先週末、一仕事終え、次の仕事にとりかかる前に、ささま書店に行く。
店内に中村光夫の署名本があった。しかも二冊。一冊は金子光晴宛である。『制作と發見』(文治堂書店)、いわずと知れた五〇〇部限定版だ。
この本、すでに持っているのだが、『ねむれ巴里』の著者に『戦争まで』の著者が送った署名本とあっては……買いました。
土曜日、ひさびさの西部古書会館の初日に行くと、またしてもすばらしい組合わせの署名本を見つけた。
安岡章太郎著『良友・悪友』(新潮社)の小島信夫宛である。値段はコーヒー一杯分くらい。ありがたく買わせてもらう。
*
テレビで深夜の音楽番組を見ても、知らないバンドばかりになっている。三十歳で音楽ライターの仕事をやめて以来、レコード屋で新譜をほとんど買わなくなった。
いったん切れてしまうと、新しいものに反応できなくなる。
たまに新宿に行ったときに、CDショップをのぞいても、「なんとなく、よさそうだな」という勘がちっとも働かない。
今のところ、古本屋、新刊書店は、毎日のように通っているが、これも行かなくなったら、きっとおもしろい本に反応できなくなるような気がする。漫画雑誌にしても(たとえそれが惰性であっても)見続けているうちは、楽しめるのだが、見なくなってしばらくすると、わからなくなる。それで「昔はおもしろかったなあ」と無意識のうちに自己正当化してしまうのだが、自分の感覚の退化している可能性はけっこう高い。
………愚痴です。
2008/01/24
半分の事実
先週末、京都から扉野良人さん上京。土曜日の夜、三軒茶屋のグレープフルーツムーンで前野健太withおとぎ話のライブを見る。新曲「鴨川」がよかった。もちろん「熱海」も。
そのあと古本酒場コクテイル。晶文社の宮里さん、前田青年も合流。カウンターには、ささま書店のN君もいて、扉野さんと妙に意気投合していた。
大晦日に京都で会った青年も、高円寺の友人宅に居候中とのことで、扉野さんに呼び出してもらう。さらにコクテイル常連のK君も加わり、扉野さん、N君、K君で朝までカラオケをしたそうだ(わたしは先に帰った)。
日曜日は、西荻ブックマークの「ザ・メイキング・オヴ・『足穂拾遺物語』」(高橋信行、高橋孝次、羽良多平吉、郡淳一郎、木村カナ)に行く。開演前に音羽館によると、自転車に乗った石神井書林の内堀さんと遭遇した。
稲垣足穂の資料探しなど、その道の研究者の凄みを痛感。中学生のころの文集まで探し出して研究している。
そういう世界は自分の手には負えないとおもっているので、一読者として楽しませてもらうつもりだ。『稲垣足穂拾遺物語』(青土社)は来月刊行予定……とのことだが、編集にものすごく手間をかけているため、いつ刊行になるかわからないらしい。
翌日しめきりもあったが、二次会にも参加し、「飲み放題」に浮かれて、ウーロンハイ、ジンライムなどを七杯飲んだ。
そのあと何人かとコクテイルに……。
いろいろな人に会って、いろいろな話を聞いて、あっという間に深夜一時半。この日もわたしは先に家に帰った。記憶の中では楽しい週末であったが、担当編集者には「ずっと仕事をしていた」といってある。
月曜日と火曜日は、仕事で疲れたせいか、日中ほとんど寝ていた。
気がつくと、水曜日の朝になっていた。
なにも考えずに洗濯機をまわしたら、外は雪だった。
*
話は変わるが、家でゴロゴロしていた先週、ワイドショーでは、女優Mの次男Tが覚醒剤所持で三度目の逮捕された事件のことがくりかえし流れていた。
次男Tは学生のころから毎月数十万円のこづかいを与えられ、大人になってからもそれが続いた。
子どものころ、ほしいものがあって、親にねだると「自分で働いて給料をもらえるようになったら買え」とほぼつっぱねられた。
そのせいかどうか、仕事をした報酬でほしいものを買う喜びを充分味わうことができた。
しかし次男Tには、そういう経験はおそらくないだろう。
苦労知らずの恵まれた境遇というものが、かならずしも、幸運とはかぎらない。
次男Tほどではないが、子どものころから金を与えられすぎて無気力になってしまった人間を何人か知っている。
親は共稼ぎ、かまってやれない分、金あるいは物を与える。よくあることだ。もちろん、そういう境遇に育ったからといって、次男Tのようになるとはかぎらない。
仕事をはじめたころは誰にだっておもうようにならないことがたくさんある。
わたしの場合、食費がいる、家賃を払わねばならんといったミもフタもない現実によって、仕事に駆り立てられていたところがある。
そのうち生活必需品が揃って、別にこれといったものがほしくなくなった途端、労働意欲もなえてしまった。
趣味は古本だけ。古本は均一なら、五冊百円でも文庫本が買えるし、転売もできる。それなりの知識がついてくると、買ったときの値段よりも高く売るということも可能になる。
二十代のころは風呂なしアパートに住んでいたので、それこそ十万円もあれば生活できた。
原稿を書かなくても、たまに校正のアルバイトをやって、月にテープおこしを四、五本もすれば、それで家賃と光熱費と食費はどうにかなった。
しかしそういう生活をしていると、向上心がなくなってくる。
次男Tの話からそれてしまったけど、昨年、仕事をしていない三十歳手前の遠縁の知り合いがいるのだが、「なんとかならないか」とその親から相談を受けた。
ようするに、フリーライターになりたいらしい。なんとなく、(大学も中退して)ふらふら遊んでいるわたしでもなんとかやっているのだから、楽そうな仕事だとおもわれたようだ。
二十代半ばくらいまでなら「とりあえずやってみたら」と軽くいったかもしれないが、さすがに今はそういう気になれない。
一念発起して、必死にとりくめば、三十歳ならまだまだ間に合う。とはいえ、すでに同世代でメシの食えている人間の二倍か三倍の労力を要するだろう。「楽そう」とおもっているようではちょっと見込みがない。
フリーの自由業の人が、怠けていたり、遊んでいたりするのは、半分は事実であるが、半分は事実ではない。
