駅に向って歩いていたら、突風でよろけた。南からの風が冷たい。帽子をかぶってこればよかったとおもったが、家に引き返す気になれず、電車に乗る。
新宿のりかえ目白下車。行く先は古書往来座の「外市」。今「わめぞ」(早稲田、目白、雑司が谷)というエリアの古本屋さんと雑貨屋さんがとても活発である。
土曜日(二月二十四日)の午前中から、もう人が店をぐるっと囲んだ棚に群がっている。客層もけっこう若い。古書現世の向井透史さんの「外市」宣言の文章に駆り立てられた人も多かったのではないだろうか。わたしもそのひとりだ。
早い時間に行ったおかげで、おもしろい本がいろいろ買えた。
中でもうれしかったのが、阿奈井文彦の『喫茶店まで歩いて3分20秒』(PHP研究所、一九七八年刊)で、この本は最近あまり見かけない。十年くらい前に手放してしまって、以来、ずっと探していたのである。
阿奈井文彦は「アホウドリ」の異名で知られるルポライター。アホウドリは羽ばたくのが苦手で、向い風がないと飛び立てない。
寒風ふきすさぶ中、行われた往来座の「外市」で、この本を見つけることができたのは、低迷する生活から飛翔するきっかけになるのではないか……そんな予感がした。
《それぞれひとによって、わが住まいのあらまほしき環境というものがあるだろう。それはあくまでも、自分の経済生活に合った範囲内の理想ではあるけれど。
わが思いえがく住まいの環境は、以下のごとくである。
一ツ、近くに感じのよい喫茶店があること。
二ツ、古本屋が二、三軒あること。
三ツ、当然のことながら、銭湯の位置も近辺にあってほしい。
(——ということは、諸般の事情からまだわが理想とする住まいのなかには、「風呂付き」は、かなえられないユメなのである。もっとも、ぼくは銭湯愛好者であるので、たとえ風呂付きのアパートに居をかまえても、タオルをさげて銭湯にかようことになるだろうけれども)
四ツ、下駄ばきで歩いてゆけるほどの距離に二本立て三百円くらいの名画座と、東映と日活ロマン・ポルノの封切館があれば、なお結構。
*
以上が、ぼくの四ツの願いである》(喫茶店まで歩いて3分20秒)
阿奈井文彦は、早稲田に住んでいた。そのころ、喫茶店はざっと数えて三十軒、古本屋も四十軒くらい、映画館も早稲田松竹、パール座、高田馬場東映、東映パラスがあり、すこし歩いて神楽坂まで行けば、ギンレイホール、佳作座、飯田橋クラブ、牛込文化と八軒もあった。
食事は、大学の食堂を利用することもあるという。
《——ツマリ、ぼくは三十を過ぎても、いまだに学生気質がぬけず、秘かに、学生生活を愉しんでいるわけです》(同文)
わたしも学生気質がぬけない。在学中からフリーライターの仕事をはじめ、そのうち大学に行かなくなって、学生生活の区切をつけることなく、高円寺の中で転居をくりかえしている。
どんな部屋に住むかは、家賃とのかねあいになる。
築年数、広さ、風呂付か風呂なしか、駅からの距離、日当たり、その他。かぎられた予算内で何をとり、何をがまんするか。理想をいえばキリがない。
ただ人生の選択においては、さまざまな失敗を重ねてきたけれど、古本屋のたくさんある町に住んだことは、ほんとうによかったとおもっている。
あと『喫茶店まで歩いて3分20秒』を読んでいて、とても共感したのは、声が小さくて聞きとりにくい問題だ。
《ぼくの声は小さいということになっている。(中略)
低音、というと聞こえがいいけれど、単純に声量が無いだけの話で、これはぼくの肺活量が低いことと、小心翼々とした性格からきているせいで、自然声が低くなる。
だが、そればかりではないようで、あるとき、これはわが住宅事情のなせる結果ではないかと思いいたった》(団地の部屋にはホンコン・フラワーがよく似合う)
わたしは田舎にいたころ、ずっと長屋に住んでいた。隣の家との壁はうすい。隣のおばあさんの聞くラジオの音や毎朝詠むお経の声がつつぬけだった。親子の会話はいつも筆談で、そのおかげで文章を書くことだけは苦にならなくなった……というのはウソだが、そういう環境に生まれ育ち、上京してからも三十歳すぎまで木造アパート暮らしとくれば、声が小さくなろうというものである。
たぶん声は大きくならないだろう。小心もなおらないだろう。
でも向い風には強くなりたいものだ。ビル風に立ち向かい、古本屋に出かける。とにかく外に行く。
古書往来座の「外市」の帰り道は、書肆アクセスの畠中さんといっしょだった。
「みんな楽しそうだったねえ。若い人がいきいきしているの見るとこっちも元気が出るわ」
またぜひ開催してほしい。
2007/02/20
阿佐ケ谷散歩
めずらしく早起きし、午前中、北口のオリンピックに新しいFAXを買いに行く。上京してからもう六台目だ。だいたい三年で壊れる。
ずっと感熱紙用のFAXをつかっていた。しかし、今もう電気屋に行っても、感熱紙用のFAXは一機種しか売っていない。
普通紙用はインクリボンを買うのがめんどくさいし、A4しか受信できないし、気がすすまなかったのだが、この状況では選択の余地はない。普通紙用を買う。
説明書を読みながら、名前を登録したり、着信音を変更したり、いろいろやっているうちに午後になる。
子機でとった電話がまったく反応しない。前の機種は充電機からとりはずせば通話ができたのに、今度の機種は……ああ、そうか、そういう設定に切り替えられるのか。ややこしい。
気候の温暖がはげしいと、体調が崩れやすい。週末かるい風邪をひいた。
風邪は一日で治ったが、気力がもどらない。
こういうときは散歩だ、散歩が仕事だ。
高円寺の古本屋巡回コースを通って、南口のたけるのママの店でたぬきうどんを食い、青梅街道まで歩いて、それから丸ノ内線で南阿佐ケ谷駅まで行き、途中、衣料品店の奥にある喫茶店で休憩する。店で出来たばかりの永島慎二の『ある道化師の一日』(非売品・限定五百部)という本を見せてもらった。ものすごく凝った作りの本だった。
永島さんは、将棋駒も作っている。前に高円寺在住の森本レオさんに「ぼくは永島さんの駒もってるよ」と自慢された。永島さんの日記にも森本さんの名前がよく出てくる。
喫茶店を出て、南口の古本屋で店番をしていた助教授(愛称)とすこし喋る。
こんど、よるのひるねで一箱古本市(三月十八日・日曜日)をするそうだ。この日なんか予定がはいっていたような、いないような。忘れた。
阿佐ケ谷北口の古本屋にも寄ろうかとおもったが、疲れたので、ガード下を通って歩いて高円寺に向い、OKストアで買物してから家に帰る。
