2010/09/23

自力と他力

 仕事のち散歩。夕方、高円寺北口にできたうどん屋に行ってみる。月見山うどん(山かけとたまごのうどん)を注文。
 食後、高円寺文庫センターに寄る。店内、絶版漫画が充実しているなあとおもったら、股旅堂の棚だった。

 家にこもって考え事をしていると、「行き詰まった感」におそわれる。「行き詰まった感」を考えぬこうとすると、堂々めぐりにおちいる。

 そういうときは、今やっていることとはちがう課題を作ったほうがいいのかもしれない。それが何かがわからないから、行き詰まっているともいえるのだが。

 河合隼雄、谷川浩司の対談集『「あるがまま」を受け入れる技術』(PHP文庫)を読んでいたら、今の若い人は、情報が手に入れやすくなっている分、夢を持ちにくくなっているのではないかというような話が出てきた。
 小・中学生でも、なんとなく、全国で自分がどのくらいのレベルなのか、わかっている。自分の将来はこんなものだと冷めていて、がむしゃらになれない。
 実現可能な望みだけではなく、もっとちがうスケールの大きな目標を発見する努力をしないと、なかなか無気力から抜け出せない。
 リスクを避け、無難なほうに流れてしまう。

 さらに読み進めていくと、「考えが行き詰まったら寝たほうがまし」(河合)、「頭を白紙に戻すことで、新しい発見ができる」(谷川)というフレーズがあった。

《河合 原稿を書いている時に、だんだん行き詰まってきて憂鬱になってくるでしょ。そういう時に、昔は「書かないかん、書かないかん」と思って、なんやかんやと焦ったものです。焦っていろんなことをしてみるわけですが、結局書けないまま時間がどんどん経って、締切が近づいてくるということがよくあったんですよ。ところが、このごろは焦るのをやめたんです。じゃあどうするかというと、書いていて行き詰まったら、パッとそこで寝るんですよ(笑)》

 目が覚めると、行き詰まっていた原稿がさらりと書ける。徹夜するよりも、ずっと能率がいいらしい。

 わたしもよくこの手をつかう。行き詰まったら、寝る。二十代のころは、それができなかった。ひとつの原稿を仕上げるのに必要な時間が読めなかったからだとおもう。
 長年仕事をしているうちに、寝ても大丈夫、休んでも大丈夫という感覚がすこしずつ身についてくる。

 この河合隼雄の話を受けて、谷川浩司は対局中に「ずっと集中しっぱなしではなく、集中とリラックスを適当に切り替えることが大切ですね」と語る。

 また浄土真宗の寺に育った谷川さんは、こんなこともいっている。

《谷川 難しいことは分りませんが、勝負事であれ普段の生活であれ、自分一人の力ではどうにもならないことは必ずあるわけです。そんな時に、自力だけですべてを思いどおりにしようとじたばたしたり、逆に思いどおりにならないからといって絶望したりするのではなく、なんともならないところは仏様に任せて、自分ができることをしっかり見据えてやっていこうというのが「他力」ということではないかと思います》

 行き詰まっているときは、自力と他力の見極めがうまくいっていない。ただ、じたばたしないと、なかなか見極められない。

……未完

2010/09/20

みちくさ市

 みちくさ市、終了。この日、雑司ケ谷の旧高田小学校での書肆紅屋さんとのトークショーもありました。

『書肆紅屋の本』(論創社)と『活字と自活』(本の雑誌社)は、ちょうど同じ時期に刊行。紅屋さんのことは、ブログで知って以来、ずっとどんな人なのかとおもっていた。
 本の話だけでなく、出版業界の分析が鋭い。

 紅屋さんの本を読んで、はじめて書店のアルバイト、本の流通、出版社営業、編集などの仕事にかかわってきたことがわかった。古本関係を中心にした講演、イベントのレポートに定評がある紅屋さんだが、本人もすごく話上手だった。ビックリした。
 トークショーの前に話したこともおもしろかった(和菓子屋だったおじいさんの話とか)。

 お互い、十代後半から三十歳くらいまでの仕事のことを話す(それで時間切れ)。

 わたし自身は、フリーライターをはじめたころの話、『sumus』に参加したころの話をした。
 最初は雑誌の発送などの雑用からはじまって、人に紹介されるまま、何でもやっていた。二十代半ばから、仕事がどんどん減って、アルバイトをしながら書きたいものを書くようになって、今にいたると。

 紅屋さんは、営業(販売)の仕事をしていたころは、ものすごく忙しく、一年通してほとんど休みがなかったらしい。書店以外の場所で売る機会が多く、各地のイベント会場をかけまわっていたそうだ。その経験が、紅屋さんのフットワークの軽さにつながっているのかもしれない。

