2022/10/29

都営交通

 土曜日、高円寺フェス。北口の広場でアイドルグループが歌って踊っていた。南口の公園のカレーのイベントをちら見して、西部古書会館。吉田初三郎の鳥瞰図など、珍しいものがいろいろ出ていた。この分野は手を出すのは怖い。『南木曽の歴史』(南木曽町博物館、一九九六年)、『大津市歴史博物館 展示案内』(大津市歴史博物館、一九九一年)、『都営交通100年のあゆみ』(東京都交通局、二〇一一年)など。

『都営交通100年のあゆみ』はカラーで百二十頁、税込千六百円(東京大江戸博物館の都営交通100周年記念特別展「東京の交通100年博」の公式ガイドブックだったようだ)。

 一九一一(明治四十四)年八月一日、東京市電気局がスタート。今でも多摩川第一発電所など、電気事業も行われている。

 Tカードという言葉をひさしぶりに見た。懐かしい。都電と都バスで使えるプリペイドカードだ。九三年十一月一日に発売開始とのこと。
 当時、わたしは二十三、四歳。Tカードは発売してすぐ使いはじめている(新宿〜神保町の行き来で都営新宿線に乗ることが多かった)。神保町で仕事して、そのあと飲みに行くのは新宿だったのだ。といっても、三十歳くらいまで。

 営団(現・東京メトロ)との共通化は九六年三月二十六日、パスネットの導入は二〇〇〇年十月十四日。Tカードもパスネットも地下鉄の路線図が印刷されたカードを買っていた。二〇〇八年一月にTカード(パスネット)の発売終了、同年三月十五日に、パスネットの自動改札機での使用終了とある。

 わりと最近までパスネットを買っていた気がするのだが、十四年前か。年表を見ているだけでも面白い。

 この秋、初の角のお湯割り。年々、ウイスキーのお湯割りが好きになっている。

2022/10/27

書きかけ

 有志舎の季刊のフリーペーパー『CROSS ROAD』(VOL.14)が届く。「追分道中記」(全四回)は最終回——近江路・草津宿について。自分から頼んで書かせてもらった連載だった。
 街道や宿場町の本を集めているうちに興味が拡散し、迷走していた。何か一つに絞って書きたい。それで街道の中でも合流点であり岐路でもある「追分」に照準を定めた。

 今週の日曜日は多摩川を歩きに行った。行きは新宿から小田急線、帰りは京王線。『フライの雑誌』の取材という名目だが、とにかく川沿いの道が歩きたくてたまらなかった。水辺が見たかった。
 今まで降りたことのなかった駅で下車し、川沿いの遊歩道というかサイクリングコースを散策した。

 新刊の『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』(有本倶子編、講談社)の帯を見て、今年、山田風太郎が生誕百年だったことに気づく。同書は色川武大、筒井康隆らの手紙も所収——。

 二〇〇四年に『山田風太郎疾風迅雷書簡集 昭和14年〜昭和20年』(有本倶子編、神戸新聞総合センター)も刊行されている。昭和二十年十月十日の友人宛の手紙がいい。
 戦中の風太郎は日本精神に深い懐疑を抱き、奇怪かつ滑稽と感じていた。ところが、戦後、「こう云う日本精神に対する懐疑とか、合理的とか云う言葉は、今度は杓子も猫も口にする時勢となって、如何にも迎合的であるが、僕のは借物ではない。然るに米国から高圧的に日本の神秘主義粉砕の弾圧が下って来ると却って何糞と云う反抗心に駆られて、日本の偉大なる神秘の炬火を自分の魂と他人の魂に昂揚させたい欲望を感ずる」と書く。風太郎、二十三歳。

2022/10/23

平穏

  金曜日、午前中にちょっと仕事して、午後、コタツ布団を洗濯する。毎年だいたい十一月初旬からコタツ生活に入る(翌年の五月の連休くらいまで)。コタツ布団を出し、押入の空いたスペースに扇風機をしまう。急に寒くなったり、暑くなったり、気温の差の激しい四月、十月はしんどい。
 晴れの日一万歩、雨の日五千歩を目標にしていたが、天気は関係なく五千歩にした。万歩計は外出時にしか持ち歩かない。雨の日でも外に出て歩く。家にこもらないことに意味がある。

 この日、中野まで散歩した。中野〜高円寺間の線路沿い(北)の駐輪場がなくなり、道の雰囲気が変わる。中野も高円寺も工事中だらけ。

 前日のプロ野球のドラフト会議、新入団の選手のことなどを調べているうちに日付が変わる。
 阪神ファンの知り合いに「ヤクルトのドラフト二位の選手はいいですよ」と教えてもらう。

