2022/07/28

文と本と旅と

 毎日ものを探してばかりだ。スクラップするためにとっておいた雑誌がない。読みかけの本が見当たらない。この時間をもっと有意義なことにつかいたい。

『文と本と旅と 上林曉精選随筆集』(山本善行編、中公文庫)は喫茶店に入ったときにすこしずつ読んでいた。ところが二日前から行方不明になり、今日ようやく見つけた(ふだんつかっていない鞄に入れっ放しになっていた)。「古木さん」を読む。
 古木さんは古木鐵太郎。編集者時代の上林曉の先輩で、高円寺、野方あたりに長く住んでいた。葛西善蔵「湖畔手記」の口述筆記を行ったのも古木である。上林は古木を「美しい市民」と評した。酒を「うまそうに飲む」とも。

 上林曉と古木鐵太郎は『現代作家印象記』(赤塚書房、一九三九年)という共著もある(けっこう入手難の本だ)。

 上林曉の随筆を読んでいると、文学にたいする真面目さに胸を打たれる。

《生命の通った小説を書けるようになるためには、生涯の精進を必要とするのだと覚悟を決めている》(「私の小説勉強」/同書)

 生涯の精進——わたしもそういう気持で何かに取り組みたい……とおもうのだが、すぐ楽なほうに流される。つい手間と時間のかかることを先送りしてしまう。

2022/07/27

週末

 土曜日、昼すぎ西部古書会館。下村栄安著『町田街道』(武相新聞、一九七二年)、『企画展示 江戸の旅から鉄道旅行へ』(国立歴史民俗博物館、二〇〇八年)など、街道本、図録が充実していた。芭蕉展のパンフ、「奥の細道」関係の図録も何冊か買った。芭蕉の図録、何種類あるのか。

 日曜日、夕方、新宿へ。西口の金券ショップで新幹線のチケットを買う。数日前に中央線沿線の金券ショップをまわったときは新大阪までのチケットしかなかった。今回はもうすこし先までのチケットが買いたくて新宿に行った。ほとんどの店が新大阪か新神戸まで。駅からすこし離れた店でようやく目当の行き先のチケットを入手した。

 帰りは新宿駅西口から青梅街道を歩いて、西新宿の成子天神社に寄る。しばらく歩くと神田川。淀橋から東中野に向かって遊歩道を歩く。神田川の遊歩道を北に向うと大久保通りの手前に桃園川緑道がある。そのまま緑道を通り、高円寺に帰るかどうか迷ったが、暑さにやられそうだったのでそのまま神田川沿いを歩いて東中野駅から電車に乗った。車の通らない遊歩道を歩くのはいい気分転換になる。

 金券ショップで買ったJRの乗車券は日程変更が必要なタイプだった。高円寺駅は今年三月十八日にみどりの窓口がなくなり、もより駅だと中野駅か荻窪駅に行って手続きをしないといけない。自動券売機で変更できないのはちょっと不便である。

2022/07/23

歩きながら

 神保町の書店めぐり。新刊書店の棚を見ていると、今の自分の興味、関心がどんな感じなのかなんとなくわかるような気がする。
 移動、移住、住まい、地理、川、街道——。すこし前まで老いや余生に関する本をよく手にとっていたが「もうちょっと先でいいかな」とおもうようになった(ちょこちょこ集めてはいる)。

 今月ちくま文庫のラインナップがいい。ぱっと見ただけで読みたいとおもった本が何冊もある。橋本倫史『ドライブイン探訪』、宇田智子『増補 本屋になりたい この島の本を売る』、横田順彌『平成古書奇談』、今和次郎『ジャンパーを着て四十年』が同じ月に出るのとは……。

 家に帰ると『フライの雑誌』の最新号が届いていた。特集は「子供とフライフィッシング」。特集ではないが、樋口明雄さんの「ウラヤマ効果」は心身のメンテナンスの仕方、都会型の孤独と自然型の孤独に関する思索、それから歩くことの効用など、「こういう文章が読みたかったのだ」と興奮する。

 もともとわたしはインドア派で家でごろごろだらだらするのが大好きだったはずなのに、三十代後半、四十歳前後から体力や気力の低下にともない、自分が楽しいとおもえることすら疲れてつらくおもうようになった。これはいかん、何とかせねばと試行錯誤を経て、川歩きや街道歩きにたどりついた。

 二十代のころ、ある評論家と飲んでいたとき、「人間というのは足が弱ると頭も弱る」といっていた。その人はわたしの父と同い年だったから、当時、五十二、三歳だったか。結局、文章を書くのも体力が必要で、四十代、五十代あたりで躓く人が多い(わたしもしょっちゅう転んでいる)。今まで通り、ふだん通りというのがだんだん難しくなり、適度に休みながら、ごまかしごまかし生きている感じだ。

