2009/03/27
可もなく不可もなく
年齢のちがいはあるかもしれないが、たいていの人は経験することだろう。
三十代でもそれがくる。
四十代になったら、もっとたいへんだよと教えてもらった。
覚悟はしておこう。
これまでの研究では自分への期待値をあまり高く見つもらないほうがいいということがわかってきた。
気力が充実し、体調も万全の状態なんてものはそうそうない。「可もなく不可もなく」くらいの調子でよしとする。
バロメーターとしては、布団を上げたり、食器洗いをしたり、近所の古本屋に行ったりする元気があるかどうか。
調子がよくないとそれすら億劫にかんじる。そういうときはなるべく怠ける。「可もなく不可もなく」ではなく、あきらかにダメなときは休むしかない。
そのときどきに何らかの課題があるときのほうが、やる気は出やすい。
ただし、その課題が今の自分の手に負えるものかどうか。楽すぎても難しすぎてもいけない。
二十代のころは、とにかく自分ひとりどうにか食っていければいいとおもっていた。目の前の仕事を片づけることでいっぱいいっぱいだった。
そうこうしているうちに三十代になり、書けば書くほど書くことがなくなってくる。
日々の疲れをとりながら、日々の仕事をこなしながら、日々の家事その他の雑用をこなしながら、今後のための勉強もしなけれならない。
それがだんだんむずかしくなる。
自分がほんとうに知りたいこと、ほんとうに必要なものというものは、そんなに多くない。むしろ情報過多におちいっているのではないかと心配になる。
二、三年、古典を読みふけって頭の中を整理したい気もするが、そんなことをしていたら、仕事にならない。
どうすれば好奇心や探求心を持ちつづけられるのか。
2009/03/23
ブックマーク・ナゴヤ
二十日、東京から名古屋、名古屋からJRで千種駅に。ちくさ正文館(新刊書店)、神無月書店(古本屋)を通って、今池のウニタ(新刊書店)という予備校時代にしょっちゅう通ったコースを経て、地下鉄東山線のシマウマ書房へ。
本山駅に降りるのは十八年ぶりくらいか。ずいぶん様がわりしていて、おしゃれな町になっていた。昔の印象とちがう。名古屋大学のちかくで、高校時代の友人が下宿していたアパートがあったのだけど、よれよれのTシャツ、ボロボロのジーンズか短パンにサンダルをはいた人(そのころの名大生は“本山原人”と呼ばれていた)が歩いているかんじの町だった。
シマウマ書房でのトークショーは「東西古本よもやまはなし」。林哲夫、岡崎武志、山本善行、南陀楼綾繁、扉野良人、わたしの六人。京都、東京の「sumus」同人が六人も集まるというのは、ひさしぶりのことだった。名古屋で「sumus」はほとんど売っていなかったはずで、こんなイベントが成立するのか心配だった。
当日、東京堂三階の畠中さん、晩鮭亭さん、Pippoさん、書肆紅屋さん、大阪からアホアホ本の中嶋さんがいて、すこしだけ緊張がやわらいだ。
トークの内容は「sumus」の前身の「ARE」のことから、古本ブームの変遷みたいな話になった。「sumus」が創刊した十年くらい前までは、古本好きのあいだでは初版本、稀覯本の話ばかりしていたが、だんだん好きな本を勝手に面白がるような雰囲気になってきたというようなことを林哲夫さんが語り、「ああ、そうだったのか」と感心した。
古本界の変遷の話を聞きながら、そろそろ次の展開を考えないとなあとぼんやりおもっていた。そのことばかり考えていて、トークショー中はまったく喋ることができなかった。名古屋まで何しにきたのかといわれたら、すみませんとあやまるしかない。
「sumus」にかかわりだしたのは、ちょうど三十歳くらいで、最初はここで何をしていいのかわからなかった。創刊号を読んだとき、自分も高尚なことを書かないといけないとおもったが、岡崎さんや山本さんを見ていたら、好きなことを好きなようにやろうという気になった。
同人それぞれ、興味の重なる部分と重ならない部分があって、同じ作家、同じ本が好きでも興味のあり方もちがっているということがだんだんわかってきた。