三、四キロは歩いたかもしれない。
ぐったりしたときによく聴くジョン・サイモンズ・アルバムを流しながら、部屋の掃除をして、京都の扉野さんに送ってもらったH・メルヴィルの『代書人バートルビー』(酒本雅之訳、国書刊行会)を読む。
書類の点検をお願いすると、バートルビーは「せずにすめばありがたいのですが」と答える。用事を頼むと、きまって明瞭な語調で「せずにすめばありがたいのですが」といい残して消えてしまう。なぜ断るのかと問いつめても、「せずにすめばありがたいのです」。
ある日、バートルビーは事務所に住み着いていることがわかる。出ていけといっても出ていかない。
「せずにすめばありがたいのです」
ヘンな小説だ。おもしろくてこわい。いや、これこそ小説だ。いわゆる奇妙な味の不思議な小説。浮世離れしたバートルビーにたいする「わたし」の心の動きがものすごく緻密に描かれていて、自分の中にもある困ったところ、あるいは困ったなあとおもわされたことをかんがえさせられてしまう。
正月に京都に行ったとき、海外には梅崎春生みたいな作家はいないのかという話をしていて、それで扉野さんが送ってくれたのかもしれない。そうだったような気がする。
ジョン・サイモンズ・アルバムを聴いていたら、ハース・マルティネスのアルバムがほしくなる。
ハース・マルティネスの紙ジャケCDが出ているのを知らなかった。音楽雑誌を買わなくなったので、どんどん情報に疎くなっている。
どこからともなく「仕事しろ」という声がする。
せずにすめばありがたいのですが。
今、酔っぱらっている。たぶん、あとで読み返したら、わけのわからない文章になっていそうだ。
いい気分なのでよしとする。
ずっと感熱紙用のFAXをつかっていた。しかし、今もう電気屋に行っても、感熱紙用のFAXは一機種しか売っていない。
普通紙用はインクリボンを買うのがめんどくさいし、A4しか受信できないし、気がすすまなかったのだが、この状況では選択の余地はない。普通紙用を買う。
説明書を読みながら、名前を登録したり、着信音を変更したり、いろいろやっているうちに午後になる。
子機でとった電話がまったく反応しない。前の機種は充電機からとりはずせば通話ができたのに、今度の機種は……ああ、そうか、そういう設定に切り替えられるのか。ややこしい。
気候の温暖がはげしいと、体調が崩れやすい。週末かるい風邪をひいた。
風邪は一日で治ったが、気力がもどらない。
こういうときは散歩だ、散歩が仕事だ。
高円寺の古本屋巡回コースを通って、南口のたけるのママの店でたぬきうどんを食い、青梅街道まで歩いて、それから丸ノ内線で南阿佐ケ谷駅まで行き、途中、衣料品店の奥にある喫茶店で休憩する。店で出来たばかりの永島慎二の『ある道化師の一日』(非売品・限定五百部)という本を見せてもらった。ものすごく凝った作りの本だった。
永島さんは、将棋駒も作っている。前に高円寺在住の森本レオさんに「ぼくは永島さんの駒もってるよ」と自慢された。永島さんの日記にも森本さんの名前がよく出てくる。
喫茶店を出て、南口の古本屋で店番をしていた助教授(愛称)とすこし喋る。
こんど、よるのひるねで一箱古本市(三月十八日・日曜日)をするそうだ。この日なんか予定がはいっていたような、いないような。忘れた。
阿佐ケ谷北口の古本屋にも寄ろうかとおもったが、疲れたので、ガード下を通って歩いて高円寺に向い、OKストアで買物してから家に帰る。
三、四キロは歩いたかもしれない。
ぐったりしたときによく聴くジョン・サイモンズ・アルバムを流しながら、部屋の掃除をして、京都の扉野さんに送ってもらったH・メルヴィルの『代書人バートルビー』(酒本雅之訳、国書刊行会)を読む。
書類の点検をお願いすると、バートルビーは「せずにすめばありがたいのですが」と答える。用事を頼むと、きまって明瞭な語調で「せずにすめばありがたいのですが」といい残して消えてしまう。なぜ断るのかと問いつめても、「せずにすめばありがたいのです」。
ある日、バートルビーは事務所に住み着いていることがわかる。出ていけといっても出ていかない。
「せずにすめばありがたいのです」
ヘンな小説だ。おもしろくてこわい。いや、これこそ小説だ。いわゆる奇妙な味の不思議な小説。浮世離れしたバートルビーにたいする「わたし」の心の動きがものすごく緻密に描かれていて、自分の中にもある困ったところ、あるいは困ったなあとおもわされたことをかんがえさせられてしまう。
正月に京都に行ったとき、海外には梅崎春生みたいな作家はいないのかという話をしていて、それで扉野さんが送ってくれたのかもしれない。そうだったような気がする。
ジョン・サイモンズ・アルバムを聴いていたら、ハース・マルティネスのアルバムがほしくなる。
ハース・マルティネスの紙ジャケCDが出ているのを知らなかった。音楽雑誌を買わなくなったので、どんどん情報に疎くなっている。
どこからともなく「仕事しろ」という声がする。
せずにすめばありがたいのですが。
今、酔っぱらっている。たぶん、あとで読み返したら、わけのわからない文章になっていそうだ。
いい気分なのでよしとする。
2007/02/15
絵本酒場
高円寺の古本酒場コクテイルがあずま通り移転三周年のイベントとして、「絵本酒場 コクテイル」(「古本海ねこ」さんによる出張販売)を開催しています(二月十四日〜三月十四日まで)。
初日の夜、行ってみたら、なんと店の看板が出ていません。薄暗い店内をのぞくと、店長の狩野さんと海ねこ夫妻が三人で飲んでいました。しかもべろんべろんです。前日の搬入のときに飲んでしまい、準備が間に合わなかったそうです。間に合わなくてもなんとかするのではなく、間に合わないなら店を閉めてしまうというところがいかにもコクテイルらしいとおもいました。
わたしも酒宴にまぜてもらいました。
*
絵本を見ていると、いろいろなことをおもいだす。小学校の学級文庫にあった絵本がある。なつかしい。
いろいろ棚をながめていると、常連のダンディさんがやってきた。
「あれ? 休みなの?」
またひとり仲間がくわわった。
飲みながら、つぎつぎと絵本をとりだし、子どものころに読んだ絵本の話などでもりあがる。
わたしは『せいめいのれきし』(バージニア・リー・バートン 文・え/いしいももこ やく、岩波書店)という絵本を買うことにした。
銀河系のはなし、太陽系のはなし、地球のはなし……ときて、地球上に生命が誕生し、現在にいたるまでの流れが描かれた絵本だ。子どものころ、何百回読んだかわからない。