2022/07/19

オレンジ色の電車

 高円寺駅百周年(七月十五日)に合わせて、三好好三、三宅俊彦、塚本雅啓、山口雅人『中央線 オレンジ色の電車今昔50年』(JTBパブリッシング、二〇〇八年)を読む。高円寺駅、阿佐ケ谷駅、西荻窪駅(杉並三駅)はいずれも一九二二年七月十五日開業(中野〜三鷹間で土日祝に快速が止まらない駅でもある)。雨の週末、高円寺と阿佐ケ谷間のガード下を歩いていたら、JRの制服を着た人たちと立て続けにすれちがい、「何だろう」とおもったら倉庫みたいなスペースでイベントを開催していた。子ども連れの家族がけっこういた。

 一九六二年、高円寺駅の高架化の工事がはじまり、一九六六年四月二十八日に高架駅になった(同時期に営団地下鉄の東西線の乗り入れも開始)。
 高円寺に引っ越してきたころ、高円寺駅が高架になる前の話をカウンターだけのバーで聞いたことがあった。遠い昔のことのようにおもえたが、その当時から計算すると二十四、五年くらい前の話だ。五十歳すぎた自分も二十四、五年前の一九九〇年代のことをつい最近の話みたいな感覚で喋りがちである。二十代前半くらいの人からすれば、変な感じがするだろう。

 この本、高円寺駅の高架工事中の写真(鉄道写真家の荻原二郎が撮影)なども収録されている。戦後の仮駅舎の写真もある。荻原二郎は戦前からずっと鉄道写真を撮り続けてきた。写真集も出ている。

 わたしは上京したころ、高円寺駅は自動改札ではなく駅員さんが切符をきっていた。土曜日に快速が停車した(一九九四年十二月から土曜も通過するようになった)。
 小島麻由美の「恋の極楽特急」(一九九五年)にオレンジ色の特急に乗って彼に会いに行くという歌詞がある。MVには中央線の駅、ホームの喫煙所、路線図、全面がオレンジの中央線の車両が出てくる。すべてが懐かしい。でも「恋の極楽特急」はそんなに昔の曲とはおもえない。

2022/07/13

東高円寺

 日曜日、昼すぎ、参院選。そのあと散歩、東高円寺まで歩く。ニコニコロードのオオゼキ(スーパー)で富山県のあられを買う。

 高円寺に三十年以上暮らしているが、コロナ禍以前は、東京メトロ丸ノ内線の東高円寺駅界隈はそんなに歩いてなかった。今はしょっちゅう散歩している。この日、かえる公園という小さな児童遊園に寄った。アニメ『輪るピングドラム』にも登場する公園らしい。TV放映時(二〇一一年)に観たが、公園のシーンは忘れていた(当時、かえる公園を知らなかった)。登場人物は丸ノ内線を利用する。主人公一家が荻窪、ヒロインの住まいが東高円寺にある。「生存戦略」「何者にもなれない」といったキーワードが印象に残っている。

 本を読んでいて、中央線沿線の中野、高円寺、阿佐ケ谷あたりの散歩エリアの話が出てくると、なるべく付箋を貼っておこうとおもうのだが、忘れてしまう。あと街道関連も付箋を心がけている。

 すこし前に都内を電車で移動中、白石公子著『ブルー・ブルー・ブルー』(新潮文庫、一九九五年、単行本は世界文化社、一九九二年)を読んだ。文庫の解説は坪内祐三(坪内さんが最初の単行本を出す前に書いた解説である)。わたしが坪内さんと知り合ったのは、そのちょっと後くらい。五反田の古書会館だったか『彷書月刊』の忘年会だったか。

《化粧して丸ノ内線の車内にて、本日の試写会のスケジュールを確かめる。(中略)そう決めると安心して東高円寺あたりから四谷三丁目までぐっすり眠る》(「不倫のカレー」/同書)

 白石さんは試写会の会場まで地下鉄の丸ノ内線で向う。荻窪はJR中央線、総武線だけでなく、丸ノ内線の駅(始発駅)もある。『ブルー・ブルー・ブルー』を読んでいると、丸ノ内線以外に東西線も出てくる。地下鉄の東西線はJR総武線直通の便が一時間に四本くらいある。
 この本に収録されたエッセイは一九九一年の秋から翌年の春までの連載。荻窪の話もよく出てくる。

2022/07/09

無題

 八日昼すぎ、ヤクルトの二軍情報(コーチ、選手に新型コロナの感染者が出た)を調べようと野球関係のサイトを見ていたら、奈良で選挙の応援中の安倍元総理が銃撃されたニュースを知る。

