2017/06/28

選択の先

 ニック・ホーンビィ著『ハイ・フィデリティ』(森田義信訳、新潮文庫)は、何度となく読み返している本だが、通読ではなく、気がむいたとき、パラパラと数頁めくって、はっとする言葉に出くわす楽しみ方もできる小説だ。映画も好き。

《ブルース・スプリングスティーンの歌の世界では、とどまって腐っていくか、逃げだして燃えつきるかしかない。彼はソングライターなのだから、それでもいいだろう。選択肢は単純なほうが、歌は書きやすい。けれど誰も、逃げだしたうえで腐っていく可能性のことは歌にしてくれない》

 人生の選択肢は二択ではない。二択の先にもさまざまな選択肢がある。
 とはいえ、わたしはとどまって腐るより、逃げて腐るほうが百倍くらいマシかなとはおもっている。
 親、親戚、古い知り合いに囲まれ、流動性が低い分、浮上の可能性すら夢見ることのできない場所にとどまるのはきつい。
 逆に、困ったときに何かと支援してくれる人が身近にいる場合なら、とどまる選択もわるくないだろう。

 不義理のツケはあるにせよ、親や親戚をふくめた人間関係に縛られずにすんだ恩恵のほうがはるかに大きかった。すくなくとも楽だった。

2017/06/26

日課

 日曜日、西部古書会館。一九八〇年代に刊行された講談社の「ハウ・ツー・ライト・ブックス」の未入手本が何冊かあった。同シリーズのヘイズ・B・ジェイコブズ著『ノンフィクションの書き方』はライターの仕事をはじめたころからの愛読書だ。ほかにも『ギャグ作家として成功する方法』とか『主婦作家として成功する方法』といった本もある。
 今、調べたら『SFの書き方』の古書価がいちばん高いようだ。

 海外の文章関係のハウツー本は、技術論が中心で勉強になることが多い。

 夕方、ペリカン時代で木下弦二さんのライブ。翌日しめきりの原稿があったのだが、けっこう飲んでしまった。最近、東京ローカル・ホンクではなく、弦二さんのソロのほうがよく見ているかもしれない。

 午前中から『小説すばる』の原稿を書く。古書会館で買ったアースキン・コールドウェルの本があまりにもよくて、急遽、変更する。コールドウェルは、ずっとノーマークの作家だった。ごく短い期間であるが、古本屋だったこともある。

 徐々に通常運転になりつつあるが、単行本の作業中はなんとなく落ち着かない。
 日中は古本屋をまわる時間と本を読む時間と家事の時間を十分にとって、深夜から朝にかけて原稿を書く。
 結局、自分のペースを守るほうが、精神衛生によく、作業効率も上がる。わかっていてもうまくいかないものだ。

『ノンフィクションの書き方』の第一章は「書くことを日課に……」には次のような助言がある。

《ライターは修練を積まなければ、なにものも書き上げることはできまい(書くことは、わたしの恩師のハワード・マンフォード・ジョーンズの指摘どおり、「生物学上の基本的欲求ではない」のだ)。だからこそ、書くことを規則的な習慣にしてしまわなければならないのだ。毎日、同じ時刻に書き始め、同じ時刻に終えるという、決められた日課を喜んでこなすことである》

 コールドウェルも「週六日、午前九時から午後五時まで仕事をします」と書いている。

 わたしはコールドウェルほど規則正しい生活を送っているわけではないが、「時間を決めて書く」のは大事だとおもっている。

2017/06/25

オールマエノニッポン

 二日連続で十時間以上寝る。ここ数日、からだと心がバラバラになっているくらい疲れていたのだが、散歩と家事に専念しているうちに、ようやく落ち着きを取り戻す。

 土曜日、新宿のルミネtheよしもと「能町みね子のオールマエノニッポン」。
 森山裕之さんのスタンド・ブックスから出た前野健太著『百年後』の刊行記念特別講演。

 受付は退屈男さん。今、スタンド・ブックスで働いている。
 能町さんとグランジの遠山大輔さんが、ラジオの生放送中……という形式で、合間にPOISON GIRL BAND、ライス、シソンヌ、インポッシブルの漫才&コント、前野さんの歌が入る。お笑い芸人の舞台を生で観る機会はなかなかないのだが、みんな、声の張りのすごい。ふつうの人と内蔵されているアンプがちがう。おもしろいのは当たり前で、パフォーマーとしての身体能力みたいなものが、売れるかどうかの鍵なのかもしれない。
 それだけ厳しい世界でもある。いいものを観た。

 前野さんのライブはひさしぶり。昔のヒリヒリした緊張感が和らいで、楽しそうに歌っているのが伝わってくる。
 後半、前野さん、能町さんのトーク+歌もよかった。「オレらは肉の歩く朝」は能町さんバージョンで音源化してもいいとおもった。学生時代、バンドやっていたという話をエッセイで読んだ。