《考えられないほど大昔、太陽がうまれました。
そしてこの太陽は、何億、何兆という星の集りである、銀河系とよばれる星雲のなかの、ひとつの星です、
そしてまた、この銀河系は、宇宙とよばれる、ひろいひろい空間を、おそろしい勢いで、ぐるぐるまわっている、何億、何兆もの星雲のひとつです。
わたしたちの太陽は、これらの星のなかで、一ばん大きくもなく、一ばん小さくもありませんが、わたしたちにとっては一ばんだいじだ——というわけは、太陽の光の熱がなかったら、この地球では、何もいきていけないのです》(プロローグ 1ば)
子どものころ、宇宙の大きさや宇宙が生まれてから人が生まれるまでの時間についておもいをはせると、得体のしれない不安をかんじた。宇宙の中で自分がちっぽけな存在であることはまぎれもない事実として認めざるをえない。億、兆という数字が頭にはいる。その数字の大きさをかんがえると、頭がはちきれそうになり、気がとおくなった。
この絵本を読んだときもそうだった。
自分がいて、家があり、町があり、市があり、県があり、日本があり、地球があり、太陽系があり、銀河系があり、宇宙がある。
地球がまわり、太陽系がまわり、銀河系もまわる。頭がくらくらする話である。
酒がまわってきて頭がくらくらしていると、またひとり常連の昼間は郵便局で働いているネット古書店のTさんがやってきた。
体調があまりよくないという。
「風邪のときは焼酎がいいよ」
「もう飲んできたよ」
生命が誕生し、気のとおくなるような時間を経て人類に進化し、人類は言葉をおぼえ、文字を作り、酒を作り、活版印刷を発明し、本や絵本を出版するようになりました。それから数々の古本屋さんができて、古本酒場コクテイルも開店しました。
《さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。その主人公はあなたがたです。ぶたいのよういは、できました。時は、いま。場所は、あなたのいるところ。
いますぎていく一秒一秒が、はてしない時のくさりの、新しいわです。
いきものの演ずる劇は、たえることなくつづき——いつも新しく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます》(エピローグ)
進化した人類の一員であるはずのわれわれは頭足類のようにぐにゃぐにゃに酔っ払い、店長さんは三葉虫のように床で寝ています。ひょっとしたら、人はどんどん退化しているのかもしれません。
「絵本酒場 コクテイル」のぶたいのよういは、できましたか? 狩野さん。
初日の夜、行ってみたら、なんと店の看板が出ていません。薄暗い店内をのぞくと、店長の狩野さんと海ねこ夫妻が三人で飲んでいました。しかもべろんべろんです。前日の搬入のときに飲んでしまい、準備が間に合わなかったそうです。間に合わなくてもなんとかするのではなく、間に合わないなら店を閉めてしまうというところがいかにもコクテイルらしいとおもいました。
わたしも酒宴にまぜてもらいました。
*
絵本を見ていると、いろいろなことをおもいだす。小学校の学級文庫にあった絵本がある。なつかしい。
いろいろ棚をながめていると、常連のダンディさんがやってきた。
「あれ? 休みなの?」
またひとり仲間がくわわった。
飲みながら、つぎつぎと絵本をとりだし、子どものころに読んだ絵本の話などでもりあがる。
わたしは『せいめいのれきし』(バージニア・リー・バートン 文・え/いしいももこ やく、岩波書店)という絵本を買うことにした。
銀河系のはなし、太陽系のはなし、地球のはなし……ときて、地球上に生命が誕生し、現在にいたるまでの流れが描かれた絵本だ。子どものころ、何百回読んだかわからない。
《考えられないほど大昔、太陽がうまれました。
そしてこの太陽は、何億、何兆という星の集りである、銀河系とよばれる星雲のなかの、ひとつの星です、
そしてまた、この銀河系は、宇宙とよばれる、ひろいひろい空間を、おそろしい勢いで、ぐるぐるまわっている、何億、何兆もの星雲のひとつです。
わたしたちの太陽は、これらの星のなかで、一ばん大きくもなく、一ばん小さくもありませんが、わたしたちにとっては一ばんだいじだ——というわけは、太陽の光の熱がなかったら、この地球では、何もいきていけないのです》(プロローグ 1ば)
子どものころ、宇宙の大きさや宇宙が生まれてから人が生まれるまでの時間についておもいをはせると、得体のしれない不安をかんじた。宇宙の中で自分がちっぽけな存在であることはまぎれもない事実として認めざるをえない。億、兆という数字が頭にはいる。その数字の大きさをかんがえると、頭がはちきれそうになり、気がとおくなった。
この絵本を読んだときもそうだった。
自分がいて、家があり、町があり、市があり、県があり、日本があり、地球があり、太陽系があり、銀河系があり、宇宙がある。
地球がまわり、太陽系がまわり、銀河系もまわる。頭がくらくらする話である。
酒がまわってきて頭がくらくらしていると、またひとり常連の昼間は郵便局で働いているネット古書店のTさんがやってきた。
体調があまりよくないという。
「風邪のときは焼酎がいいよ」
「もう飲んできたよ」
生命が誕生し、気のとおくなるような時間を経て人類に進化し、人類は言葉をおぼえ、文字を作り、酒を作り、活版印刷を発明し、本や絵本を出版するようになりました。それから数々の古本屋さんができて、古本酒場コクテイルも開店しました。
《さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。その主人公はあなたがたです。ぶたいのよういは、できました。時は、いま。場所は、あなたのいるところ。
いますぎていく一秒一秒が、はてしない時のくさりの、新しいわです。
いきものの演ずる劇は、たえることなくつづき——いつも新しく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます》(エピローグ)
進化した人類の一員であるはずのわれわれは頭足類のようにぐにゃぐにゃに酔っ払い、店長さんは三葉虫のように床で寝ています。ひょっとしたら、人はどんどん退化しているのかもしれません。
「絵本酒場 コクテイル」のぶたいのよういは、できましたか? 狩野さん。
2007/02/14
化け物