 夕方、遠方より来たる友と高円寺で待ち合わせ。夜、近所の店で飲む約束をして自宅に戻る。牛丼を作る。

 翌日やや二日酔い。昼前、西部古書会館。『文学のある風景・隅田川』(東京近代文学博物館、一九九三年)、『サライ』(一九九四年四月二十一日号)——特集「今も残る街道の名物料理 東海道五十三次食べ物語」などを買う。九〇年代の雑誌がけっこうあった。

『文学のある風景・隅田川』はところどころコラムが入っている。執筆陣は吉村昭、杉本章子、増田みず子、木の実ナナ、小沢昭一、永六輔、河竹登志夫、川本三郎、森田誠吾、吉本隆明。千住や向島や浅草などの文学地図もありがたい。川歩きのさい、地図の頁だけコピーして持っていきたい。

『サライ』の特集、鞠子のとろろ汁、藤枝の染め飯、桑名の焼き蛤などが紹介されていて、東海道双六、浮世絵などの図版も充実している。左頁の左上の角に鉄道の路線図っぽい図案で宿場町が並んでいる。『サライ』のデザイン、ちょこちょこ遊びがあって面白い。取材・文は鹿熊勤、塙ちと、野村麻里。鹿熊勤は「かくまつとむ」名義のほうがわかりやすいか。

 神宮のナイター、ヤクルト対阪神戦が中止になる。ラーメンを作る。

2022/07/06

大均一祭

 カレンダーが六月のまま五日ほど過ぎてしまった。あやうく人と会う予定の曜日をまちがえるところだった。ここのところ日中は暑いので深夜に散歩する。町が明るくなった。人も多い。最近というわけではないが、酔っぱらうと喋るのが止まらなくなる。

 安いから買うのではなく、読みたいから買うのだ——と自分に言い聞かせ、土曜日、西部古書会館。大均一祭。初日は全品二百円。伊藤俊一著『鈴鹿の地名』(中部経済新聞社、一九九五年)など。『鈴鹿の地名』の表紙と裏表紙は広重の「庄野の白雨」。ミニコミ新聞「鈴鹿ホームニュース」の連載をまとめた本のようだ。生まれ育った近鉄沿線の土地以外は知らないことばかり。

 東海道庄野宿の名物「焼き米」は茶わんなどにお湯を注いで食べた。鈴鹿あられはお茶漬けみたいに食べることもあるのだが「焼き米」のころからの名残なのか。

 日曜日、大均一祭二日目。全品百円。カゴ山盛り買う。なぜか滋賀、岐阜、長野の街道関係の本が大量にあった。書き込みから推測すると同じ持ち主の本か(巻末に鉛筆で購入日か読了日の日付あり)。街道に関していうと、わたしもこの三県に興味がある。小さな川や水路のある町を歩きたい。

 たまにインターネットの古本屋などで買ったときの注文履歴書がはさまったまま売られている本がある。本を売るときはそういったことにも気をつけないといけない(わたしも本にはさんだままにしてしまうことがよくある)。しかし売る側も注文書のような個人情報を含むものはチェックして処分してほしい。

 かつて高円寺のガード下の都丸書店の分店の均一棚に「S」という人(フルネームで記されていた)の蔵書がよく並んでいた。尾崎一雄や上林暁の文庫など何冊か買った。

 二日目に買った中部日本新聞社編『日本の街道』(新人物往来社、一九六七年)は歴史選書の一冊で「神戸元町 こばると書房」のシールが貼られていた。こばると書房の名前は知っていたが、シールははじめて見た。野村恒彦著『神戸70s青春古書街図』(神戸新聞総合出版センター、二〇〇九年刊)にも思い出で古本屋として紹介されていた。中部日本新聞社編『日本の街道』は黒の函入の版(一九六三年)もあり、すでに入手済。街道本、装丁ちがいの同じ本が多い。歴史選書版、函入いずれも定価は四百九十円。よく読み返す街道本なので二冊あっても困らない。この本、中日新聞の連載だったようだ。旧道、峠などの難路も訪れていて、取材費も相当かかっている。

 街道と文学、あるいは古本の話をどうからめていけるか。「それはそれ」と分けて考えるのもありだろうが、わたしはそうしたくない。たとえば純文学の作家にも中年以降に歴史小説や紀行文を書く人はけっこういる。中年は中年で問題は山積みなのだが、それより五十数年この世に生きてきて、見落としてきたこと、通りすぎてきた場所を知りたい。今はそういう心境だ。そのうち気が変わるかもしれない。