 みちくさ市は、第二会場(小学校の中庭)がいい雰囲気だった。紅屋さんとの打ち合わせ前に、ちらっとのぞくと、保昌正夫著『川崎長太郎抄』(港の人)があって、心の中で「わっ」と叫びそうになる。
 ほかにも選び抜かれたかんじの本がずらっと並んでいた。

 夜は高円寺のショーボートで、ももいろアゲハ、オグラ、アネモネーズ、ペリカンオーバードライブのライブを見る。
 いいライブだった。飲み仲間で、ペリカンのベースのスズキマサルさん(ポテトチップスをはじめ、様々なバンドを遍歴)が広島に引っ越すことになり、そのお別れ会もかねたイベントだった。マサルさんは演奏もすごいのだが、楽器を持ったときの立ち姿がほんとうにかっこいい。とはいえ、これからもちょくちょく上京して、バンド活動は継続すると聞いて安心。

 会場は超満員で軽い酸欠状態になる。
 当然のように、打ち上げ、二次会。午前三時すぎに体力が限界になり、帰宅。仕事部屋にドラムの大嶽さんが泊る。

2010/09/13

プラネテス

 仕事が一段落したので、久しぶりに幸村誠著『プラネテス』(全四巻・講談社)を再読する。
 宇宙でゴミ拾いの仕事をする人たちの人間模様を描いたSF漫画なのだが、「大人になること」というテーマを見事に描かれている。巻末、というか、後ろ扉の作者の言葉もいい。

 とくに四巻の「犬の日々」「飼い犬」の逸話は読むたびに考えさせられる。

 幼い息子(やや反抗期)を地上に残して宇宙で働くフィーの台詞。

「生きてりゃ誰でも納得のいかないことの10や20はあるよ」「でもさあ……そこんとこをグッと飲みこんで 社会生活 やっていけるのが」「大人ってもんでしょ? フツー」

「フツー」はそうかもしれない。反抗するより、妥協したほうが、楽だし、得なことのほうが多い。でも理屈ではなく「なんとなく、イヤだ」という感覚がある。社会生活を送る上では、とりあえず、「グッと飲みこんで」おいたほうが無難なこともわかる。
 しかしずっと飲みこみ続けていると「イヤだ」が麻痺してくる。

 大人になる過程で感情の抑制を学ぶ必要があるのかもしれないが、一度なくしてしまうと、なかなか取りもどせない。下手すると何事にも無感動な人間になることもある。
 使わなければ、からだも頭も衰える。感覚も同じだ。

『プラネテス』では「大人ってもんでしょ? フツー」といっていたフィーが「成長したいとか立派になりたいとか」「そう思ってるうちに忘れてしまう感覚がある」と自問するシーンがある。

 理不尽なことがあるたびに一々腹を立てていたら、仕事が停滞したり、干されたりする。自分だけの問題ですめばいいのだが、家族だったり、部下だったり、いろいろ人の面倒を見なければならない立場になれば、その人たちを道連れにしかねない。

 とはいえ、耐えしのんでいるだけでは、事態はますます悪化していくこともある。
 そういう場合、反抗でも忍従でもない解決策はあるのか。働かないと食っていけない人間が「納得のいかないこと」に出くわしたとき、どう対処すればいいのか。

 わたしは三十歳くらいになって、あるていど自分の気持を犠牲にしても、自分の足場ができるまでは我慢するしかないと考えるようになった。おかげで、多少、生活は安定したが、それと引きかえに失ったものは少なくない……とおもっている。

 青くさいことばかり書いている自覚はあるが、そういう気持をなくしたくないのだから、しょうがない。

2010/09/09

ワメトーク

『活字と自活』&『書肆紅屋の本』刊行記念
ワメトークVol.7

「ぼくたちが見てきた『本のお仕事』」

ほぼ同世代の二人が見てきた本に関する仕事から、その時代の雰囲気まで、本のことあれこれを話します。
募集開始しました。

■日時
2010年9月19日(日)13:00〜14:30(開場12:30)

※同時開催のみちくさ市が順延になってもこの日に開催します。

■募集人数  30名 
■入場料   500円

※お名前
※人数(別々に御来場の場合は全員のお名前をご記入ください)
※電話番号(携帯だと助かります)
をご記入の上、下記メールアドレスに送信してくださいませ。
wamezo.event●gmail.com

(●を@に変えて送信してください)

■会場 旧高田小学校1階 ランチルーム
東京都豊島区雑司ヶ谷2-12-1
鬼子母神通り・赤いテントの文房具店「隆文堂」曲がり直進すぐ
<地図>http://j.mp/aPOzN5

荻原魚雷(おぎはら・ぎょらい)
1969年三重生まれ。ライター。明治大学文学部中退。在学中から雑誌の編集、書評やエッセイを執筆。『sumus』同人。著書に『古本暮らし』(晶文社)、『活字と自活』(本の雑誌社)など。