 土曜日、昼、西部古書会館。古本案内処の本(小沢信男、高木護の署名本)を買う。小沢信男と高木護の二人は一九二七年生まれ。高木さんは九十二歳、小沢さんは九十三歳で亡くなっている。
 家に帰って部屋の掃除をしてコタツ布団をセットする。薬局で貼るカイロを一箱(三十枚入り)買う。

《私には私だけのことしか言えないが、私は普通で、平穏で、適当にろくでもなく、適当に人を愛せば、それでよく、それができればありがたいことだと思っている》

《平穏は運に恵まれないと維持できない》

 古山高麗雄の「運のまにまに」の言葉(『反時代的、反教養的、反叙情的』ベスト新書、二〇〇一年)。

 平穏とは何か。運とは何か。そんなことを考えているうちに一日が過ぎる。いい一日だった。

2022/10/19

不参加講演会

……十一月五日(土)、大阪府茨木市立中央図書館の富士正晴記念館特別講演会「竹林の隠者、富士正晴の不参加ぐらし〜荻原魚雷に聞く、隠居生活のススメ〜」という会に出ます。

講師:荻原魚雷(エッセイスト、フリーライター)
日時:令和4年11月5日(土曜日)午後2時から3時30分(午後1時30分開場)
場所:中央図書館2階多目的室
定員:先着40名、事前申込制(入場無料)
申込:10月13日(木曜日)午前9時30分から
申込先:中央図書館カウンター・または電話(072-627-4129)

●中央図書館(総合窓口)
所在地:〒567-0028 大阪府茨木市畑田町1番51号
メール:cyuotosyokan@city.ibaraki.lg.jp
もより駅はJR京都線の茨木駅もしくは総持寺駅、阪急京都線茨木市駅。

 二十代のころから富士正晴を愛読していた。隠居の話もそうだが、世の中との距離のとり方、時勢に乗らない生き方、用心深さみたいなものを学びたいという気持があった。ここ数年、富士正晴をよく読み返している。

《還暦もすぎれば少しは自分およびこの世が判ってくるかと若い頃には思っていないでもなかったが、その年になってみると、自分およびこの世が一つ判れば二つ判らないことが出て来るという有様で、これでは死ぬまで、自分およびこの世について茫漠とした認識を持ちつづけるばかりだなという感じがする》(「憂き世」/『不参加ぐらし』六興出版)

 これまで対談や座談形式のトークショーはあったが、ひとりで喋る機会はほとんどなかった(一度だけコクテイル書房で喋ったかも)。あと二週間ちょっと。奮ってご参加ください——といいにくい演題にしてしまったことをちょっと悔やんでいる。

2022/10/18

地味な記録

 九〇年代の雑誌を読んでいたら、某駅ではイオカードがまだ使えない——みたいな記述があった。イオカード、忘れていた。
 ICカードのスイカが普及する前、磁気式プリペイドカードのオレンジカードやイオカードがあった。イオカードは自動改札も通すことができた(オレンジカードは通せない)。他にも私鉄や地下鉄で使えるパスネットもあった。
 イオカードは二〇〇六年二月、パスネットは二〇〇八年三月で自動改札での使用が終了した。数年前までわたしは関西方面を旅行するときは「スルッとKANSAI」を利用していた。

 今年九月末、JRの普通回数券の発売が終了した。
 九〇年代半ばから四半世紀以上にわたり、JRの普通回数券の中野駅から阿佐ケ谷駅の回数券を買い続けてきた。途中で普通の切符の大きさから、新幹線の回数券サイズに変わった。

2022/10/15

三度寝の日々

 朝寝て昼寝て夜寝て……三度寝くらいしてしまう日が続いた。そのせいかどうか、しょうもない夢もたくさん見た。ベルトがちゃんとズボンを通っていないことに気づく夢とか冷凍庫から見覚えのない肉が出てくる夢とかトイレの電球が切れている夢とか……現実感がありすぎて起きたときに変な気分になった。

『本の雑誌』十一月号の特集「やっぱり神保町が好き!」。わたしは岡崎武志さんと「神保町を歩こう対談!」という対談をしました。小諸そばの話はカットされるとおもっていたが残っていた。
 学生時代から御茶ノ水・神保町界隈に通っている。古本屋めぐりのために上京した……といっても過言ではない。しかしずっと古本に夢中だったわけでもない。どんなに好きなものでも熱は冷めてくる。それでも惰性や習慣で本を買う。何でもいいから買う。読みたい本が見つからないときはこれまで読んでこなかった分野の本を買う。
 文学一筋、歴史一筋みたいな人生に憧れもあるが、自分はそうではない。漫画、野球、将棋、釣り、街道……と時期によって集めている本はバラバラである。古本屋に行って、家でごろごろしながら読んでも読まなくてもいい本を読む。十年、二十年前に読んだ本が今の自分の考え方につながっている……ことはよくある。