すこし前に『大闘論 われらの戦後30年——ドキュメント・のんすとっぷ24時間』(編集JJC、講談社)という昭和五十年八月十三日に新宿コマ劇場で行われた徹夜集会の模様を収録したムックを買った。
この本の中に合化労委員長で元総評議長の太田薫と阿佐田哲也の対談(司会は前田武彦)が収録されていて、「なぜこの二人が?」とおもいながら読んでいたのだが、話が噛み合っているようで噛み合っていないところもふくめて面白かった。
《前田 なにか太田さんの書いた本の中に、麻雀の駆け引きといわゆる労働運動の駆け引きという議論があったそうですね。
太田 うんまあ、ありますけどね。やはり労働運動かて、賃上げならね、また来年上げるいうことがありますけど、首切りの反対闘争の時にはね、ギャンブル的なことやっちゃダメですね。正攻法でいかないと……。そんな博奕打つようなことして、大負けしたらダメですからね。たとえば、ある石ケン会社がつぶれると最近新聞に出ていて、全部が銀行に押さえられておると、そこで首切り反対闘争をして、ストライキやって、五十のおじさんに退職金もやれなんで路頭に迷わしたら困るからね、少くとも退職金はとるというとっから始めて、なお攻められたらよけいにとるとか、首つなぐとか、堅くいきますね。
前田 堅い麻雀ですね。
太田 うん、堅いというより、全然、博奕は打ちませんね。絶対勝つ、マイナスにならんという方法をとりますね。
阿佐田 プロの博奕打ちの博奕というのは、商売ですから、一生それで生きていかねばなりませんし、勝つか負けるかわからんということに手を出してはまずいわけですね。そういう博奕を打って死んでいくのは旦那衆で、だから見た目には派手な、一か八かという博奕を打って勝っても、あまり自慢にならんわけです。
前田 しかし、ギャンブルってのは、負ける可能性のないものをやってたんでは、全然、面白味がないでしょうね。
阿佐田 商売だったら面白味は論外でしょうね。レジャーだったら、負ける可能性があっても面白く打とう、ウルトラCをやってみようということになるでしょうが……》
プロとアマ。商売。博奕。ここのところ、そういったことが頭の中から離れない。
昨日の昼も同業の友人と電話で「ここらで勝負しないと、じり貧になる」「といっても、生活とのかねあいがねえ」とあいかわらず酔っ払いの愚痴みたいな話をしていた。
「才能がほしいねえ」
「貫録や人望もほしいよ」
「どっかに売ってねえかなあ」
「噂によると、中央線沿線には売ってないって話だよ」
(……以下、「雀聖の処世」と解題し、『活字と自活』本の雑誌社所収)
この本の中に合化労委員長で元総評議長の太田薫と阿佐田哲也の対談(司会は前田武彦)が収録されていて、「なぜこの二人が?」とおもいながら読んでいたのだが、話が噛み合っているようで噛み合っていないところもふくめて面白かった。
《前田 なにか太田さんの書いた本の中に、麻雀の駆け引きといわゆる労働運動の駆け引きという議論があったそうですね。
太田 うんまあ、ありますけどね。やはり労働運動かて、賃上げならね、また来年上げるいうことがありますけど、首切りの反対闘争の時にはね、ギャンブル的なことやっちゃダメですね。正攻法でいかないと……。そんな博奕打つようなことして、大負けしたらダメですからね。たとえば、ある石ケン会社がつぶれると最近新聞に出ていて、全部が銀行に押さえられておると、そこで首切り反対闘争をして、ストライキやって、五十のおじさんに退職金もやれなんで路頭に迷わしたら困るからね、少くとも退職金はとるというとっから始めて、なお攻められたらよけいにとるとか、首つなぐとか、堅くいきますね。
前田 堅い麻雀ですね。
太田 うん、堅いというより、全然、博奕は打ちませんね。絶対勝つ、マイナスにならんという方法をとりますね。
阿佐田 プロの博奕打ちの博奕というのは、商売ですから、一生それで生きていかねばなりませんし、勝つか負けるかわからんということに手を出してはまずいわけですね。そういう博奕を打って死んでいくのは旦那衆で、だから見た目には派手な、一か八かという博奕を打って勝っても、あまり自慢にならんわけです。
前田 しかし、ギャンブルってのは、負ける可能性のないものをやってたんでは、全然、面白味がないでしょうね。
阿佐田 商売だったら面白味は論外でしょうね。レジャーだったら、負ける可能性があっても面白く打とう、ウルトラCをやってみようということになるでしょうが……》
プロとアマ。商売。博奕。ここのところ、そういったことが頭の中から離れない。
昨日の昼も同業の友人と電話で「ここらで勝負しないと、じり貧になる」「といっても、生活とのかねあいがねえ」とあいかわらず酔っ払いの愚痴みたいな話をしていた。
「才能がほしいねえ」
「貫録や人望もほしいよ」
「どっかに売ってねえかなあ」
「噂によると、中央線沿線には売ってないって話だよ」
(……以下、「雀聖の処世」と解題し、『活字と自活』本の雑誌社所収)
2007/02/12
休日のすごし方
連休というのにこれといってすることがなく、中野ブロードウェイセンターに漫画二十冊、CD十四枚売りに行く。合計で一万円ちょっとになる。まあ、納得の値段である。でも漫画は半分ちかく返品されてしまった。今のまんだらけの買取基準はよくわからない。
漫画とCDを売って得た金は、だいたい数日分の煙草と酒代で消えてしまうだろう。
帰り道、中古CD屋でブライアン・ギャリの『PREVIOUSLY UNRELEASED』を見つけた。六九〇円は安い。大阪のemRECORDから出ているブライアン・ギャリのベスト盤にも負けず劣らずの出来で、売った十四枚CDの価値をはるかにしのぐほど素晴らしいアルバムだった。会心の一枚。一九八八年〜二〇〇三年にかけての録音だが、音は一九七〇年代のニューヨーク・ポップ。ブライアン・ギャリのちょっと情けない声も好きだ。
ブライアン・ギャリの場合、新しいとか古いとか、そういう価値観とは関係ないところ音楽を作っている。十八歳のときに作った曲と五十歳のときに作った曲が、ほとんど同じなのである。
一九八〇年代、中学生のころ田舎にレンタルレコード屋ができて、往復一時間以上かけて自転車で通いつめた。当時から一九六〇年代から一九七〇年代のレコードをさかのぼって聴いていた。
ちょうどレコードからCDに切り替わりはじめたころだった。
経済事情はきびしく、ほしいレコードがおもうように買えない。当時CDも一枚三千二百円から三千八百円くらいした。