人それぞれの職業上の秘密がある。
秘密だから、簡単に教えるわけにはいかない。
そのあと古本酒場コクテイル。晶文社の宮里さん、前田青年も合流。カウンターには、ささま書店のN君もいて、扉野さんと妙に意気投合していた。
大晦日に京都で会った青年も、高円寺の友人宅に居候中とのことで、扉野さんに呼び出してもらう。さらにコクテイル常連のK君も加わり、扉野さん、N君、K君で朝までカラオケをしたそうだ(わたしは先に帰った)。
日曜日は、西荻ブックマークの「ザ・メイキング・オヴ・『足穂拾遺物語』」(高橋信行、高橋孝次、羽良多平吉、郡淳一郎、木村カナ)に行く。開演前に音羽館によると、自転車に乗った石神井書林の内堀さんと遭遇した。
稲垣足穂の資料探しなど、その道の研究者の凄みを痛感。中学生のころの文集まで探し出して研究している。
そういう世界は自分の手には負えないとおもっているので、一読者として楽しませてもらうつもりだ。『稲垣足穂拾遺物語』(青土社)は来月刊行予定……とのことだが、編集にものすごく手間をかけているため、いつ刊行になるかわからないらしい。
翌日しめきりもあったが、二次会にも参加し、「飲み放題」に浮かれて、ウーロンハイ、ジンライムなどを七杯飲んだ。
そのあと何人かとコクテイルに……。
いろいろな人に会って、いろいろな話を聞いて、あっという間に深夜一時半。この日もわたしは先に家に帰った。記憶の中では楽しい週末であったが、担当編集者には「ずっと仕事をしていた」といってある。
月曜日と火曜日は、仕事で疲れたせいか、日中ほとんど寝ていた。
気がつくと、水曜日の朝になっていた。
なにも考えずに洗濯機をまわしたら、外は雪だった。
*
話は変わるが、家でゴロゴロしていた先週、ワイドショーでは、女優Mの次男Tが覚醒剤所持で三度目の逮捕された事件のことがくりかえし流れていた。
次男Tは学生のころから毎月数十万円のこづかいを与えられ、大人になってからもそれが続いた。
子どものころ、ほしいものがあって、親にねだると「自分で働いて給料をもらえるようになったら買え」とほぼつっぱねられた。
そのせいかどうか、仕事をした報酬でほしいものを買う喜びを充分味わうことができた。
しかし次男Tには、そういう経験はおそらくないだろう。
苦労知らずの恵まれた境遇というものが、かならずしも、幸運とはかぎらない。
次男Tほどではないが、子どものころから金を与えられすぎて無気力になってしまった人間を何人か知っている。
親は共稼ぎ、かまってやれない分、金あるいは物を与える。よくあることだ。もちろん、そういう境遇に育ったからといって、次男Tのようになるとはかぎらない。
仕事をはじめたころは誰にだっておもうようにならないことがたくさんある。
わたしの場合、食費がいる、家賃を払わねばならんといったミもフタもない現実によって、仕事に駆り立てられていたところがある。
そのうち生活必需品が揃って、別にこれといったものがほしくなくなった途端、労働意欲もなえてしまった。
趣味は古本だけ。古本は均一なら、五冊百円でも文庫本が買えるし、転売もできる。それなりの知識がついてくると、買ったときの値段よりも高く売るということも可能になる。
二十代のころは風呂なしアパートに住んでいたので、それこそ十万円もあれば生活できた。
原稿を書かなくても、たまに校正のアルバイトをやって、月にテープおこしを四、五本もすれば、それで家賃と光熱費と食費はどうにかなった。
しかしそういう生活をしていると、向上心がなくなってくる。
次男Tの話からそれてしまったけど、昨年、仕事をしていない三十歳手前の遠縁の知り合いがいるのだが、「なんとかならないか」とその親から相談を受けた。
ようするに、フリーライターになりたいらしい。なんとなく、(大学も中退して)ふらふら遊んでいるわたしでもなんとかやっているのだから、楽そうな仕事だとおもわれたようだ。
二十代半ばくらいまでなら「とりあえずやってみたら」と軽くいったかもしれないが、さすがに今はそういう気になれない。
一念発起して、必死にとりくめば、三十歳ならまだまだ間に合う。とはいえ、すでに同世代でメシの食えている人間の二倍か三倍の労力を要するだろう。「楽そう」とおもっているようではちょっと見込みがない。
フリーの自由業の人が、怠けていたり、遊んでいたりするのは、半分は事実であるが、半分は事実ではない。
人それぞれの職業上の秘密がある。
秘密だから、簡単に教えるわけにはいかない。
2008/01/17
父つちやん小僧
十六日、神保町の三省堂書店で新刊本を何冊か買い、支払いのとき、マフラーを忘れた。毎年のようにマフラー、帽子、手袋をなくす。
あわててアルバイト先から電話すると「あります」というので、仕事帰りに取りに行く。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、ダイバーのふるぽん市、そのあとJRの水道橋駅までふだん行かない白山通りの古本屋をのぞきながら歩く。その間、十冊以上本を買う。マフラーの値段の倍くらいの金額になった。
加藤一郎著『文壇資料 戦後・有楽町界隈』(講談社)も買った。ちょこちょこ「文壇資料」シリーズを集めているのだが、なかなか揃わない。
この本の「第十章 作家も生活を」に山本健吉の「高見順 十二の肖像画」という一文がある。
《氏(高見順)が論敵に投げつける言葉の一つに「父つちやん小僧」といふのがある。氏が文壇に華々しく出たばかりのころ、同じく新進批評家として登場した中村光夫氏の批評態度を、「父つちやん小僧振り」とからかつたことがあるのだ。いや、からかつたといふのは当つてゐない。真底から忌々しい若造だといつた調子があつた》
高見順は、中村光夫の高校、大学の先輩である。『今はむかし』では「氏は、僕ら後輩にも、ひどく気さくな態度で、いろいろ話してくれ、またそれが面白いので、僕らはみな聞き役にまわってしまいました」と回想している。いち早く文壇にデビューした高見順は中村光夫にとって憧れの存在だった。
