2010/04/26

外市二十回

 土曜日、ささまのN君主催の焼肉会(高円寺・二楽亭)、その後、コクテイル。まっこりを飲んでいたら、ウイスキー以外の酒飲んでいるところをはじめて見たといわれる。
 わたしはビール以外の酒はなんでも飲む。

 日曜日、西部古書会館。初日は行けなかったが、いい本があった。
 長年の探求書だった『プレイボーイ傑作選』(荒地出版社、一九六八年刊)が三百円はうれしい。

 衣替えのため、洗濯機二回まわす。冷凍庫の食材一掃うどん作る。
 仕事(『ちくま』)の合間、外市の値付作業をする。

◎2010年5月1日(土)〜2日(日) 雨天決行
第20回 古書往来座 外市 〜軒下の古本縁日〜

 今回のゲストは古書ダンデライオン(京都「町家古本はんのき」)。
 ブログを見たら「店主が行けるかどうかは、まだ微妙」とあった。来てほしいなあ。後先考えず、来たほうがいいとおもうなあ。

 この三年くらいのあいだ、福岡や名古屋や仙台の本のイベントに行ったり、しょちゅう京都で古本を買ったり売ったりもしている。
 インターネットで本が買えるのに、なんで、わざわざ安くはない交通費を出して、あちこちの古本イベントに顔を出しているのかというと、同時多発といってもいいくらいの古本イベントの「草創期」を味わっておきたいからである。

 バタフライ効果というか、ほんのちょっとの小さな現象が、未来において大きな作用をおよぼすということはよくある。
 インターネットや電子書籍端末といった大きな動きも気になるが、ひとりの客、ひとりの店主が、何かをする、しないといった、小さな行動が、何年か後におもいもよらない変化を起こすということもある(ないこともある)。

 今、やっていることが、何になるのかわからない。でもわからないことをやっておくのは、大事なことかもしれない。すくなくとも、そのほうがおもしろい。

 ということです。

2010/04/23

寝ちがえ

 連休進行で切羽詰まっているところ、寝ちがえて、首がまわらなくなる。仰向けに寝ると、起きるときに痛くて、動くことができない。何年かおきに、ひどい寝ちがえをやってしまう。
 痛みの治療は、温めるか、冷やすかのどちらかで、いつも迷う。寝ちがえの場合は、冷やしたほうがいいらしい。
 ナボリンを飲んで、冷えピタを首に貼る。

 やむをえず、仕事を中断し、連休中の楽しみにとっておいた河合克敏『とめはねっ!』(〜六巻、小学館)と小山宙哉『宇宙兄弟』(〜九巻、講談社)をいっきに読んでしまう。

 今、「文系スポ根」というジャンルが注目されているらしいのだが(末次由紀『ちはやふる』など)、『とめはねっ!』は、書道漫画である。

 主人公は高校一年生の帰国子女で、気が弱くてぱっとしない男子、ヒロインは柔道部で将来有望の選手なのだが、ふたりはひょんなことから、書道部に入部してしまう。
『宇宙兄弟』は、宇宙飛行士を目指す兄弟の話で、雑誌の連載はときどき読んでいたのだが、なんとなく、話のテンポがゆっくりすぎて、ちょっと退屈かなとおもっていた。不覚だった。単行本であるていどの巻数をまとめて読んだほうがいいかもしれない。

『とめはねっ!』は人間関係があまりにも都合よくつながりすぎていたり、『宇宙兄弟』は運や偶然が重なりすぎているところもなきにしもあらずなのだが、どちらも読みはじめると、ほぼ予想通りの展開にもかかわらず、話の先を追いかけざるをえなくなる。

 読んでいるあいだ、首の痛みを忘れる。

(追記)
 温めるか、冷やすか。体質や症状にもよるとおもうが、わたしの場合、冷やすよりも温めたほうが痛みがやわらいだ気がする。

2010/04/20

仙台・閖上

 土曜日、仕事後、そのまま東京駅に行く。八重洲古書館を見て、新しくできたセルフうどん屋でうどんを食い、新幹線に乗って、電車の中でイビチャ・オシムの新書を読みながら、仙台へ。
 午後九時、ブックカフェ火星の庭に到着。ウィスキーを飲む。それから国分町のミステリーやSFのことにたいへん詳しい店主がいる小料理屋、近藤商店をはしご、うまい酒と料理(語彙不足)を堪能していたら、午前四時に。完全に時間の感覚がおかしくなっている。