高校時代は、近所の電気屋兼レコード屋の店長と仲良くなり、サンプル盤をもらったり、店で勝手に聴きたいレコードをテープにダビングしていた。
世の中にはたくさんの素晴らしい音楽があるのに、好きになるのはだいたい似たような、せまいジャンルの音楽ばかりだ。それでもまだだま知らないミュージシャンがいる。未発表音源やライブ録音といった海賊盤の世界もひろがっている。そのあたりを探究しはじめるとキリがない。
「寿司一回食ったとおもえば」
「旅行にいったとおもえば」
「趣味が骨董とか美術とかだったら、もっとたいへんだ」
「洋服とか鞄とか時計とかにバカみたいな金をつかっている人間もいるんだ」
「車持ってないし、これくらいの趣味への出費はやむをえない」
「タバコ、減らそう」
「髪、自分で切っているし、自炊してるし、これくらいの贅沢は許されてしかるべきだ」
そんなことを考えながら、レコードを買う。古本を買うときも同様である。
海賊盤マニアの友人にいわせると、この世界にはさらにオークションという魔道もあるそうだ。そこでは十万円、百万円の戦いが繰り広げられている。
さらにオーディオマニアになると、スピーカーのケーブルが一本十数万円という世界が待ち受けている。
そういう世界にだけは足をふみいれないつもりでいるが、平日に中古レコード屋をまわって、三十代後半になってもライブハウスで酒を飲んでいる。こんなふうに齢をとるとは、心外ではないが、意外ではある。
友人のバンドマンは次々と四十代をむかえている。定職につかず、アルバイトをしながら、その日暮らしを満喫している彼らを見ながら、まだ大丈夫、四十代もこれでいける、と心のどこかで自分にいい聞かせている。
人生には、目標だけでなく、保険も必要だ。
目標を変えたところで、どうにかなるものでもない。今さら大きく軌道修正しても、それが幸せな未来が待っているとはおもえない。それよりどうやってマンネリを打破するかのほうが重要な懸案事項といえよう。
好きなことを続けるのは楽ではない。ただ同じ苦労するなら、自分が楽しいとおもえることで苦労したほうがマシだ。
「未来は今とつながっているわけだから、今がつまらんと未来もきっとつまらんとおもうんだよ、おれは」
酔っ払ったバンドマンがときどきそういうことをいう。わたしの頭のなかには彼らのそういう言葉がしみついている。
わたしは過去のものばかり好きになる。一日の大半は古本を読み、中古レコードを聴いている。
《六〇年代を忘れられない人がいる。戦争を忘れられない人がいる。自分のバンドが、ホープ・アンド・アンカーでドクター・フィールグッドの前座を務めたときを、忘れられない人もいる。そういう人は、そのときから、うしろむきに歩みはじめる。(中略)音楽とみじめさ。そのどちらが最初に存在していたのだろう。ぼくはみじめな男だったから音楽を聞いていたのだろうか。それとも、音楽を聞いていたからみじめだったのだろうか》(ニック・ホーンビィ著『ハイ・フィディリティ』森田義信訳/新潮文庫)
二〇世紀末、中古レコード屋を営む、このさえない主人公にしたイギリスの小説にやられてしまった。
《キャリアを作るうえで、絶対にやってはいけないこと。a, 恋人と別れ、b. 大学をやめ、c, レコード・ショップで働きはじめ、d. その後もずっとレコード・ショップで働きつづける。これだ》
ひまさえあれば、無人島に持ってゆく五枚のレコードのことを考えている。これまで読んだ本や観た映画のベストファイブについて考えている。
漫画とCDを売って得た金は、だいたい数日分の煙草と酒代で消えてしまうだろう。
帰り道、中古CD屋でブライアン・ギャリの『PREVIOUSLY UNRELEASED』を見つけた。六九〇円は安い。大阪のemRECORDから出ているブライアン・ギャリのベスト盤にも負けず劣らずの出来で、売った十四枚CDの価値をはるかにしのぐほど素晴らしいアルバムだった。会心の一枚。一九八八年〜二〇〇三年にかけての録音だが、音は一九七〇年代のニューヨーク・ポップ。ブライアン・ギャリのちょっと情けない声も好きだ。
ブライアン・ギャリの場合、新しいとか古いとか、そういう価値観とは関係ないところ音楽を作っている。十八歳のときに作った曲と五十歳のときに作った曲が、ほとんど同じなのである。
一九八〇年代、中学生のころ田舎にレンタルレコード屋ができて、往復一時間以上かけて自転車で通いつめた。当時から一九六〇年代から一九七〇年代のレコードをさかのぼって聴いていた。
ちょうどレコードからCDに切り替わりはじめたころだった。
経済事情はきびしく、ほしいレコードがおもうように買えない。当時CDも一枚三千二百円から三千八百円くらいした。
高校時代は、近所の電気屋兼レコード屋の店長と仲良くなり、サンプル盤をもらったり、店で勝手に聴きたいレコードをテープにダビングしていた。
世の中にはたくさんの素晴らしい音楽があるのに、好きになるのはだいたい似たような、せまいジャンルの音楽ばかりだ。それでもまだだま知らないミュージシャンがいる。未発表音源やライブ録音といった海賊盤の世界もひろがっている。そのあたりを探究しはじめるとキリがない。
「寿司一回食ったとおもえば」
「旅行にいったとおもえば」
「趣味が骨董とか美術とかだったら、もっとたいへんだ」
「洋服とか鞄とか時計とかにバカみたいな金をつかっている人間もいるんだ」
「車持ってないし、これくらいの趣味への出費はやむをえない」
「タバコ、減らそう」
「髪、自分で切っているし、自炊してるし、これくらいの贅沢は許されてしかるべきだ」
そんなことを考えながら、レコードを買う。古本を買うときも同様である。
海賊盤マニアの友人にいわせると、この世界にはさらにオークションという魔道もあるそうだ。そこでは十万円、百万円の戦いが繰り広げられている。
さらにオーディオマニアになると、スピーカーのケーブルが一本十数万円という世界が待ち受けている。
そういう世界にだけは足をふみいれないつもりでいるが、平日に中古レコード屋をまわって、三十代後半になってもライブハウスで酒を飲んでいる。こんなふうに齢をとるとは、心外ではないが、意外ではある。
友人のバンドマンは次々と四十代をむかえている。定職につかず、アルバイトをしながら、その日暮らしを満喫している彼らを見ながら、まだ大丈夫、四十代もこれでいける、と心のどこかで自分にいい聞かせている。
人生には、目標だけでなく、保険も必要だ。