わたしは、中村光夫のことを分別のある、バランスのとれた批評家という印象があったので、かつて高見順に「父つちやん小僧」などと罵倒されていたのはちょっと意外におもえた。
とはいえ、山本健吉は前掲の文章に続けて「かう言ふと高見氏には失礼だが、高見氏こそもつとも「父つちやん小僧」的なのではあるまいか」とも書いている。
高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)には、中村光夫の『風俗小説論』にふれた箇所がある。
若き日の高見順は横光利一の文学には魅力をかんじていたが、その「ポーズ」には反撥をおぼえていた。
この場合の「ポーズ」は「文士臭さ」というようなニュアンスが含まれている。
《昨年だったか、一昨年だったか、中村光夫の『風俗小説論』を読んで、文中「俗物」の用語のあるのを見て、思わず懐旧の情におそわれた。ポーズとともにこの「俗物」も今は失われた、懐かしい文壇用語である。
「お前は俗物だ」
と言われることほど、私たちにとって致命的な礫は無かった。その礫の乱発が、日本の小説と小説家を、私小説と私小説作家に追いこんだうらみはあるけれど、俗物精神に昂然と対峙していた往年の文学精神を思うと、胸をかきむしられるようなノスタルジアを覚えるのである》
*
昨晩は寒かった。東京は初雪がふった。
夜十時すぎに古本酒場コクテイルに飲み行くと、中村光夫が先生をしていたころの学生だったという編集者がいた。三十五、六年前の話だ。いつか中村光夫の授業を受けていた人に会って話を聞きたいとおもっていたのでうれしかった。
「髪がきちっとしていて、なんだかスポーツマンみたいな人でしたよ」
当時の明治大学の文学部では中村光夫だけでなく、平野謙や山本健吉も教えていた。そのすこし前には、小林秀雄も講師(教授だったのか)だった。
この日は、芥川賞・直木賞の発表の日で、コクテイルでトークショーをしたこともある山崎ナオコーラさんが芥川賞、井上荒野さんが直木賞の候補になっていたので、おのずとその話題になる。
結果は芥川賞は川上未映子、直木賞は桜庭一樹。
水割四杯飲んで、店を出て数歩歩いたところで、前田青年と遭遇する。また飲み直すことに。
日付変わって十七日。
二日酔い。仕事帰り、高円寺で下車せず、吉祥寺の行く。
すこし前に、吉祥寺のバサラブックスの福井さんにハロゲンヒーター(新品同様)をもらったので、そのお礼をいうため。長谷川四郎の『よく似た人』(筑摩書房、一九七七年)を買う。
『みんなの古本500冊』(恵文社)が平積になっていた。都内在住でまだお持ちでない人は、バサラさんでぜひ。
あわててアルバイト先から電話すると「あります」というので、仕事帰りに取りに行く。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、ダイバーのふるぽん市、そのあとJRの水道橋駅までふだん行かない白山通りの古本屋をのぞきながら歩く。その間、十冊以上本を買う。マフラーの値段の倍くらいの金額になった。
加藤一郎著『文壇資料 戦後・有楽町界隈』(講談社)も買った。ちょこちょこ「文壇資料」シリーズを集めているのだが、なかなか揃わない。
この本の「第十章 作家も生活を」に山本健吉の「高見順 十二の肖像画」という一文がある。
《氏(高見順)が論敵に投げつける言葉の一つに「父つちやん小僧」といふのがある。氏が文壇に華々しく出たばかりのころ、同じく新進批評家として登場した中村光夫氏の批評態度を、「父つちやん小僧振り」とからかつたことがあるのだ。いや、からかつたといふのは当つてゐない。真底から忌々しい若造だといつた調子があつた》
高見順は、中村光夫の高校、大学の先輩である。『今はむかし』では「氏は、僕ら後輩にも、ひどく気さくな態度で、いろいろ話してくれ、またそれが面白いので、僕らはみな聞き役にまわってしまいました」と回想している。いち早く文壇にデビューした高見順は中村光夫にとって憧れの存在だった。
わたしは、中村光夫のことを分別のある、バランスのとれた批評家という印象があったので、かつて高見順に「父つちやん小僧」などと罵倒されていたのはちょっと意外におもえた。
とはいえ、山本健吉は前掲の文章に続けて「かう言ふと高見氏には失礼だが、高見氏こそもつとも「父つちやん小僧」的なのではあるまいか」とも書いている。
高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)には、中村光夫の『風俗小説論』にふれた箇所がある。
若き日の高見順は横光利一の文学には魅力をかんじていたが、その「ポーズ」には反撥をおぼえていた。
この場合の「ポーズ」は「文士臭さ」というようなニュアンスが含まれている。
《昨年だったか、一昨年だったか、中村光夫の『風俗小説論』を読んで、文中「俗物」の用語のあるのを見て、思わず懐旧の情におそわれた。ポーズとともにこの「俗物」も今は失われた、懐かしい文壇用語である。
「お前は俗物だ」
と言われることほど、私たちにとって致命的な礫は無かった。その礫の乱発が、日本の小説と小説家を、私小説と私小説作家に追いこんだうらみはあるけれど、俗物精神に昂然と対峙していた往年の文学精神を思うと、胸をかきむしられるようなノスタルジアを覚えるのである》
*
昨晩は寒かった。東京は初雪がふった。
夜十時すぎに古本酒場コクテイルに飲み行くと、中村光夫が先生をしていたころの学生だったという編集者がいた。三十五、六年前の話だ。いつか中村光夫の授業を受けていた人に会って話を聞きたいとおもっていたのでうれしかった。
「髪がきちっとしていて、なんだかスポーツマンみたいな人でしたよ」
当時の明治大学の文学部では中村光夫だけでなく、平野謙や山本健吉も教えていた。そのすこし前には、小林秀雄も講師(教授だったのか)だった。