 前野宅で昼すぎまで熟睡後、仙台文学館に案内してもらい、太宰治展を見る。記憶の底に沈んでいた小説の書き出しをおもいだす。そんなに期待していなかったのだが、書簡、ハガキ、着物、写真、あらゆるものから、ただ者ではない空気が伝わってくる。ひとつひとつの展示の前で足が止まる。人間の負の部分をいっぱい背負った才能の凄みに理屈ぬきでまいる。

 夕方、前野さんとバスで閖上(ゆりあげ)に行く。閖上は仙台の南東に位置する漁港。
 名取川の下流、橋でつながっているが、ほんとうは島らしい。魚市場、朝市もあって、ちょっと歩くと、目の前に太平洋が広がっている。絶景である。まったくリゾート化していない、昔ながらの海である。

「仙台のこんな近くにこんなところがあったんですね」と生まれも育ちも閖上のKさんにいうと、「こんなところって」と苦笑い。Kさんは四児の父親で、小学生の男の子ふたりもついてきて、はしゃぎまわり、走りまくる。

 昨年秋、Kさんとは佐伯一麦さんの読書会で知り合った。朝まで飲んだ。そのときに閖上の話を聞いて、行ってみたいとおもった。
 魚市場のちかくの寿司屋で赤貝丼をごちそうになる。
 そのあとKさんの家で宴会になる。笹屋茂左衛門という日本酒を飲む。酒がすすむにつれて、つまみと本(尾形亀之助、牧野信一、川崎長太郎など)が次々と出てくる。気がついたら、帰りの電車がない時間になる。

 こうなったら朝まで飲むしかない。一晩中、Kさんの文学熱に圧倒される。

 ふと気づくと、かかっている音楽がちがう。Kさんも、飲むと、即興DJになるタイプのようだ。
 わたしも酔うと、レコードやCDだけでなく、本や漫画をすぐ出して読ませようとしてしまう。ときどき、閉口される。

 結局、朝まで飲んで、雑魚寝。寝ているあいだ、Kさんの子どもが(ややおびえながら)足音を立てずにランドセルをとりにきていたという話を後で知った。

2010/04/17

どうすればいいのか

 会社や組織のことがよくわからない。多少はわかっているつもりのフリーライターという職業に関しても、百人いれば百通りの仕事のやり方がある。

 自分の経験や方法が他人に当てはまるともかぎらない。「これだ」とおもった方法だったとしても、時間が経つとしっくりこなくなる。

 文章を書くことは考えることだ。正解を出すことではない。今のところわたしはそうおもっている。正解はあくまでも自分にとってのものにすぎない。効率のいい方法ではないが、まちがえながら、そのときどきの自分に合ったやり方を探る。

 芸人は守りに入ると勢いがなくなる。鋭く切り込む芸風の持ち主が、肩の力をぬいて、場に馴染もうとしているうちに魅力を失っていく。力をぬいた芸風では、一枚も二枚も上手がいる。そうこうするうちに、次々と捨て身でやけっぱちの芸人が出てくる。

 家電芸人のような企画はある種の芸人にはあまりプラスにならない気がする。目先の仕事よりも、芸風を大事にしたほうがいいとおもうのだが、芸風そのものが時間とともに劣化してしまう場合もある。

 プロ野球の投手には、速球が武器の本格派とコントロールや変化球が武器の技巧派がいる。速球も変化球もコントロールもよければ苦労はない。そういう人は別格であり、たいていは何かしら苦手がある。不得意を克服しようとすると、得意なことがだめになることもあるし、得意なことばかりやっていても行きづまることがある。

 結局、いろいろ試してみて、修正を重ね続けるほかない。

 同人誌やメルマガ、ブログなどで原稿を書いていた人が、商業誌で仕事をするようになると、いろいろな編集部の方針や制約に戸惑い、ときには理不尽なことをいわれて途方にくれることがある。自分は「A」という仕事がしたい。でも「B」という仕事を頼まれる。「A」がやりたいという意志を貫き、仕事を断るか。それとも妥協して「B」をやってみるか。わたしもよく悩む。「B」をやっていると見せかけて、適度に「A」の要素をいれてみるとか、しばらく「B」をやってみて、信用ができたら「A」をやりたいと申し出てみるとか、いろいろなやり方がある。