 そのときどきの状況や体調によって読書の面白さも変わる。生活が不安定のときのほうが真剣に本を読んでいる気がする。読んでいるときは、それが後の自分にどんな影響を及ぼすのかわからないことのほうが多い。

 四十歳前後に川の本を集め出したことが、街道への興味につながっている。街道から地理や歴史のことを知りたくなる。一つの関心を掘り下げていけば、いろいろなことにつながっていく。どこに向かっているのかわからなくなることもよくあるが、それはそれで楽しい。

2022/10/10

寒暖差疲労

 六日(木)、急に気温が下がる。十二、三度だったか。前日までは半袖の人をけっこう見かけた。冷えと疲れが、心身に及ぼす影響は個人差がある。「寒暖差疲労」と呼ばれる症状も千差万別だが、気温の変化によって体調だけでなく情緒が不安定になることもある。
 日付が変わる深夜〇時、頭がまったく回らなくなり、貼るカイロの力を借りた。十月上旬にカイロを貼ったのはじめてかもしれない。夏用の肌掛けではなく、掛け布団を出す。

 心や体は天候にわりと左右される。
 日々の食事も細かく検証していけば、自分のコンディションとの関連が見えてくるかもしれない。肉を食ったら元気になったみたいなことは誰にでもあるだろう。様々な過不足が不調の原因につながっている。アルコールやカフェインの摂りすぎ、ビタミンや鉄分が足りない——栄養学が万能とはおもっていないが、バランスのいい食事の効能はあなどれない。不調がやや不調くらいにはなる。不調とやや不調の差を言語化するはむずかしい。

 八日(土)、プロ野球のCS(クライマックスシリーズ)がはじまる。

 夕方、西部古書会館。木曜から開催だった。前の週の古書展が三日前くらいに感じる。しかし週一回のビンや缶のゴミの日はそんなふうに感じない。不思議である。九〇年代の『東京人』のバックナンバーなどを買う。ここのところ、古書会館に行くたびに昔の雑誌を二、三冊ずつ買っている。すこし前に九〇年代の『シティロード』も何冊か買った(文字が小さくて読むのに苦労した)。
 自分が生まれる前の明治・大正・昭和の写真集などもたまに買う。昔の街道や川の写真を見ていると、今はどうなっているのか確かめに行きたくなる。

 弱っているときは自分の過去や現在より、自分の知らない世界に浸るほうが精神衛生によい——と中年以降に学んだ。現実逃避ともいう。

2022/10/02

電話のこと

 金曜夕方、古着屋で秋用のシャツ(千円)を買い、そのあと西部古書会館に行く。古書展、平日の開催を忘れていたのだが、散歩中に気づく。夕方で人も少なく、ゆっくり目次や奥付を見て本を選ぶことができた。草柳大蔵著『ルポルタージュ ああ電話 山村のできごとからその未来像まで』(ダイヤル社、一九六七年)などを買う。昭和の電信電話事業のルポ。「申込んでもつかない電話」「つながらない市外電話」——五十数年前までは電話をかけるのも大変だった。
 たとえば滋賀県の彦根市から市外電話をかけようとすると、つながるまでに「京都が四時間四十分、東京まで七時間」。電車のほうが早い。

 わたしは一九六九年生まれで家(長屋だった)に電話がついたのは一九七四、五年ごろだった。自分の親は三十歳過ぎまで電話のない生活を送っていたのか。当時、近所には電話のない家はいくらでもあった。

 上京して半年くらいは電話なしで過ごした。住んでいた寮の玄関に十円を入れるピンク色の電話があった。十円玉を何枚も用意するのは面倒だったから、こちらから電話をかけるときは近所の銭湯の公衆電話を利用した。金券ショップでテレフォンカードを買っていた。千円のカードが九百五十円くらいだったか。

 部屋に電話をひいたのは高円寺に引っ越してきてからだ。権利だかなんだかのお金が七万円くらいした。郷里の家の電話はダイヤル式の黒電話だったので、東京に来てから留守電機能のついた電話をつかうようになった。道具が増えると楽になる。楽だとおもうのは最初のうちで、すぐ日常になる。

 今や電話といえば、スマホや携帯電話を指し、自宅の電話を「家(いえ)電」と呼ぶようになった。