この日は、芥川賞・直木賞の発表の日で、コクテイルでトークショーをしたこともある山崎ナオコーラさんが芥川賞、井上荒野さんが直木賞の候補になっていたので、おのずとその話題になる。
結果は芥川賞は川上未映子、直木賞は桜庭一樹。
水割四杯飲んで、店を出て数歩歩いたところで、前田青年と遭遇する。また飲み直すことに。
日付変わって十七日。
二日酔い。仕事帰り、高円寺で下車せず、吉祥寺の行く。
すこし前に、吉祥寺のバサラブックスの福井さんにハロゲンヒーター(新品同様)をもらったので、そのお礼をいうため。長谷川四郎の『よく似た人』(筑摩書房、一九七七年)を買う。
『みんなの古本500冊』(恵文社)が平積になっていた。都内在住でまだお持ちでない人は、バサラさんでぜひ。
2008/01/16
人生計算家
この三日くらい、寝てばかりいた。一日十四、五時間、布団の中だ。ほぼ日中寝ている。病人みたいである。病気かもしれない。厳密にいうと、気温が急に下って、からだが動かなくなっていた。からだだけでなく、頭もまわらない。逆に酒はすぐまわる。水割二、三杯で意識が散漫かつ朦朧となる。
近ごろ、新しいことをはじめようとしても、その手前の手前のくらいの段階のやる気すら出ない。
無私の情熱。仕事を忘れて、古本屋をかけまわり、手当りしだいに本を買い、読みたい本をひたすら読み続ける生活を送りたいのはやまやまだが、そうもいかない。いろいろと人生における優先順位を考え、その順位の計算自体が年々複雑になり、考えることが面倒くさくなって、現実逃避している。
*
中村光夫は「騎士道精神」のことをドン・キホーテのような無償の愚行だと述べている。芸術もまたそういうものにちがいない。
無償の愚行に走れないのは、生活の心配だけでなく、おそらく芸術のために犠牲をはらう覚悟がないからだろう。
学生時代、中村光夫はプロレタリア小説のようなものを書いていたが、文壇には批評家としてデビューし、後に小説、戯曲も書くようになった。
そしてスタンダールとはすこしちがった意味で「人生計算家」だった。
毎朝、冷水摩擦をし、衰える体力をすこしでも維持しようと、朝食前に一日百回ずつ縄跳びをしていた。
《精神的な労働にたえる年齢が、肉体的な寿命にくらべてわずかしか伸びない以上、多くの人びとが未完成のまま芸術的な生涯を終わるのが現代の特色です。このような時代に処して、何か仕事らしい仕事を残すには、まず精神の長寿が条件です。
歳をとってから本式の仕事ととりくむ必要と要求は、昔のように少数の天才だけのことではなく、一般に芸術家、あるいは人間一般の課題といえましょう。如何にして老年を若く保つか。精神の機能を肉体同様延長するか。これが誰にも切実な要求、あるいは必要になってきていると思います》(「私の健康法」/『秋の断想』筑摩書房、一九七七年刊)
中村光夫は六十歳を越えてからジョギングをはじめた。毎日二十分か三十分くらい走っていたそうだ。
まったく見習おうという気にならん。
近ごろ、新しいことをはじめようとしても、その手前の手前のくらいの段階のやる気すら出ない。
無私の情熱。仕事を忘れて、古本屋をかけまわり、手当りしだいに本を買い、読みたい本をひたすら読み続ける生活を送りたいのはやまやまだが、そうもいかない。いろいろと人生における優先順位を考え、その順位の計算自体が年々複雑になり、考えることが面倒くさくなって、現実逃避している。
*
中村光夫は「騎士道精神」のことをドン・キホーテのような無償の愚行だと述べている。芸術もまたそういうものにちがいない。
無償の愚行に走れないのは、生活の心配だけでなく、おそらく芸術のために犠牲をはらう覚悟がないからだろう。
学生時代、中村光夫はプロレタリア小説のようなものを書いていたが、文壇には批評家としてデビューし、後に小説、戯曲も書くようになった。
そしてスタンダールとはすこしちがった意味で「人生計算家」だった。
毎朝、冷水摩擦をし、衰える体力をすこしでも維持しようと、朝食前に一日百回ずつ縄跳びをしていた。
《精神的な労働にたえる年齢が、肉体的な寿命にくらべてわずかしか伸びない以上、多くの人びとが未完成のまま芸術的な生涯を終わるのが現代の特色です。このような時代に処して、何か仕事らしい仕事を残すには、まず精神の長寿が条件です。
歳をとってから本式の仕事ととりくむ必要と要求は、昔のように少数の天才だけのことではなく、一般に芸術家、あるいは人間一般の課題といえましょう。如何にして老年を若く保つか。精神の機能を肉体同様延長するか。これが誰にも切実な要求、あるいは必要になってきていると思います》(「私の健康法」/『秋の断想』筑摩書房、一九七七年刊)
中村光夫は六十歳を越えてからジョギングをはじめた。毎日二十分か三十分くらい走っていたそうだ。
まったく見習おうという気にならん。
2008/01/11
趣味人と野人
中村光夫を読んでいるときも読んでいないときも、このところ「文明」について考えている。
わたしは文明というと、エジプト文明やアステカ文明といった古代文明のことをおもいうかべてしまう。
失われた文明。ロマンだ。古代文明の探究とかに一生をつぎこんでいる人が、むしょうに羨ましくおもうことがある。
遺跡の探索、古代文字の解読、なんでもいい。
かつて繁栄した文明が滅びる。かならずしも人間は進歩し続けているとはかぎらない。
壮大な巨石建造物を築き、高度な知識を身につけていた民族が、いつの間にか文字を忘れて、ジャングルで生活するというようなことも起こりうる。
天変地異、疫病、戦争など、文明が滅びた理由はいろいろある。
今の日本だって、この先どうなるかわからない。そんな大きな変化が自分が生きているうちに訪れるのだろうか。
現在はあっという間に情報が伝搬する。ルネサンス以前の西欧は、自然科学その他でイスラム文化圏やアジアよりもはるかに遅れていた。たとえば、医学や天文学の知識は数世紀以上の差があったというような話を聞いたことがある。