 短期戦の場合、やるかやらないかの二択しかないが、長期戦の場合、経験を積み、信用を獲得するにつれ、自分の仕事の選択肢も増えていく。強気の直球の意見をいえば、通る人もいれば、逆効果の人もいる。逆効果の人の場合は、ストライクかボールかのギリギリのところを攻めてみたり、変化球をつかったり、「それでもだめなら次は?」と手をかえ品をかえ、すこしずつ自分のやりたい企画に近づけていく。もちろん、この方法も向き不向きがある。

2010/04/15

犀の本棚

 明日から開催のメリーゴーランド京都企画「犀の本棚」に出品します。文学、映画、音楽、漫画といろいろなジャンルの本を送りました。 以下は、告知——。

 メリーゴーランド京都企画 『晶文社50周年記念 犀の本棚』

 このたびメリーゴーランド京都では犀のマークの晶文社の刊行物を並べた小さな本棚を設置いたします。名づけて「犀の本棚」。2010年2月、晶文社は創業50周年を迎えました。文学であり、アートであり、詩であり、音楽であり、哲学であり、生活であり、カルチャーであり、思想であった犀の本の数々は、時代時代に新しい風を送りこんできました。つまりそれは、私たち本好きの胸に「生き方」を印してきたのではないでしょうか。

 寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」とは反語的な評言で、じつは書を胸に町へ出ることのスリリングさを言い当てています(*)。晶文社の本作りには、そのスリリングさの妙味が、いつも感じられました。 (*)晶文社刊に寺山修司の著作が見あたらないのも反語的なことでした。メリーゴーランド京都では、これまでに刊行された晶文社の新刊書、旧刊書を小さな本棚に並べてみようと考えました。版元では手に入らなくなった絶版古書も並べようと思います。けっして選りすぐったとはとても言えない、せいぜい100冊程の本が並ぶに過ぎません。それでも、並べた本の背から犀の大きさが伝わるような本棚を作りたいです。そして、皆さまにとって「犀の本」といって思いだす一冊や、こんな本があったと新たな発見がつまった本棚となるように心がけたいです。どうぞ皆さまのお越しをお待ちしております。

            メリーゴーランド京都 鈴木潤 三野紗矢香

◎開催期間

2009年4月16日(金)〜6月30日(水)

◎参加 BOOKONN 文壇高円寺 古本オコリオヤジ トンカ書店 蟲文庫 りいぶる・とふん 増田喜昭

〒600-8018 京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 寿ビル5F 

http://www.merry-go-round.co.jp/kyoto.html

2010/04/11

ちいさな古本博覧会

 ふらっとコクテイルに行くと、古書窟揚羽堂、はらぶちさん、盛林堂の若旦那が飲んでいた。まぜてもらう。
 古本屋さんの古本の話はおもしろい。聞いたことがないような本の名前がいろいろ出てくる。しかも、それがびっくりするような値段で売れるらしい。奥が深い。

 軽く寝て起きて仕事をしようとおもっていたが、アルコールが抜けていないと判断し、退屈君にもらったカシオの電子辞書で遊ぶ。

 そのまま朝まで起き続けて、王様のブランチを見ていたら、一箱古本市の話題になり、南陀楼綾繁著『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)が紹介されていた。

 そのあと西部古書会館で開催のちいさな古本博覧会に行く。珍しい本がある。安い本がある。珍しくて安い本がある。
 袋いっぱいになるまで買ったが六千円ちょっと。新刊本で同じくらいの冊数を買ったら、いくらになるのだろう。
 池島信平著『編集者の発言』(暮しの手帖社、一九五五年)、『平野威馬雄 二十世紀』(たあぶる館出版、一九八〇年)など。

 その後、いったん家に帰る。
 午後から出先での仕事の予定があったのだが、午後二時からオグラさんのライブが西部古書会館でやると聞き、それを見てから行くことにする。
 古書会館でインチキ手まわしオルガン。客は本に夢中。けっこう試練というべき状況だったが、歌がはじまると通りすがりの人がけっこう立ち止まる。おもしろい。