ひとりで書いていたときには漠然としていた自分の輪郭みたいなものもつかめてきた気がする。
変な人たちの中にいると、自分のまともなところが見えてきたり、まともな人たちの中にいると、自分の変なところが見えてきたりする。
そのうちだんだん自分の立ち位置のようなものが形成されてくる。
同人が東京と京都に離れて住んでいたこともよかったともおもう。
扉野さんがそうなのだけど、京都の「sumus」同人は、ものすごく時間をかけてひとつのことをほりさげる。
そういうふうに書かれたものを読んだり、会って話したりしていると、知らず知らずのうちに自分が効率とスピードを追求し、世の中の変化にふりまさていたことに気づかされる。
名古屋の話からズレてしまったけど、東京と京都、大阪のあいだにあって、独得の変化をとげている町だ。ほかの都会と比べて、地元志向が強く、住めば都だけど、住まないとよくわからない町かもしれない。
三重県にいたときは、名古屋のことをたんにだだっぴろくて車がいっぱい走っている騒々しいところだとおもっていた。ちょっとした用なら名駅(名古屋)前、あと駅の地下街でだいたいすんでしまうのである。
今回一箱古本市が開催された円頓寺商店街も知らなかった。名駅から歩いて十分くらいのところにこんなところがあったのか。昔ながらの商店街で道をすこしそれると古い町並も残っている。なつかしの昭和といったかんじで、一日中歩きまわったけど、ほんとうに楽しかった。この場所で一箱古本市を開催したのは大正解でしょう。いいイベントだった。
年に一度といわず、三ヶ月にいちどくらい古本市や骨董市を開催したら、県外からもいっぱい人がくるんじゃないかなあ。
以上、よそ者の勝手な感想です。
そのあともうひとつトークショーがあり、駅前で打ち上げをする。この日は三重の親元の家に一泊しようとおもっていた。飲んでいるうちに面倒くさくなって、南陀楼綾繁さん、古書ほうろうさんたちと栄のジャズ喫茶に。結局、カプセルホテルに泊るつもりが、漫画喫茶の十時間パックで朝まですごす。
翌朝、リブロの古本市(想像以上に棚が充実。文壇高円寺古書部も補充しました)を見てから東京に帰る。 二泊三日では足りない。
2009/03/18
充電というか
入場制限があるほどの大盛況。卵十個百円、鳥肉(国産もも)が百グラム四十九円だった。鮮魚コーナーもよさそうだ。
残念なのは営業時間は午後八時までということ。ららまーとは深夜二時まで営業していた。
ここ数日、何かやらなければいけないことを忘れているような気がして落ちつかなかった。夜、それが確定申告であることに気づいた(どうにか間に合った)。
西部古書会館の「大均一祭」で買った本にパラフィンをかける。
その後、ひたすら掃除。
『ヴィンランド・サガ』の七巻、『へうげもの』の八巻、『岳』の九巻を読む。
酒飲んで寝る。
現実逃避。
やる気が出ない。いつもなら四十八時間くらいだらだらすると、さすがに怠けることに飽きてきて、何かやろうという気になるのだけど、どうも調子が出ない。疲れたときに、甘いものを食ったら元気になるというような、単純な解決策はないものか。
読書欲も減退している。たまにそういうことはある。
いつもどうしていたのかとかんがえてみると、本を大量に整理していた。
蔵書が減ると、心おきなく本が買える。それで読書欲も復活する。
これからやる気のないときの研究をしようとおもう。
2009/03/13
グループ・ジーニアス
三年くらい前にジェームズ・スロウィッキー著『「みんなの意見」は案外正しい』(小高尚子訳、角川書店)という本が出ていて、「似たような本かな」とおもいながら手にとった。似ているところもあるが、ちがうところもあった。
『「みんなの意見」……』のほうは、「集合知」(集団の知恵)というテーマをあつかっていたとおもう。たとえば、グーグルなどであやふやな人名を検索すると、検索結果の数が多いほうが正解であることが多いというような話だ(ごめん、うろおぼえ)。
『凡才の集団は……』のキーワードは、「グループ・ジーニアス」あるいは「コラボレーション」である。