目標を変えたところで、どうにかなるものでもない。今さら大きく軌道修正しても、それが幸せな未来が待っているとはおもえない。それよりどうやってマンネリを打破するかのほうが重要な懸案事項といえよう。
好きなことを続けるのは楽ではない。ただ同じ苦労するなら、自分が楽しいとおもえることで苦労したほうがマシだ。
「未来は今とつながっているわけだから、今がつまらんと未来もきっとつまらんとおもうんだよ、おれは」
酔っ払ったバンドマンがときどきそういうことをいう。わたしの頭のなかには彼らのそういう言葉がしみついている。
わたしは過去のものばかり好きになる。一日の大半は古本を読み、中古レコードを聴いている。
《六〇年代を忘れられない人がいる。戦争を忘れられない人がいる。自分のバンドが、ホープ・アンド・アンカーでドクター・フィールグッドの前座を務めたときを、忘れられない人もいる。そういう人は、そのときから、うしろむきに歩みはじめる。(中略)音楽とみじめさ。そのどちらが最初に存在していたのだろう。ぼくはみじめな男だったから音楽を聞いていたのだろうか。それとも、音楽を聞いていたからみじめだったのだろうか》(ニック・ホーンビィ著『ハイ・フィディリティ』森田義信訳/新潮文庫)
二〇世紀末、中古レコード屋を営む、このさえない主人公にしたイギリスの小説にやられてしまった。
《キャリアを作るうえで、絶対にやってはいけないこと。a, 恋人と別れ、b. 大学をやめ、c, レコード・ショップで働きはじめ、d. その後もずっとレコード・ショップで働きつづける。これだ》
ひまさえあれば、無人島に持ってゆく五枚のレコードのことを考えている。これまで読んだ本や観た映画のベストファイブについて考えている。
2007/02/09
残るもの
ここ数日、飲みすぎてからだがだるい。
気分が沈んでいるとき、自分を立て直すのは一日がかりの仕事だ。CDを聴きながら、友人のみやげのハワイのコーヒーを飲み、洗濯して、部屋を掃除し、散歩に出かける。
高円寺駅に建設中のホテルの一階に「黒酢バー」という看板が気になる。誰が利用するのだろう。
駅前まで歩き、いつものように都丸書店(支店)に行く。もはや習性。足が勝手にむかってしまう。
店内に吉田健一著『乞食王子』(新潮社、昭和三十一年)があった。講談社文芸文庫にもはいっているが、わたしは新書版のサイズの本に目がない。黒い表紙もかっこいい。
この本の中に「文士」と題するエッセイがある。
戦争中、文学報告会の集まりで小林秀雄が文士は不言実行だといった。
《口舌の徒と思われ勝ちな文士が不言實行の人間であるというのは、つまり、それが口舌の徒と文士というものの違いなのである。戦争中を喋って通し、今日でも喋るのを止めない連中の言葉に就て直ぐに感じることは、それがそこに出て來る時代の流行語を少しばかり變えればいつの時代にも當り障りなく通用し、その意味で全く抵抗を缺いていて、實質的には何も言えてないということである。
これを、眞實の言葉がいつの時代にも通用するということと混同してはならない。
時代には、それと一緒にすべてのものを流し去る作用があって、人の心に殘る言葉を吐く爲めには、まずこの作用に逆うことから始めることが必要であり、眞實の言葉は常にそういう時代に對する抵抗を通して我々に語りかける》
時代に抵抗する。これは簡単なことではない。わざと時代に抵抗したものは、やっぱりその時代といっしょに流されてしまう。
新しい表現が古くなるというのは珍しいことではない。表現にも旬がある。そのときどきの時代の追い風のようなものがあり、風がやんだとたん、あるいは向い風になったとたん、急につまらなくなってしまう。逆に、向い風、あるいは無風状態の中で作られたものが、時をへても、まったく古びていないということもある。
《時代に逆らうというのは、先ず自分に逆らうことであり、自分に逆って行き着いた自分の奥底に言葉を見付けることである》
時代に抵抗するというのは、時代に迎合しないということか。自分に逆らうというのは、自分を疑うこと、かっこつけないこと、借り物の思想をふりかざさないこと……いろいろおもいあたる。時代への抵抗にたいして、自分自身の考えにも内省がなければ、薄っぺらな言葉になってしまう。
時代にたいしても、そして自分にたいしても「これでいいのか」と葛藤する。いや、この解釈も疑ったほうがいい。
「文士」につづく「水増し文化」というエッセイには、こんなことが書いてある。
《今日、文學は隆盛であると言われて、確かに文士の中のあるものは自家用車を持つ位にまではなった。併し要求されているのは文學ではない。文學の觀念だけは流行しているから、この名稱で讀者を釣る一方、實際に文士が書くことを頼まれるのは、文士が書いたものだから文學だという程度にしか文學と縁がない、或は、なくても少しも構わない、手っ取り早くいえば、讀み易いものなのである。そしてこの讀み易いというのが高校生、つまり、理解力が昔の中學生にも劣る人間を目標に置いてであることも、大概の注文に付け加えられている》
今はもっと読みやすいものが求められている。自分で考えたり、調べたりする手間を惜しんで、すぐわからないと文句をいう人を目標にしている。わかりにくいものを書くと、自分でもよくわかっていないことを書いていると揶揄されることもある。時代に抵抗するために、わざと難解に書けばいいというものでもない。
心に残る言葉というのは、かならずしもわかりやすいものではない。
そこにたどりつくまでに苦労し、その苦労が報われた喜びがあってはじめて心に残ることもある。なにかしら、ひっかかりをおぼえ、逡巡する。
吉田健一のおもしろさは、一読してすかっとわからないところにある。しかし考えさせられる。なにか大切が書かれているような雰囲気がただよっている。わからない一行、あるいは数行について何日も考えつづける。
自分に逆らうということが、しばらく頭から離れそうにない。
気分が沈んでいるとき、自分を立て直すのは一日がかりの仕事だ。CDを聴きながら、友人のみやげのハワイのコーヒーを飲み、洗濯して、部屋を掃除し、散歩に出かける。
高円寺駅に建設中のホテルの一階に「黒酢バー」という看板が気になる。誰が利用するのだろう。
駅前まで歩き、いつものように都丸書店(支店)に行く。もはや習性。足が勝手にむかってしまう。
店内に吉田健一著『乞食王子』(新潮社、昭和三十一年)があった。講談社文芸文庫にもはいっているが、わたしは新書版のサイズの本に目がない。黒い表紙もかっこいい。