 新宿、高円寺で飲んで、また熟睡。

2017/06/22

新刊の告知

 来月、発売予定の『日常学事始』(本の雑誌社)がようやく一段落した。いつも「朝寝昼起」の生活なのだが、ここ数日は「昼寝夜起」になっていた。「日常」に戻るにはもうすこし時間がかかりそう。
 三年前に刊行された岡崎武志著『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫)の巻末の「貧乏対談」で洗濯ネットのことを喋った。それを読んだ編集の宮里潤さんが企画した本でもあります。なぜか洗濯ネットにサインを書いた。

 二十八年前に三重から上京して、右も左もわからなかったころ、自分が切実に知りたかったこと、気づかなかったことをおもいだしながら書いた。「日常学」という言葉は、アンディ・ルーニーの『日常学のすすめ』(井上一馬訳、晶文社、一九八四年刊)からとった……という話は「あとがき」に書いた。わたしは一九八〇年代のアメリカのコラムニストのライフスタイルコラムが好きで、これまでもちょこちょこ生活に関する雑文を発表してきたのだけど、一冊丸ごと、生活ネタの本は初の試みだ。ちなみに、『日常学のすすめ』は、ニューヨークタイムズのベストセラーランキングで十週連続ナンバー1を記録している。あやかりたい。

 本の完成前は期待と不安がせめぎ合う。これまでは不安のほうが大きかった。『日常学事始』は期待……とはちょっとちがうのだが、今までにない手応えみたいなものを感じている。表紙も素晴らしいですよ。感涙。

 同じころ、岡崎武志さんも新刊『人生散歩術(仮題)』(芸術新聞社)も出ます。東京堂書店でトークショーもする予定です。詳しくはまた。

2017/06/20

田舎の話

 わたしの父は鹿児島と熊本の県境にちかい町に育った(生まれは台湾)。父の鹿児島の郷里は一九八〇年代には過疎化が進んでいた。交通の便がわるいところだったということもあるが、人口減少の理由はそれだけではないだろう。
 長男至上主義や男尊女卑、年功序列、不条理なローカルルール——昔ながらの田舎の面倒くさいところが詰まった地域というのは、若い人はどんどん逃げていく。逃げたら、戻ってこない。戻ったら、ひどい目に遭うのがわかっているからだ。とくに女性は。

 インターネットの生活板には「嫁いびり」の話がよく出てくる。
 女性は家でこきつかわれ、食事は別、残り物を食べさせられる。風呂は最後。日常会話の基本は罵声と罵倒で反論は許さない。パワハラとモラハラが横行している。こんなところ一秒もいたくないとおもってしまうような土地(家)は、今でも残っている(そのうち滅びるだろうが)。
 戦後民主主義やリベラルの恩恵はそこにはない。

 わたしは単純に「リベラル=善」とは考えていないが、リベラルの概念がまったく根づいていない土地のしんどさを見聞きすると「人権や平等や自由という価値観は大切だなあ」とおもう。
 いっぽうローカルルールを盾に何もしなくても威張りちらすことができた文化を懐かしむ人もいる。「伝統を守れ」というときの「伝統」には、不条理なローカルルールやハラスメント文化も含まれているのかどうか。含まれているのなら、勘弁してほしい。無理っす。

 自由や平等の概念のない「伝統」が残る土地を変えるのはむずかしい。たぶん、逃げるしかない。

夢の話

 木曜日、今年初の神宮球場。外野自由席でヤクルト対楽天戦を観る。はじめてセブンイレブンのコピー機(?)でチケット買った。
 楽天の先発は則本投手——二ケタ三振の世界記録のかかっていた試合だった。なぜかヤクルト6−2楽天で勝利。原樹理プロ初完投。プロ初完投の試合を観たのは、はじめてかもしれない。記憶がない。

……と書いているうちに、交流戦が終了した。

 十九歳でライターの仕事をはじめて、二十六、七歳くらいまで、千駄ケ谷界隈の事務所を転々としていたころ、ひとりで球場に行って酒を飲む楽しみを知った。

 郷里にいたときは、ふらっと球場に行ったり、仕事帰りにライブハウスに行ったりする生活は想像できなかった。当時はひたすら「毎日、寝ころんで本が読めたらなあ」というのが夢だった。夢は叶った。生活苦と引き替えに。
 中学、高校のころは「図書館の近くに住みたい」とおもっていた。上京して古本屋通いをするようになってからは借りるよりも探して買って読むほうがはるかに楽しいことを知った。わたしの夢は現実と地続きであることが多い。
 二十代のころから最低限の生活費を稼いで、あとは読書三昧の暮らしがしたかった。
 読書生活のために、就職せず、(ほとんど)外食せず、衣類に金をかけず、親戚付き合いや冠婚葬祭から逃げまくる半生を送ることになった。今なお続行中。
 子どもを育てたり、親の面倒をみたり、そういうことをちゃんとできる人は立派だとおもう。しかし、そういうことができない人だって楽しく生きていけるならそれにこしたことはないと声を大にしてはいわないように気をつけているのだが、心の中でひっそりとおもうくらいは許してもらいたい。

