歳のころの作品である。「古典+街道」というテーマは今のわたしの関心事と重なる。

「初老」はもともと数え年四十二歳(満四十歳)の異称だったが、今の感覚だと還暦あたりを示すことが多い——と辞書の定義が変わってきている。

『しんとく問答』所収「十七枚の写真」は、大阪の中央区の宇野浩二文学碑、難波宮などの話で——講演用のノートみたいな作品。宇野浩二の文学碑は「中大江公園」にある。「清二郎 夢見る子」の一節が刻まれている。
 わたしは高円寺、野方、鷺ノ宮あたりを転々と暮らした古木鐵太郎(元『改造』編集者)への興味から、宇野浩二の自伝や随筆を読みたいとおもいつつ、バラで集めるか全集で買うかで迷っているうちに時間が過ぎてしまった。

2024/02/18

練馬駅のバス

 今週は西部古書会館の古書展のない週末(第三週は開催しないことが多い)。
 先週の西部の古書展では梅棹忠夫、多田道太郎編集『論集 日本文化』(energy特別号、エッソ・スタンダード石油株式会社広報部、一九七一年)や「エナジー対話」シリーズの大岡信、谷川俊太郎『詩の誕生』(第一号、一九七五年)、多田道太郎、安田武『関西 谷崎潤一郎にそって』(第十八号、一九八一年)など、エッソの広報部関係の本が大量に出ていたので数冊買った。まとめて売った人がいたのか。

 エッソ石油(現・ENEOS)のPR課は高田宏が長く編集者をつとめていたことでも知られる。

 土曜日、妙正寺川のでんでん橋、野方の商店街を通って練馬散歩。東武ストアでスガキヤのインスタント麺、プラザトキワで衣類を買う。昔は中央線沿線の高円寺の光和堂、阿佐ケ谷のヌマヤなど、近所に衣類、タオル類などを揃えている大きめの総合衣料の店があったが、今はない。

 練馬駅から関東バスで高円寺に帰る。練馬駅発の豊橋、三河田原行きの夜行バス(新宿・豊橋エクスプレスほの国号)があることを知る。
 練馬駅(二十三時五分)、中野駅(二十三時二十五分)、バスタ新宿(二十三時五十五分)を経て、愛知県内だと豊川駅(五時九分)なども通る。豊橋駅(五時四十分)、三河田原は六時二十分着。時期によって値段は変わるが、二月だと三千二百円(火・水曜)という日もある。金・土・日は四千七百円〜五千七百円。
 バスで豊川駅あたりまで行き、東海道を散策しつつ名鉄+近鉄で郷里の三重に帰省するルートはありかも。
 渥美半島の三河田原から伊良湖岬、それから船で鳥羽に渡り、鈴鹿に帰るルートも新幹線より、かなり安く行ける。
 中野駅も通るから、家から徒歩で深夜バスに乗れる。

 一九八九年二月に三重から上京したときは鈴鹿から池袋までの高速バス(西武のバス)に乗った。片道七千円くらいだった。 三十五年前か。その年の十月まで東武東上線の下赤塚駅周辺の寮(家賃千円)にいた。練馬駅からは下赤塚駅経由の成増駅行のバスもある。

 高円寺〜練馬〜下赤塚は南北にほぼ直線。前からバスを乗り継いで行ってみたいとおもいつつ、まだ実行していない。行きは高円寺から練馬駅まで歩いてバスで下赤塚駅、帰りは下赤塚駅から練馬駅まで歩いてバスで高円寺——という散歩がしたい。

2024/02/16

新居格随筆集

 二月十一日(日)、午前八時、高円寺駅の総武線のホームから富士山がきれいに見えた。小田急で小田原駅、JR東海道本線、身延線と乗り継いで西富士宮駅へ。
 この日は「ふじのみや西町ブックストリート」という一箱古本市(わたしも出品した)に参加した。おしるこ食べる。今月、編著の『新居格随筆集 散歩者の言葉』(虹霓社)が刊行――虹霓社も富士宮市の出版社である。二月二十二日発売予定。
 新居格は一八八八年三月、徳島県板野郡(現・鳴門市)生まれ。アナキストで戦後初の杉並区長でもあった。

 二〇一七年十月、秋山清のコスモス忌で虹霓社の古屋さんと会った。新居格著『杉並区長日記 地方自治の先駆者』(虹霓社)が復刊されたのもそのころである。
 新居格は高円寺に暮らし、雑文で生計を立てていた人物ということもあり、特別な親近感がある。

《わたしは微小な存在でしかないところの文士である。わたしは、それ故に、大きな存在でありたく望みはしない。わたしはわたしが書きうるものを書いて行くことでいゝ》(「小さな喜び」/同書)

《過去のことが古いのではなく、今日と明日のことが新しいのでもない。過去のうちにもあまりにも時流を抜いてゐたために埋もれてゐた新しさが無数にあるのだ》(「本と読書の好み」/同書)

 新居格の意見は温和なものが多い。戦前戦中に散歩と読書の日々を送り、平静を保ち続けた。

 西富士宮駅から富士宮駅まで歩く。浅間神社、人がたくさんいた。富士宮は二十代のころから何度か来ているが、町の雰囲気がのんびりしていて心地よい。ニジマスの養殖でも有名な土地だ。
 ペリカン時代で教えてもらった麺屋ブルーズに行きたかったのだが、午後二時から五時までは営業時間外だった。場所は覚えた。次こそは。

 JR在来線で藤沢駅まで行き、駅周辺をうろうろする。小田急で帰る。

2024/02/06

ネリマ市

 寒い寒いとぼやいているうちに二月。外は雪。雨や雪の日はアーケードの商店街やガード下を歩くことが多い。

 先週土曜日、西部古書会館(初日は金曜だった)、『出雲と都を結ぶ道 古代山陰道』(島根県立古代出雲歴史博物館、二〇二二年)、『中村草田男と石田波郷』(松山市立子規記念博物館、一九八五年)など。山陽道と山陰道を結ぶ道は「陰陽連絡路」と呼ばれていることを知る。

 古書会館のあと、午後二時すぎから妙正寺川散歩。鷺ノ宮周辺をうろつき、中野区と杉並区の境を越え、妙正寺公園(この公園内の妙正寺池が妙正寺川の源らしい)、荻窪駅まで歩いて電車で帰る。家を出てすぐは億劫でも歩いているうちに元気になる。体温が上がって脳が活性化するからか。

 アニメ『SSSS.GRIDMAN』(円谷プロダクション、二〇一八年)の舞台は架空のネリマ市だが、鷺ノ宮駅や荻窪駅の周辺の風景、善福寺川っぽい川も出てくる(昨日、全十二話を視聴したばかり。作画がすごい)。自分の夢に出てくる町もこんなふうにいろいろな場所が混ざっていることがある。

 漫画やアニメの架空の風景にはモデルになっている場所があったりなかったりする。知らず知らずのうちにそうした景色が記憶に残っていて、そこを訪れた途端、ふと思い出す。デジャヴ(既視感)と呼ばれる現象にはそういうこともあるのではないか。
 はじめて訪れたはずの町なのに「あれ? この場所、来たことがある」と錯覚するのは、映画やドラマ、なんとなくつけていたテレビで見た(忘れていた)景色の記憶が呼び覚まされた——のかもしれない。