中村光夫が二十代だった一九三〇年代は、アメリカやヨーロッパと比べて、まだまだ日本と欧米諸国のあいだには歴然とした文化の差があった。
今の日本は新刊書店、古本屋の数でいえば、世界屈指の文明国といってもいいだろう。
そんな文明国に生まれて、活字漬けの生活をしているわけだが、出版事情がそれほどよくなかった昔の人と比べて、まったく賢くなっていない気がするのはなぜか。
ここ数年、わたしはただただ活字を目で追うだけで、血肉化の作業を怠っている。読む本が多すぎるせいかもしれない。
中村光夫の『戦争まで』(中公文庫)は、鈴木信太郎訳のボードレール『悪の華』の「旅」の一節が掲げてある。
《地図や版画の大好きな少年にとり
宇宙とは、その旺盛な食欲と同じもの
ああ、実に、洋燈の光の下で見る世界の大きなこと
それなのに、思い出の眼に映っている世界の何と小さなこと》
知らないことは山ほどある。その多くは理解しようにもできないことでもある。
科学についていけず、政治経済についていけず、趣味の将棋ですら最新戦法はさっぱりわからない(「藤井システム」以降)。
悲しいことだが、年々、自分の手に負えそうにないことに関してはすぐ見切りをつけるようになっている。
好奇心、探求心……旺盛な食欲は体力とともに衰える。
『戦争まで』で、中村光夫はフランスのルネサンスについて論じている。十五、六紀、ルネサンスのイタリーに比べて、フランスはまだまだ野蛮国だった。
そのイタリーにフランスは無謀ともいえる遠征をしかける。その結果、いいようにあしらわれてしまう。ただし、この遠征によって、数万の「粗野な兵卒」はイタリー市民の生活を見て、その文化に多大な影響を受けたはずだという。
《ルネッサンスその物の根本の性格が、新たな文化に触れた若い野生を持つ国民の激しい覚醒を意味するものとすれば、このときすでに十六世紀のルネッサンス運動の中心は爛熟と頽廃のイタリーを去って、フランスに移るべく約束されていたといえましょう》
『戦争まで』の前半は、一九三九年に留学先のフランスから中村光夫が送った小林秀雄宛の手紙である。中村光夫もまた文化に渇望していた青年だった。
ルネサンスの分析で、中村光夫は、「趣味豊かな文芸愛護者」だったイタリーの僭主と比べ、フランソワー一世は「文化に対する渇望の血」を秘めた「聡明な野人」だったとも述べている。
わたしも田舎から上京したころは、聡明かどうかはさておき、文化に渇望する野人だった。
それから二十年ちかくの月日がすぎ、文化にたいする飢えはしだいに薄れてしまった。
趣味人としても野人としても中途半端なかんじだ。
ひょっとしたら中村光夫もそうだったのではないかという気もする。
ルネサンスから三百年後、「当代のフランス人の中でも比類を冷徹犀利な絶した人生計算家」だったスタンダールの「イタリー愛好」は、「細緻にすぎる精神の動きに疲れた文明人の野生への復帰」(願望)であり、フランス・ルネサンス期のフランソワ一世が「憧れを終生瑞々しく保った秘密」については、「中世伝来の騎士気質」が関係しているのではないかと中村光夫は考えていた。
(……続く)
わたしは文明というと、エジプト文明やアステカ文明といった古代文明のことをおもいうかべてしまう。
失われた文明。ロマンだ。古代文明の探究とかに一生をつぎこんでいる人が、むしょうに羨ましくおもうことがある。
遺跡の探索、古代文字の解読、なんでもいい。
かつて繁栄した文明が滅びる。かならずしも人間は進歩し続けているとはかぎらない。
壮大な巨石建造物を築き、高度な知識を身につけていた民族が、いつの間にか文字を忘れて、ジャングルで生活するというようなことも起こりうる。
天変地異、疫病、戦争など、文明が滅びた理由はいろいろある。
今の日本だって、この先どうなるかわからない。そんな大きな変化が自分が生きているうちに訪れるのだろうか。
現在はあっという間に情報が伝搬する。ルネサンス以前の西欧は、自然科学その他でイスラム文化圏やアジアよりもはるかに遅れていた。たとえば、医学や天文学の知識は数世紀以上の差があったというような話を聞いたことがある。
中村光夫が二十代だった一九三〇年代は、アメリカやヨーロッパと比べて、まだまだ日本と欧米諸国のあいだには歴然とした文化の差があった。
今の日本は新刊書店、古本屋の数でいえば、世界屈指の文明国といってもいいだろう。
そんな文明国に生まれて、活字漬けの生活をしているわけだが、出版事情がそれほどよくなかった昔の人と比べて、まったく賢くなっていない気がするのはなぜか。
ここ数年、わたしはただただ活字を目で追うだけで、血肉化の作業を怠っている。読む本が多すぎるせいかもしれない。
中村光夫の『戦争まで』(中公文庫)は、鈴木信太郎訳のボードレール『悪の華』の「旅」の一節が掲げてある。
《地図や版画の大好きな少年にとり
宇宙とは、その旺盛な食欲と同じもの
ああ、実に、洋燈の光の下で見る世界の大きなこと
それなのに、思い出の眼に映っている世界の何と小さなこと》
知らないことは山ほどある。その多くは理解しようにもできないことでもある。
科学についていけず、政治経済についていけず、趣味の将棋ですら最新戦法はさっぱりわからない(「藤井システム」以降)。
悲しいことだが、年々、自分の手に負えそうにないことに関してはすぐ見切りをつけるようになっている。
好奇心、探求心……旺盛な食欲は体力とともに衰える。
『戦争まで』で、中村光夫はフランスのルネサンスについて論じている。十五、六紀、ルネサンスのイタリーに比べて、フランスはまだまだ野蛮国だった。
そのイタリーにフランスは無謀ともいえる遠征をしかける。その結果、いいようにあしらわれてしまう。ただし、この遠征によって、数万の「粗野な兵卒」はイタリー市民の生活を見て、その文化に多大な影響を受けたはずだという。