タイトルや装丁は、ビジネス書っぽいが、パラパラ読んでいるうちに、「グループ・ジーニアス」という言葉は、わたしの関心事である中央線文士、第三の新人、「荒地」の詩人、「トキワ荘」の漫画家とも無縁ではないことがわかってきた。
現在のイノベーションの多くは、一人の天才が生み出したものというより、相互に影響しあうグループから生れているという。
マウンテンバイク、グーグル・アース、eメール、リナックスといった発明も「グループ・ジーニアス」によって生まれた。
それだけではない。
トールキンの『指輪物語』、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』も、孤独な作家の思索が生み出した作品ではない。トールキン、ルイスらは地元の学者たちと「インクリングス」というグループを作っていた。そして毎週火曜日にパブに集まって、神話や叙事詩について議論したり、自身の作品の朗読をしたりしていた。
トールキンの未完の叙事詩に、ルイスが感想を書き送る。さらにメンバーが次々とアイデアを出し、それぞれの章を自宅で書き、会合で朗読する。
《私たちが作家に抱くイメージは、内なる霊感に突き動かされる孤独な姿といったものだが、『指輪物語』と『ナルニア国物語』は、独りで仕上げたものではない。孤高の天才の手がけた作品ではなく、前述のとおり、コラボレーションに満ちたサークルで展開された物語なのである》
ファンタジー文学好きには有名な話なのだろうか。もちろん「インクリングス」は「凡才の集団」ではなかったけど……。
日本でいえば、さいとう・たかをの『ゴルゴ13』が、ある種の分業、コラボレーションによって作られているのは有名な話だ。
分業や共作ではなく、もうすこし見えにくい形の「グループ・ジーニアス」というものもあるだろう。
たとえば「阿佐ケ谷会」は、井伏鱒二や木山捷平の作品にどういう影響をあたえたのか、あたえなかったのか。あるいは、小沼丹はどうか。小沼丹は、井伏鱒二と知りあわなかったら、どうなっていたのか。
ある時期の鮎川信夫と吉本隆明の交流は「グループ・ジーニアス」といえるようなものではなかったか。
かならずしも、コラボーレションというものではないかもしれないが、個々の才能が影響しあい、刺激しあうような関係や場所はあるとおもう。
そうした関係を作ったり、新しいものが生まれる場所を見つけたりすることも才能のひとつかもしれない。
2009/03/11
北、行く?
浪人時代に名古屋で一年すごした。予備校には家から通っていたのだけど、千種から今池、あと鶴舞から上前津あたりの古本屋をよくまわった。
当時はアナキスト詩人の本をあつめていた。
ここ数年、ブックオカ、ブックマーク・ナゴヤ、BOOK! BOOK! Sendaiと全国各地で本のイベントが開催されるようになった。そういう場所に行くと、本が好きで「今の状況をなんとかしたい」とおもっている熱意のある若い人とたくさん会う。
そういう場所に居合わせるだけで、ほんとうに刺激を受ける。
長年、地味でマイナーな場所にいると、なにをいっても無駄だという気持にしょっちゅうなる。正確な分析だとおもう。ただ、どうにもならないとおもっているとますますどうにもならなくなる。
どこかに損得ぬきで楽しもうという気持がないとだめだし、損ばかりでは続かない。そのバランスは続けていくことでしか見えてこない。
ちょうど一年くらい前、火星の庭の前野さんとコクテイルで飲んだときに「文学を売りたいんです」といわれた。
なにがなんでも売ってやるとおもいましたね。逆に「文学が売れない(雑誌が売れない)」という愚痴をこぼしていてもしょうがないともおもった。もちろん、その熱意を持続させることがむずかしいのだけど、その話はまたいつか。
というわけで、まだ少し先ですが、六月のBOOK! BOOK! Sendaiの告知を——。
今回は「わめぞ」も参加します。「文壇高円寺古書部」もセールをする予定です。
「北、行く?」 古本縁日 in 仙台 開催!! わめぞが、外市が仙台に!