2017/06/15

「戦友」の話

 尾崎一雄著『随想集 苺酒』(新潮社)に所収の追悼文をいくつか読み返した。
 ひとつは「中野重治追想」。中野重治は一九七九年八月二十四日亡くなっている。

 尾崎一雄と中野重治は親交が深かった。『筑摩現代文學体系』の尾崎一雄の巻の月報に中野重治が寄稿している。
 中野重治は尾崎一雄の家を訪ね、「話」の「御馳走」になったと書いた。つまり、古本の話で盛り上がったわけだ。
 また戦後、病気中の尾崎一雄を上林曉と中野重治がいっしょに見舞いに行ったこともある。

《中野君はもともと詩人だが、同時に小説家でもあり、批評家でもあつた。その態度は、私などと違って、きびしく、鋭かつた。ちよつと類の無い厳しい鋭さだつた》

 中野重治は、同時代の作家では井伏鱒二、上林曉に好意を寄せていたが、「私も全く同様だった」と尾崎一雄は綴っている。さらに、ふたりは好きではない作家も重なっている。

 もうひとつ「戦友上林曉」を読む。『すばる』の一九八〇年十一月号に掲載された。
 上林曉が亡くなったのは一九八〇年十月六日。
 この文章の中でも尾崎一雄が療養中に、中野重治と上林曉が見舞いに来たときのことを綴っている。
 そのさい、上林曉は中野重治のことをこんなふうに評していた。

《中野さんが政治に引きずられてるのは惜しいなア。政治運動と絶縁して、文學一本槍になつてくれたら、ぼくら、嬉しいんだけどなア》

 上林曉にそういわれた中野重晴は困った顔をしていたらしい。
「戦友上林曉」を読んだときに、山口瞳が向田邦子の追悼で「戦友」という言葉をつかっていたことをおもいだした。
 向田邦子が亡くなったのは一九八一年八月二十二日。「戦友上林曉」のほうが先に書かれた。尾崎一雄と上林曉が好きだった山口瞳は「戦友上林曉」を読んだにちがいない。
 リアルタイムで読んでいた人は「気づいた人」もけっこういたのではないか。また山口瞳は「気づく人」を意識して書いたのではないか。

 わたしは時系列があやふやなまま本を読むことが多い。いつ書かれた文章なのか——もうすこし気をつけて読みたい。

2017/06/09

The ピーズ

 金曜日、The ピーズ三十周年の武道館。九段下の駅を出たら、ピーズのTシャツを着た人だらけ。感無量。二十年以上前のピーズのBaseBallバッチを付けて会場に向かう。二十年前に活動停止したときは、どうしてこんなにいいバンドが音楽をやめなきゃいけないのかと怒りと悲しさで放心状態になった。でもこの活動休止期が縁でペリカン時代の増岡さん、原さんと知り合って、今日いっしょにライブを観ることができた。酔っぱらっている。帰りの電車、増岡さんが百回くらい「よかった、すごかった」といっていた。「鉄道6号」の歌いだし「やっとこんないいとこまで〜」で目頭が熱くなる。「シニタイヤツハシネ」合唱。当たり前にかっこいい。結成から三十年かけて初の武道館。しかも満員。ロックの奇跡ですよ。生きててよかったとおもいました。

2017/06/05

最低限

 来月発行予定の単行本の仕事の追い込み中、生活のリズムが乱れる。
 いつもどおり家事をして、散歩して、決めた時間に集中して作業したほうがいい。わかっているのだが、焦ってしまう。
 家事や散歩をする時間を切りつめたところで、その分、仕事が捗るわけではない。だったら焦る時間を削って、やれるところまでやって後は知らんくらいの気構えで乗りきろうとおもうことにした。

 何をやるにせよ、体力に自信がない病弱な人は「ふつう」を目指さなくていいのではないか。それよりも自分の決めた「最低限」を地道に根気よくクリアする。
 できないことはできないわけだし、ヘンな期待をさせないことも大事なのではないかな。屁理屈ですけどね。自己流だろうが、世間とズレていようが、日々をのりきってるんだから、文句いうなよというのが今の気持だ。遊びたい。