《ルネッサンスその物の根本の性格が、新たな文化に触れた若い野生を持つ国民の激しい覚醒を意味するものとすれば、このときすでに十六世紀のルネッサンス運動の中心は爛熟と頽廃のイタリーを去って、フランスに移るべく約束されていたといえましょう》
『戦争まで』の前半は、一九三九年に留学先のフランスから中村光夫が送った小林秀雄宛の手紙である。中村光夫もまた文化に渇望していた青年だった。
ルネサンスの分析で、中村光夫は、「趣味豊かな文芸愛護者」だったイタリーの僭主と比べ、フランソワー一世は「文化に対する渇望の血」を秘めた「聡明な野人」だったとも述べている。
わたしも田舎から上京したころは、聡明かどうかはさておき、文化に渇望する野人だった。
それから二十年ちかくの月日がすぎ、文化にたいする飢えはしだいに薄れてしまった。
趣味人としても野人としても中途半端なかんじだ。
ひょっとしたら中村光夫もそうだったのではないかという気もする。
ルネサンスから三百年後、「当代のフランス人の中でも比類を冷徹犀利な絶した人生計算家」だったスタンダールの「イタリー愛好」は、「細緻にすぎる精神の動きに疲れた文明人の野生への復帰」(願望)であり、フランス・ルネサンス期のフランソワ一世が「憧れを終生瑞々しく保った秘密」については、「中世伝来の騎士気質」が関係しているのではないかと中村光夫は考えていた。
(……続く)
2008/01/07
南口と北口
池袋往来座の「外市」も無事終了。初日は仕事が終わってから、夜七時すぎに行く。往来座の店内で中村光夫の『青春と女性』(レグルス文庫、一九七五年刊)があった。
収録されている文章は、他の本で読んだものばかりだったが、うれしい収穫。この本でも『胡麻と百合』のラスキンの話がよく出てくるのだが、ラスキンの本を読んだことはない。
*
昼から高円寺南口の古本屋巡回ルートをまわる。ラスキンの『胡麻と百合』を探すために都丸書店の岩波文庫の棚を見ていたら、突然、ソーローの『森の生活』(神吉三郎訳、岩波文庫)が読みたくなったので買う。そのあともふらふら古本屋をまわっていたら、大石書店で正津勉の『小説 尾形亀之助』(河出書房新社)が早くも棚に並んでいた。これ、小説なのかなあ。
正津勉は『笑いかわせみ』(河出書房新社、二〇〇一年刊)という鮎川信夫や北村太郎のことを描いた小説も書いている。この本とねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)を併読した人は多いかもしれない。
『荒地の恋』は、北村太郎の『センチメンタル・ジャーニー ある詩人の生涯』(草思社、一九九三年刊)でぼかしていた「恋愛事件」のところが描かれている。ちなみに『センチメンタル・ジャーニー』の後半は、正津勉の聞き書きである。
『センチメンタル・ジャーニー』の最後のほうで、鮎川信夫が結婚していたことを知らなかった北村太郎は、「ぼくもおかしいけど、鮎川もやはりおかしいんじゃないかなっていう気がした」と述べている。
また「荒地」に関しては、次のような記述があった。
《晩年の鮎川は吉本隆明との対談で『荒地』にはひとりとしてろくなのがいないといっている。それは、少なくともぼくにはよく分かる。ようするに、ちっとも現実というものを見ないで昔書いた詩をなぞって書いている。目をあけて世の中を見ろ、そして世の中にもう少し反抗してもいいと。詩人というのは常に革新的でなければならない。そういう面で頼りにならない連中だという感想をもっていたと思う。自分のことを考えれば、それもよく分かる》
今は鮎川信夫より北村太郎の詩のほうが読まれているような気がする。
それにしても加島祥造がベストセラー作家になる日がくることのほうが予想外だ。
さて、夜七時。こんどは高円寺の北口の巡回コース。古書十五時の犬が中通り商店街からあずま通りに引っ越してきたので、中野よりのあずま通り界隈には、中央書籍販売、ZQ、越後屋書店、さらに古本酒場コクテイル(今日は休みだったが……)などが並ぶようになった。ほかにもこの通りは中古レコード店も充実している。
古書十五時の犬は、中通りのころと比べて、店舗が広くなって本も増えた。値段もお手頃だ。バラで集めている『ユーモア・スケッチ傑作展』(早川書房)の三巻が五百円。さらにちょこまかとあれこれ買ってしまった。
ラスキンを探すため、カバーのない岩波文庫の背表紙を凝視しすぎて、目が疲れてくる。
これから庚申通りの高円寺文庫センターに寄りつつ、琥珀でコーヒーを飲もうかとおもう。
収録されている文章は、他の本で読んだものばかりだったが、うれしい収穫。この本でも『胡麻と百合』のラスキンの話がよく出てくるのだが、ラスキンの本を読んだことはない。
*
昼から高円寺南口の古本屋巡回ルートをまわる。ラスキンの『胡麻と百合』を探すために都丸書店の岩波文庫の棚を見ていたら、突然、ソーローの『森の生活』(神吉三郎訳、岩波文庫)が読みたくなったので買う。そのあともふらふら古本屋をまわっていたら、大石書店で正津勉の『小説 尾形亀之助』(河出書房新社)が早くも棚に並んでいた。これ、小説なのかなあ。
正津勉は『笑いかわせみ』(河出書房新社、二〇〇一年刊)という鮎川信夫や北村太郎のことを描いた小説も書いている。この本とねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)を併読した人は多いかもしれない。
『荒地の恋』は、北村太郎の『センチメンタル・ジャーニー ある詩人の生涯』(草思社、一九九三年刊)でぼかしていた「恋愛事件」のところが描かれている。ちなみに『センチメンタル・ジャーニー』の後半は、正津勉の聞き書きである。
『センチメンタル・ジャーニー』の最後のほうで、鮎川信夫が結婚していたことを知らなかった北村太郎は、「ぼくもおかしいけど、鮎川もやはりおかしいんじゃないかなっていう気がした」と述べている。
また「荒地」に関しては、次のような記述があった。