この本の中に「文士」と題するエッセイがある。
戦争中、文学報告会の集まりで小林秀雄が文士は不言実行だといった。
《口舌の徒と思われ勝ちな文士が不言實行の人間であるというのは、つまり、それが口舌の徒と文士というものの違いなのである。戦争中を喋って通し、今日でも喋るのを止めない連中の言葉に就て直ぐに感じることは、それがそこに出て來る時代の流行語を少しばかり變えればいつの時代にも當り障りなく通用し、その意味で全く抵抗を缺いていて、實質的には何も言えてないということである。
これを、眞實の言葉がいつの時代にも通用するということと混同してはならない。
時代には、それと一緒にすべてのものを流し去る作用があって、人の心に殘る言葉を吐く爲めには、まずこの作用に逆うことから始めることが必要であり、眞實の言葉は常にそういう時代に對する抵抗を通して我々に語りかける》
時代に抵抗する。これは簡単なことではない。わざと時代に抵抗したものは、やっぱりその時代といっしょに流されてしまう。
新しい表現が古くなるというのは珍しいことではない。表現にも旬がある。そのときどきの時代の追い風のようなものがあり、風がやんだとたん、あるいは向い風になったとたん、急につまらなくなってしまう。逆に、向い風、あるいは無風状態の中で作られたものが、時をへても、まったく古びていないということもある。
《時代に逆らうというのは、先ず自分に逆らうことであり、自分に逆って行き着いた自分の奥底に言葉を見付けることである》
時代に抵抗するというのは、時代に迎合しないということか。自分に逆らうというのは、自分を疑うこと、かっこつけないこと、借り物の思想をふりかざさないこと……いろいろおもいあたる。時代への抵抗にたいして、自分自身の考えにも内省がなければ、薄っぺらな言葉になってしまう。
時代にたいしても、そして自分にたいしても「これでいいのか」と葛藤する。いや、この解釈も疑ったほうがいい。
「文士」につづく「水増し文化」というエッセイには、こんなことが書いてある。
《今日、文學は隆盛であると言われて、確かに文士の中のあるものは自家用車を持つ位にまではなった。併し要求されているのは文學ではない。文學の觀念だけは流行しているから、この名稱で讀者を釣る一方、實際に文士が書くことを頼まれるのは、文士が書いたものだから文學だという程度にしか文學と縁がない、或は、なくても少しも構わない、手っ取り早くいえば、讀み易いものなのである。そしてこの讀み易いというのが高校生、つまり、理解力が昔の中學生にも劣る人間を目標に置いてであることも、大概の注文に付け加えられている》
今はもっと読みやすいものが求められている。自分で考えたり、調べたりする手間を惜しんで、すぐわからないと文句をいう人を目標にしている。わかりにくいものを書くと、自分でもよくわかっていないことを書いていると揶揄されることもある。時代に抵抗するために、わざと難解に書けばいいというものでもない。
心に残る言葉というのは、かならずしもわかりやすいものではない。
そこにたどりつくまでに苦労し、その苦労が報われた喜びがあってはじめて心に残ることもある。なにかしら、ひっかかりをおぼえ、逡巡する。
吉田健一のおもしろさは、一読してすかっとわからないところにある。しかし考えさせられる。なにか大切が書かれているような雰囲気がただよっている。わからない一行、あるいは数行について何日も考えつづける。
自分に逆らうということが、しばらく頭から離れそうにない。
2007/02/01
勘と安定
なにかを決断するとき、わりと勘に頼るほうだ。ただその勘が冴えているなとおもうときと鈍っているなとおもえるときがある。
今、勘がさえているのかどうか、そのときにはわからない。
勘が冴えているときは、行動に迷いがない。
勘が冴えないときは、停滞している。
いや、そもそも勘を働かせる必要のない、大きな決断をする機会のない、退屈な日常が続いているだけなのかもしれない。
いやなことをやめるとき、頭でかんがえるよりも、全身が「もうだめだ」と悲鳴をあげる。それは勘ではないかもしれないが、そういうときは、頭よりもからだの反応にしたがう。
日常生活を維持していくためには、ガマンも大切だ。自分の感情や気持を抑え、なんとなく、いやだなあとおもうこともやりすごす。あるいはなかなか成果の出ないことでも、あきらめず時間をかけて、すこしずつ力をつけることによって、以前はできなかったことができるようになる。ガマンを続けていると、あるていどはからだの悲鳴をごまかすことができるようになる。それを続けていると、だんだん勘が鈍ってくる。勘が冴えるような状態を作るためには、なるべくガマンしないほうがいい。まったくガマンすることをやめたら、今の生活は続けられなくなる。なんか堂々めぐりだ。
勘が鈍っているときは、雑念にとらわれている。
頭がごちゃごちゃしている。
勘、直感というのはなにか、言葉で説明するのはむずかしいのだが、大人よりも子どものときのほうが、勘が冴えていたという気がする。
齢をとると、いろいろ失敗や試行錯誤を繰り返しているため、つい迷いが生じやすくなる。何事にも慎重になる。それで勢いがなくなる。
逆に、勢いを失ったおかげで、安定を得ているともいえる。
しかし安定は勘を鈍らせる。
ここ数年、勘が鈍っているときは、囲碁や将棋の棋士の本を読む。
勘、直観あるいは直観、閃きということに関して、彼らほど骨身を削って考えている人たちはいないとおもうからだ。
《二十代のイキのいい頃、私の打ち筋は「異常感覚」と観戦記者に書かれた。明治時代の棋譜から研究し、正統派を自認していた私は不本意だったが、今思えば、確かに奇抜な手を打っている。
だが、それも、日常、しっかり勉強していたからこそ瞬間的に閃いたものと思う。基本がなければ応用はできない。分厚い基盤が築かれた上で初めて、自由自在な動きが可能になるのだ。
相撲で稽古十分の力士が絶妙な離れ業を成功させ、「体が勝手に動いた」などとコメントすることがあるが、あれに近いかもしれない》(藤沢秀行著『野垂れ死に』新潮新書)
大酒飲みでギャンブルで億単位の借金をつくり、大病を克服し、棋聖戦六連覇をはじめ、数々の囲碁界のタイトルを獲得してきた棋士の言葉である。
閃きのもとには、日々の修行、稽古があるというわけだ。
ただ勝負の世界における閃きと日常生活や人生の決断にかんする閃きは、同じなのかという疑問が残る。