空想書店 書肆紅屋(くうそうしょてん しょしべにや)
本名非公開。同名ブログ主宰。書店、取次、編集、営業などありとあらゆる本の仕事を経験している。著書に『書肆紅屋の本』(論創社)。

2010/09/06

そういう日もある

 いいことかどうかはわからないが、調子がよくないときや気分が沈みがちなとき、「まあ、そういう日もある」とおもうことにしている。

 二日酔いでつらくても、ずっとこの状態が続くわけではない。時が過ぎるにまかせるしかない。

 昨晩、あまりにもしんどくて道の途中でうずくまる。たぶん、貧血。電車なら片道二百十円の区間をタクシーに乗って帰る。深夜割増料金で三千円。

「早稲田通りから環七で曲がって高円寺駅のほうに行ってください」

 そういうと寝ているあいだに家の近くまで運んでくれる。年に数回しかつかえない呪文である。

 月に何日か、捨て試合の日を作る。その日は何もしない、できなくてもいい。ひたすらだらけ、ゴロゴロする。何もしないといっても、部屋の換気と洗濯くらいはする。夕方、ようやくからだが軽くなる。

 近所の焼鳥屋でレバーとハツを三本ずつ買い、ひとりで食う。これでどうにかなるのではないか。

 二十代のはじめ、仕事の調べもので図書館に行ったとき、古山高麗雄の短篇が掲載されている文芸誌を読んだ。

《寝たり起きたりしている、と言うと、病人のようだが、私はこの部屋でもう十数年来、寝ては起き、起きては寝たりしている。(中略)けれども私は、ここは独房で、自分は独房に幽閉されている囚人で、毎日々々、寝ては起き、起きては寝て、ボケッと過ごしているだけの者のように思われる》(「日常」/古山高麗雄著『二十三の戦争短編小説』文春文庫他)

 なぜこの部屋でだらだら過ごす小説に胸を打たれたのか。当時はよくわからなかった。この小説がきっかけで古山高麗雄の作品をすべて読みたいとおもうようになった。

《朝起きて、昼寝をして、宵寝をして、深夜あるいは明方にまた寝たりすることがある。朝酒を飲んで、一寝入りして、また酒を飲んで、また一寝入りする。そういう日もある》

 ゴロゴロと寝てばかりいる「日常」にも言葉があり、それが文学になる。これといった盛り上がりのない小説にわたしは救われたのである。自分の書いているものが、地味とかつまらないとか内容がないといわれても気にしないことにした。

2010/09/01

古本のことしか

 今週末の池袋往来座の外市に出品する本の値付をする。
 外市のCMを見たオグラさんの感想。
「まさか二番がつかわれるとはおもわなかった」

 メインゲストは徒然舎(岐阜・オンライン)と五っ葉文庫(愛知・犬山)。

詳細は、http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20100810

また「ワメトーク Vol.7」(みちくさ市と同時開催)で、書肆紅屋さんと対談することになりました。
・「ぼくたちが見てきた『本のお仕事』」
荻原魚雷×空想書店 書肆紅屋

紅屋さんは、新刊書店、本の流通、出版社で営業や編集をしてきて、しかも大の古本好き。ほんとうに様々な角度から本の世界を語れる人です。
これまでの話だけでなく、これから本の世界がどうなるかといったことも聞き出せたらとおもっています。

■日時
2010年9月19日(日)
13:00〜14:30(開場12:30)
※同時開催のみちくさ市が順延になってもこの日に開催します。

■募集人数 30名 入場料500円
募集開始日 9月6日(月)19:00〜
※お名前、人数(別々に御来場の場合は全員のお名前をご記入ください)、電話番号(携帯だと助かります)をご記入の上、下記メールアドレスに送信してくださいませ。
wamezo.event●gmail.com
(●を@に変えて送信してください)

 山本善行著『古本のことしか頭になかった』(大散歩通信社)が届く。
『エルマガジン』連載の古本エッセイ「天声善語」を再編集したもの。

《私の場合、生活が本中心になってしまっているので、何か書くとなると、どうしても本のことになる。ほぼ毎日、本屋さんをのぞき、平均二、三冊は買ってしまうので、家の中は本だらけ。考えることもほとんど古本のことだ》

 予備知識もないまま、なんとなく、おもしろそうだなとおもって買った古本を後で調べると、山本さんの本やブログに出てくることが多い。ああ、やっぱり、とおもう。
 ここのところ、低迷中だった古本熱が再燃する。八月はちょっと怠けたが、たぶん、今月から古本を買いまくる生活に戻ることになりそう。
 ゆっくり読むつもりだったが、結局、最後まで読んでしまった。