《晩年の鮎川は吉本隆明との対談で『荒地』にはひとりとしてろくなのがいないといっている。それは、少なくともぼくにはよく分かる。ようするに、ちっとも現実というものを見ないで昔書いた詩をなぞって書いている。目をあけて世の中を見ろ、そして世の中にもう少し反抗してもいいと。詩人というのは常に革新的でなければならない。そういう面で頼りにならない連中だという感想をもっていたと思う。自分のことを考えれば、それもよく分かる》
今は鮎川信夫より北村太郎の詩のほうが読まれているような気がする。
それにしても加島祥造がベストセラー作家になる日がくることのほうが予想外だ。
さて、夜七時。こんどは高円寺の北口の巡回コース。古書十五時の犬が中通り商店街からあずま通りに引っ越してきたので、中野よりのあずま通り界隈には、中央書籍販売、ZQ、越後屋書店、さらに古本酒場コクテイル(今日は休みだったが……)などが並ぶようになった。ほかにもこの通りは中古レコード店も充実している。
古書十五時の犬は、中通りのころと比べて、店舗が広くなって本も増えた。値段もお手頃だ。バラで集めている『ユーモア・スケッチ傑作展』(早川書房)の三巻が五百円。さらにちょこまかとあれこれ買ってしまった。
ラスキンを探すため、カバーのない岩波文庫の背表紙を凝視しすぎて、目が疲れてくる。
これから庚申通りの高円寺文庫センターに寄りつつ、琥珀でコーヒーを飲もうかとおもう。
2008/01/05
あけましておめでとう
大晦日はぷらっとこだまで京都、そのまま恵文社一乗寺店(古本市開催中、同社の『みんなの古本500冊』にわたしも執筆)に直行。そのあと河原町の六曜社を経て、扉野良人さんとUrBANGUILDというライブハウスで、ふちがみとふなと、薄花葉っぱも出演している年越しライブを見た。途中、餅つき大会があったりして、楽しかった。
元旦は、下鴨神社に初詣。近鉄電車で三重に帰省。両親の住む三日市というところは無人駅で、わたしが上京したころはまだ田んぼと畑ばかりの町だったのだが、いつの間にかマンションや家の密集地になっている。
地元にはハンターとアイリスというショッピングセンターがあった。しかしアイリスは昨年で閉店してしまった。ベルシティという巨大ショッピングモールができた影響だろうか。アイリスにはオンセンドという激安の衣料品があって、帰省すると、いつもそこで靴下やパンツを買っていたので、残念である。
ハンター内のえびすやでかやくうどんを食って、ボンボンという喫茶店でコーヒーを飲んで、スーパーサンシで田舎あられとコーミソースを買う。ハンターでは、リサイクル市場(だったか?)で古本も売っている。ただし、巻数の多い漫画のバラ売り、あとハーレクインロマンスといった品ぞろえでこれといった収穫はなし。あいかわらず、古本不毛地帯であった。
散歩中、父が近所に住んでいるブラジル人の若者に挨拶している。父の働いている自動車の下請け工場では半数ちかくが、ブラジルやアルゼンチンからの出稼ぎらしい。その工場の同僚なのだそうだ。
母からは「お笑い芸人のアンジャッシュに会ったら、サインをもらっといて」と頼まれる。
所属プロダクションの人力舎は高円寺にあるのだが、たぶん会わないとおもう。
翌日は妻の親族一同が集まる静岡へ。イカめしを食いすぎて苦しくなる。
三日の夜、東京に戻り、「外市」の値付け作業をする。今回は七〇冊くらい。
四日の昼に立石書店の岡島さんとリコシェの阿部さんが本をとりにきてもらう。
この間、中村光夫ではなく、橋本治の『ロバート本』と『デビッド100コラム』(いずれも河出文庫)を再読した。「書き下ろし」のコラム集。
中村光夫の本で「文明批評」という言葉に出くわしたとき、今の日本でそういう仕事をしている小説家は、橋本治ではないかとおもった。
新刊の『日本の行く道』(集英社新書)で、超高層ビルを壊せという話が出てくるのだが、『デビッド100コラム』の「あの頃空は広かった」でも「私は十代からこっち、空が狭いことに慣らされている。視野を建物に塞がられることに慣らされている。空が広いことをよいと思うのは、郷愁でしかないのかもしれない。郷愁で現在を否定するのはバカである。にもかかわらず、私は、やはりビルの一つや二つブチ壊した方がいいと、明確に思っている」とすでに書いている。
この単行本は一九八五年刊である。
というわけで、今年初の「外市」の告知をします。
「外、行く?」
第6回 古書往来座外市 〜わめぞ初詣〜
■日時
2008年1月5日(土)〜6日(日)
5日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
6日⇒11:00〜17:00(往来座も同様)
■雨天決行(一部店内に移動します)
■会場
古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1 ニックハイム南池袋1階
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/
■参加者
▼メインゲスト
聖智文庫(大棚 藤沢)/にわとり文庫(大棚 西荻窪)/海月書林(on line 荻窪ひなぎく内)
▼スペシャルゲスト
嫌記箱(塩山芳明)/文壇高円寺(荻原魚雷)/BASARA BOOKS(吉祥寺)/ふぉっくす舎/伴健人商店(晩鮭亭)/こまものや/兎角書堂+オホンゴホン堂/他、お客様オールスターズ(朝/Y‘s/N‘s/さとみの本)
▼わめぞオールスターズ
古書現世(早稲田)/立石書店(早稲田)/藤井書店(吉祥寺)/m.r.factory(武藤良子)/旅猫雑貨店(雑司が谷)/リコシェ(雑司が谷)/ブックギャラリーポポタム(目白)/琉璃屋コレクション(目白 版画製作・展覧会企画)/ぶくぶっくす(buku・池袋)/貝の小鳥(目白 紹介ページ)/退屈男(名誉わめぞ民)/古書往来座(雑司が谷)は店内にて「中、入る? 外市記念 特選新入荷」を開催予定
▼「本」だけじゃないのです!