■日時
2009年6月20日(土)・21日(日) 営業時間など詳細は後日発表
■会場
book cafe 火星の庭 http://www.kaseinoniwa.com/
書本&cafe magellan(マゼラン) http://magellan.shop-pro.jp/
BOOK! BOOK! Sendai http://bookbooksendai.com/
わめぞ http://d.hatena.ne.jp/wamezo/
◎武藤良子個展
6月11日(木)〜29日(月) 会場・火星の庭
2009/03/09
外市二周年
外市には第二回から参加。第一回のときは客として行って「続けてほしい」と書いた(気がする)。この調子だと十周年くらい、あっという間かもしれない。
外市初日、仕事のあと、終了まぎわに顔を出す。「古書荒川」で、かつてヤクルトスワーローズのエースだった松岡弘のサインボールを買う。
腰痛の影響で重いものを持ち上げるという動作にちょっと不安があり、後片づけは見学させてもらう。昼間、部屋探しとアルバイトの面接をすませてきたu-senさんも合流。どちらも無事決まったそうだ。この春からわめぞ民に。おめでとう。
二日目。古書現世の向井さんが読みたいといっていた能條純一『哭きの竜』の全巻セットを持って行く(西部古書会館で安く売っていた)。
池袋往来座の瀬戸さんに松本圭二の詩集を売ってもらう。うれしい。
昼食後、ジュンク堂に『没後33年記念事業 時代を先取りした作家 梶山季之をいま見直す』(中国新聞社、二〇〇七年刊)を買いに行く。この本すでにインターネットではプレミアが付いている。ジュンクにかろうじて在庫が一点あった。けっこう微妙な作り。でも藤本義一の講演はよかった。
しかし二日間、よく雨に降らなかったなあ。お台場のほうは、雨降っていたらしい。
あと来週は、西部古書会館で『第3回 大均一祭』(paradis、コクテイル書房、オヨヨ書林)が開催されます。
十四日(土)→全品二百円
十五日(日)→全品百円
(西部古書会館)
杉並区高円寺北2-19-9
http://www.kosho.ne.jp/~tokyo/kaikan_w.htm
2009/03/03
書かずにはゐられない
最初の手紙のタイトルが、「私は書かずにはゐられない」。十代の辻征夫は、この文庫を読み、その教えを守り続けた。
《沈思黙考しなさい。あなたに書けと命ずる根拠をお究めなさい》
《何よりもまづ、あなたの夜の最も静かな時間に、自分は書かずにはゐられないのか、と御自分にお尋ねなさい》
手紙の日付は一九〇三年二月十七日。百年以上前の助言だ。
書く根拠。
・しめきりがある。
・原稿料がほしい。
しめきりがせまってきたら、書く根拠は何かといちいち自問している暇はない。時ならざれば食わず、というわけにはいかない。
おそらく定年まで辻征夫が勤め人をしていたのは、「書かずにはゐられない」ことだけを書きたかったからだろう。
書きながら、すこしずつ自分の書きたかったことが見えてくることがある。書き終えてから、気づくこともある。わたしはそういう書き方が好きだし、自分の性に合っているのではないかとおもっている。言い訳か。
2009/03/01
雑記
ブックマーク・ナゴヤ用の古本の梱包も終わり、あとは送るだけ。外市に出品する本も七、八割箱につめた。
土曜の夜、家でくつろいでいたら、深夜十二時すぎにコクテイルから電話。久住卓也さんからのおさそい。石丸澄子さんも呼ばれてきたらしい。
久住さんは二月中旬からほとんど部屋にこもって仕事をしていたという。
『ちくま』の連載。今回は辻征夫のことを書いた。書いても書いても書ききれないかんじで、最初に書こうとおもっていたこととちがう原稿になってしまった。
でも書きながら自分の今後の課題がすこしだけ見えた気がした。
そのヒントが、辻征夫のエッセイの中にあった。
すこし前まで、社交性を身につけたい、人前でおどおどしないようになりたいとおもっていた。
もうその努力はしないことにした。無理だ。というか、そこで無理をすると、いろいろマイナスもある。人前で緊張したり、パーティの席で居心地がわるくて逃げたくなったりするような感覚は、(ある種の)詩や文学を味わうためには不可欠とまではいわないが、あったほうがいいのではないか……。
その感覚をどうやって守っていくか。
守っても何の得もないが、損得の問題ではない。