 岡崎武志さんに東京堂書店で『sumus』にサインしてきたこと伝える。百五十冊。
 古本博覧会は、盛況だった。初日、かなり売れたみたい。二日目も期待。

 夕方、仕事先である作家の訃報の噂が飛びかっていた。

 深夜二時すぎ、インターネットの産経ニュースで「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしさん死去という記事を読む。享年七十五。

2010/04/08

午後二時の鈍行電車

 文明や国家、企業、メディア、個人にも、草創期、安定期、衰退期といったサイクルがある。サイクルはかならずしも一定していないし、スピードもちがう。

 安定期をのばすための工夫、試行錯誤はまどろっこしい。衰退期をしのぐ努力はむなしい。それより新しいことをはじめたほうが楽しい。技術革新のスピードが早いし、次々と新しいサービスが出てくる。地道にこつこつやっていると「まだそんなことやっているんですか」というかんじになる。

 十年、二十年と続く雑誌がだんだん減ってきている。昔からそういう傾向がなかったわけではないが、売り上げが落ちると、すぐ休刊になる。
 お金にならないことはやらない。面倒くさいことはやらない。お金にならなくて面倒くさいことはすぐやめる。
 長続きしない理由には、そういう気分があるとおもう。

(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)

2010/04/06

上京当時

 休み休み、ぐだぐだと月末をのりきり、ちょっと気がぬける。平穏ということかもしれない。
 今より仕事をしていなかったころのほうが、もっとバタバタしていた。
 金がなくなる。あわてて仕事をする。原稿料は翌月とか翌々月払いだから、そのあいだ、アルバイトもする。翌月とか翌々月にまとまったお金がはいる。
 数ヶ月間、食うや食わずの生活をしていたところに、いきなりお金がはいってくるから、嬉しくなって、酒を飲んだり、本を買ったり、レコードを買ったり、旅行をしたり、引っ越したりして、とにかく、仕事をしなくなる。すると、また金がすっからかんになる。そのくりかえしで、落ちつかない。
 そのころは一年通して仕事を続けることができなかった。一年のうち半年くらいは遊んでいたかもしれない。

 どうしてそんなふうになってしまったかというと、仕事がおもしろくなかったからだ。やる気はあったのだ。ただ、そのやる気があだになっていたのだ。当時、(一部の)出版界の空気としては、「仕事なんて遊びだよ」というノリがかっこよく、田舎を捨て、大学を中退して、背水の陣みたいな気分で、何がなんでも筆一本で生きていこうとしていたわたしは完全に浮いていた。

 わたしはかなり面倒くさいやつだった。

 その面倒くささは、生来のわたしの性格に起因することは認めざるをえないが、多かれ少なかれ、地方出身者、さらにいうと工場の町(ヤンキー文化圏といってもいい)から脱出してきた文系の人間にはわりと共通する傾向ではないかとおもう。

 田舎で文学や音楽が好きだという人間は「屈折している暗いやつ」という評価を与えられた。そのため、文学や音楽は、自分のよりどころというか心の支えというか、それがないと自我が保てないくらい大切なものになる。
 わたしには文学や音楽を遊び半分で楽しむ感覚はひとかけらもなかった。その余裕のなさを文学や音楽を娯楽のひとつとして消費することができる境遇にあった人に、バカにされると腹立たしくてしょうがないわけだ。

 田舎にいたころは、わかりやすく「暗いなあ」という罵倒だったが、上京してからは「何、ムキ(マジ)になってんの」という冷笑に変わる。
 その冷笑にどう対処していいのかわからなかった。
 田舎ではこちらのことをバカにするやつはものを知らない人間が多かったが、東京ではバカにするやつのほうが知識や情報に恵まれていて賢いことが多いのである。

 愚痴っぽくなった。

 四月になると、上京当時のことをおもいだす。いまだにひきずっているなあという気持が半分、なんとなくうやむやになってどうでもよくなってきたなあという気持が半分といったかんじなのだが。

 今は昔ほど都会と地方の情報の格差はなくなったかもしれないが、それでも田舎から上京した人は、いろいろ悔しいおもいをするだろう。
 でも何年かすると、東京にもおもしろい人間もいれば、つまらない人間もいて、とんでもなくすごいやつもいれば、どうしようもないやつもいることがわかってくる。

 とはいえ、東京人の中には遊び半分をよそおいつつ、ものすごく努力しているやつもいるから、気をぬかないように。