刃研ぎ堂(包丁研ぎ)/古陶・古美術 上り屋敷(会場では特選ガラクタを販売)
■主催・古書往来座 ■協賛・わめぞ
■特報
・林哲夫さんの原画販売します!(聖智文庫さん取扱い)
・聖智文庫さん開店10周年記念目録「ぶらりしょうち 第2号」申込み用紙配布
・海月書林さんが御参加決定
・古書往来座は店内にて中市を
元旦は、下鴨神社に初詣。近鉄電車で三重に帰省。両親の住む三日市というところは無人駅で、わたしが上京したころはまだ田んぼと畑ばかりの町だったのだが、いつの間にかマンションや家の密集地になっている。
地元にはハンターとアイリスというショッピングセンターがあった。しかしアイリスは昨年で閉店してしまった。ベルシティという巨大ショッピングモールができた影響だろうか。アイリスにはオンセンドという激安の衣料品があって、帰省すると、いつもそこで靴下やパンツを買っていたので、残念である。
ハンター内のえびすやでかやくうどんを食って、ボンボンという喫茶店でコーヒーを飲んで、スーパーサンシで田舎あられとコーミソースを買う。ハンターでは、リサイクル市場(だったか?)で古本も売っている。ただし、巻数の多い漫画のバラ売り、あとハーレクインロマンスといった品ぞろえでこれといった収穫はなし。あいかわらず、古本不毛地帯であった。
散歩中、父が近所に住んでいるブラジル人の若者に挨拶している。父の働いている自動車の下請け工場では半数ちかくが、ブラジルやアルゼンチンからの出稼ぎらしい。その工場の同僚なのだそうだ。
母からは「お笑い芸人のアンジャッシュに会ったら、サインをもらっといて」と頼まれる。
所属プロダクションの人力舎は高円寺にあるのだが、たぶん会わないとおもう。
翌日は妻の親族一同が集まる静岡へ。イカめしを食いすぎて苦しくなる。
三日の夜、東京に戻り、「外市」の値付け作業をする。今回は七〇冊くらい。
四日の昼に立石書店の岡島さんとリコシェの阿部さんが本をとりにきてもらう。
この間、中村光夫ではなく、橋本治の『ロバート本』と『デビッド100コラム』(いずれも河出文庫)を再読した。「書き下ろし」のコラム集。
中村光夫の本で「文明批評」という言葉に出くわしたとき、今の日本でそういう仕事をしている小説家は、橋本治ではないかとおもった。
新刊の『日本の行く道』(集英社新書)で、超高層ビルを壊せという話が出てくるのだが、『デビッド100コラム』の「あの頃空は広かった」でも「私は十代からこっち、空が狭いことに慣らされている。視野を建物に塞がられることに慣らされている。空が広いことをよいと思うのは、郷愁でしかないのかもしれない。郷愁で現在を否定するのはバカである。にもかかわらず、私は、やはりビルの一つや二つブチ壊した方がいいと、明確に思っている」とすでに書いている。
この単行本は一九八五年刊である。
というわけで、今年初の「外市」の告知をします。
「外、行く?」
第6回 古書往来座外市 〜わめぞ初詣〜
■日時
2008年1月5日(土)〜6日(日)
5日⇒11:00〜20:00(往来座も同様)
6日⇒11:00〜17:00(往来座も同様)
■雨天決行(一部店内に移動します)
■会場
古書往来座 外スペース(池袋ジュンク堂から徒歩4分)
東京都豊島区南池袋3丁目8-1 ニックハイム南池袋1階
http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/
■参加者
▼メインゲスト
聖智文庫(大棚 藤沢)/にわとり文庫(大棚 西荻窪)/海月書林(on line 荻窪ひなぎく内)
▼スペシャルゲスト
嫌記箱(塩山芳明)/文壇高円寺(荻原魚雷)/BASARA BOOKS(吉祥寺)/ふぉっくす舎/伴健人商店(晩鮭亭)/こまものや/兎角書堂+オホンゴホン堂/他、お客様オールスターズ(朝/Y‘s/N‘s/さとみの本)
▼わめぞオールスターズ
古書現世(早稲田)/立石書店(早稲田)/藤井書店(吉祥寺)/m.r.factory(武藤良子)/旅猫雑貨店(雑司が谷)/リコシェ(雑司が谷)/ブックギャラリーポポタム(目白)/琉璃屋コレクション(目白 版画製作・展覧会企画)/ぶくぶっくす(buku・池袋)/貝の小鳥(目白 紹介ページ)/退屈男(名誉わめぞ民)/古書往来座(雑司が谷)は店内にて「中、入る? 外市記念 特選新入荷」を開催予定
▼「本」だけじゃないのです!
刃研ぎ堂(包丁研ぎ)/古陶・古美術 上り屋敷(会場では特選ガラクタを販売)
■主催・古書往来座 ■協賛・わめぞ
■特報
・林哲夫さんの原画販売します!(聖智文庫さん取扱い)
・聖智文庫さん開店10周年記念目録「ぶらりしょうち 第2号」申込み用紙配布
・海月書林さんが御参加決定
・古書往来座は店内にて中市を
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