勝負するべきか、自重すべきか。
生きていれば、経験則ができる。その経験則にしたがって、決断、行動しているうちに、ものごとを深く考えなくなる。そしてちがう経験則で生きている他人を自分の経験則ではかるようになる……というのは、わたしの経験則なのだが、安定した状態というのも、深く考えないですむという意味では、それとちょっと似ている。
どうなるかわからないけど、なんとなくおもしろそうだ、楽しそうだという感覚で行動に移してしまえる人がいる。一見、無茶なことでも、動くことによって、新たな局面に出くわす。そこで学ぶことは、すくなくともわかっていることを淡々とこなすよりも、刺激がある。
勘で動く人は、わかる手前で、飛躍する。それこそ、からだが勝手に動いてしまうような状態になっているのだとおもう。わかったら、つまらない。ただ、わからないけど、その選択の先には、いくつも未来がある。
自分の勘を試せるかどうか。その賭けを避けるような人生だけは送りたくない。
………いかん、眠くなってきた。今日はここまで。
(追記)
勘については、科学、心理学でもさまざまな説が飛び交っている。
たとえば、勘が当るというのは錯覚という説。ようするに、勘が当ったときのほうが印象に残りやすく、外れたときのことは忘れやすい(ギャンブルも勝ったときのほうが、負けたときよりよくおぼえている)。また熟慮の末に導き出したつもりの結論も、実は最初にひらめきがあって、後追いで理屈をつけたにすぎないという説もある。それから言葉や論理で理解するよりも、勘のほうが、視覚、聴覚、嗅覚、過去の経験など、さまざまな感覚を駆使しているため、正しい判断を下していることが多いという説もある。
安定すると勘が鈍るというような気がしていたが、余裕がないと判断が鈍ることも多い。
今、勘がさえているのかどうか、そのときにはわからない。
勘が冴えているときは、行動に迷いがない。
勘が冴えないときは、停滞している。
いや、そもそも勘を働かせる必要のない、大きな決断をする機会のない、退屈な日常が続いているだけなのかもしれない。
いやなことをやめるとき、頭でかんがえるよりも、全身が「もうだめだ」と悲鳴をあげる。それは勘ではないかもしれないが、そういうときは、頭よりもからだの反応にしたがう。
日常生活を維持していくためには、ガマンも大切だ。自分の感情や気持を抑え、なんとなく、いやだなあとおもうこともやりすごす。あるいはなかなか成果の出ないことでも、あきらめず時間をかけて、すこしずつ力をつけることによって、以前はできなかったことができるようになる。ガマンを続けていると、あるていどはからだの悲鳴をごまかすことができるようになる。それを続けていると、だんだん勘が鈍ってくる。勘が冴えるような状態を作るためには、なるべくガマンしないほうがいい。まったくガマンすることをやめたら、今の生活は続けられなくなる。なんか堂々めぐりだ。
勘が鈍っているときは、雑念にとらわれている。
頭がごちゃごちゃしている。
勘、直感というのはなにか、言葉で説明するのはむずかしいのだが、大人よりも子どものときのほうが、勘が冴えていたという気がする。
齢をとると、いろいろ失敗や試行錯誤を繰り返しているため、つい迷いが生じやすくなる。何事にも慎重になる。それで勢いがなくなる。
逆に、勢いを失ったおかげで、安定を得ているともいえる。
しかし安定は勘を鈍らせる。
ここ数年、勘が鈍っているときは、囲碁や将棋の棋士の本を読む。
勘、直観あるいは直観、閃きということに関して、彼らほど骨身を削って考えている人たちはいないとおもうからだ。
《二十代のイキのいい頃、私の打ち筋は「異常感覚」と観戦記者に書かれた。明治時代の棋譜から研究し、正統派を自認していた私は不本意だったが、今思えば、確かに奇抜な手を打っている。
だが、それも、日常、しっかり勉強していたからこそ瞬間的に閃いたものと思う。基本がなければ応用はできない。分厚い基盤が築かれた上で初めて、自由自在な動きが可能になるのだ。
相撲で稽古十分の力士が絶妙な離れ業を成功させ、「体が勝手に動いた」などとコメントすることがあるが、あれに近いかもしれない》(藤沢秀行著『野垂れ死に』新潮新書)
大酒飲みでギャンブルで億単位の借金をつくり、大病を克服し、棋聖戦六連覇をはじめ、数々の囲碁界のタイトルを獲得してきた棋士の言葉である。
閃きのもとには、日々の修行、稽古があるというわけだ。
ただ勝負の世界における閃きと日常生活や人生の決断にかんする閃きは、同じなのかという疑問が残る。
勝負するべきか、自重すべきか。
生きていれば、経験則ができる。その経験則にしたがって、決断、行動しているうちに、ものごとを深く考えなくなる。そしてちがう経験則で生きている他人を自分の経験則ではかるようになる……というのは、わたしの経験則なのだが、安定した状態というのも、深く考えないですむという意味では、それとちょっと似ている。
どうなるかわからないけど、なんとなくおもしろそうだ、楽しそうだという感覚で行動に移してしまえる人がいる。一見、無茶なことでも、動くことによって、新たな局面に出くわす。そこで学ぶことは、すくなくともわかっていることを淡々とこなすよりも、刺激がある。
勘で動く人は、わかる手前で、飛躍する。それこそ、からだが勝手に動いてしまうような状態になっているのだとおもう。わかったら、つまらない。ただ、わからないけど、その選択の先には、いくつも未来がある。
自分の勘を試せるかどうか。その賭けを避けるような人生だけは送りたくない。
………いかん、眠くなってきた。今日はここまで。
(追記)
勘については、科学、心理学でもさまざまな説が飛び交っている。
たとえば、勘が当るというのは錯覚という説。ようするに、勘が当ったときのほうが印象に残りやすく、外れたときのことは忘れやすい(ギャンブルも勝ったときのほうが、負けたときよりよくおぼえている)。また熟慮の末に導き出したつもりの結論も、実は最初にひらめきがあって、後追いで理屈をつけたにすぎないという説もある。それから言葉や論理で理解するよりも、勘のほうが、視覚、聴覚、嗅覚、過去の経験など、さまざまな感覚を駆使しているため、正しい判断を下していることが多いという説もある。
安定すると勘が鈍るというような気がしていたが、余裕がないと判断が鈍ることも多い。
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