2016/02/29

オデッセイ

 新宿TOHOシネマズで『オデッセイ』を観る。映画館で映画を観るのは六年ぶり(その前に観たのは細田守の『サマーウォーズ』だ)。
 3D映画、はじめて観る。3D酔いという話を聞いていたのだが、大丈夫だった。ただ、帰り道、足がふらついた。

『オデッセイ』は、植物学者が、火星でひとり取り残されて、ジャガイモを育てて、生き延びて地球に帰ってくるという話だ。わたしはサバイバルものは何でも好きなのだが、『オデッセイ』のストーリーに関してはやや不満が残った。

 わたしがこの映画の日本版を作るとすれば、主人公は眼鏡で植物の生態には詳しいが、それ以外のことはからっきしダメというタイプにしたい。『オデッセイ』の植物学者、アメフトの選手みたいな体格しているのだ。学者に見えない。地球との通信機能もすぐ回復しちゃうし、そもそも火星で植物が育てられるくらいの未来の世界であれば、脱出用の自動操縦の小型宇宙船が一台くらいはあるだろう(もちろん、そんな宇宙船があったら、この映画は成立しないが)。

 好みの問題といえば、それまでだが、主人公が不死身すぎたり、万能すぎたりすると、どうしても興ざめしてしまう。

 未来を舞台にした作品の場合、科学技術の進歩の想定をどうするかはむずかしい問題である。あまりにも何でもありだとそれはそれでつまらない。

2016/02/21

コリン・ジョイスの新刊

 今日(二十一日)の毎日新聞の書評欄にコリン・ジョイス著『新「ニッポン社会」入門 英国人、日本で再び発見する』(森田浩之訳、三賢社)の短評を書きました。

 この本の中に『モンキー』という日本のテレビドラマについて書いた文章がある。コリン・ジョイスは一九七〇年生まれでわたしと同世代なのだが、今、イギリスの四十代くらいの人は子どものころ、『モンキー』という日本のドラマ(英語版)に夢中だった。トリピタカ、モンキー、ピグシー、サンディがウエストにジャーニーする冒険活劇で、わたしも小学生のころ毎週見ていた。
 この番組の影響でコリン・ジョイスはゴダイゴのファンになっている。

 三賢社は二〇一五年創業の出版社。最初に作った本がコリン・ジョイスの本というのはすごい。嬉しい。『ニューズウィーク日本版』の「Edge of Europe」には毎回唸らされている。今、日本語で読める最高峰の海外コラムだろう。わたしはジョージ・ミケシュの再来だとおもっている。三賢社のホームページでも、コリン・ジョイスのコラムが読める。楽しみが増えた。

オグラ、一人ピーズ、サード・クラス

 金曜日、神保町で打ち合わせ。帰りに新宿レッドクロスで「はかまだ企画Vol.4」オグラ&ジュンマキ堂、一人ピーズ(大木温之)、サード・クラスのライブに行く。
 すべて立ち見で満席。最初から最後までずっと楽しかった。曲を聴いているあいだ、いろいろな記憶が甦って、勝手に感極まる。

 お金がなくて本やレコードやCDをいっぱい手放して自分のやりたいことができなくて焦ってどうしていいかわからなくなって……という二十代三十代を経て四十半ばすぎて新宿のライブハウスで飲みすぎて終電乗りすごしてタクシーで高円寺に帰って人生捨てたもんじゃないとおもった一日だった。

2016/02/19

二十五年前

 水曜日、神保町。信号待ちをしていたら『閑な読書人』(晶文社)の担当編集者のKさんに声をかけられる。神保町で知り合いに会うのはよくあることだが、毎回ドキっとする。

 すずらん通りの古本屋で『PENGUIN?(ペンギン・クエスチョン)』(一九八四年八月号、現代企画室)を買う。二百円。この号の特集は「グリコ事件の『構造と力』」。編集人は中西昭雄、発行人は北川フラム。表紙には朝倉喬司、平岡正明の名もある。「宮松式おしっこ健康法・総集編」という記事も……。

 今月の『小説すばる』の連載「古書古書話」は、竹中労の「80年代ジャーナリズム叢書」(幸洋出版)と『無頼の墓碑銘』(KKベストセラーズ)を紹介した。この連載で竹中労のことを書くのは二回目。

《ぼくははっきりいいますけどサダム・フセインの味方です。ほんらいアラブには国境はなかった》(「戦争はおとぎ話しじゃないんだ」/『無頼の墓碑銘』)

 引用文は『ポップティーン』(一九九一年四月号)が初出。最晩年の竹中労の檄文である。

《単純に、戦争賛成か反対かっていう考えでやっていくと危ないよ。それじゃ、足元すくわれるんじゃないの》

 この言葉は今もひっかかり続けている。 

2016/02/12

スカパー!の番組に出ます

 昨日あたりが「冬の底」かな、と。これからすこしずつ調子を上げていきたい。

 十日(水)、コクテイル書房で開催された久住昌之、久住卓也トークショーに行く。新刊の久住昌之著『東京都三多摩原人』(朝日新聞出版)の刊行記念。久住さんの中学、高校時代あたりの話がおもしろかった。とにかく記憶力(どうでもいいことの)がすごい。

 明日十三日(土)、「Edge2 寝てもさめても古本暮らし 荻原魚雷」21時00分〜21時30分 スカパー!ベターライフチャンネル ch.529という番組が放映されます。

 昨年の七月からだいたい二ヶ月くらい取材を受けたのですが、どんな番組になっているのかまったくわかりません。
 京都の『sumus』のトークショーと高円寺界隈の散歩、自宅で古本のパラフィンをかけるシーンなどを撮影。ずっと挙動不審だった気がする。
 同番組では『sumus』同人の岡崎武志さん、林哲夫も登場しています。

2016/02/08

伊賀越え

 日曜日、西部古書会館。寝起きの頭で本棚を見る。背表紙に反応できず、棚を素通りしてしまう。ところが、しばらくすると、さっき見過ごした棚に読みたい本が何冊か見つかる。三冊買う。千円。

 新しい靴を買ったので、散歩の時間がすこし長くなる。靴底のつま先の部分が(地面にたいし)すこし浮いているウォーキングシューズで歩くのが楽。そうではない靴を履くと違和感をおぼえるようになった。

 夜、『真田丸』見る。たまたまテレビをつけたら、本能寺の変の後で徳川家康の伊賀越えの場面がはじまる。
 落ち武者狩りを避けながら、道なき道を逃げ続ける家康。案内役の服部半蔵(二代目)は、ハマカーンの「下衆の極み」の人だった。

 吉村昭著『大国屋光太夫』(上下巻、新潮文庫)では「家康一行は、伊賀者の巧みな案内で白子浦にたどりつき、廻船業者に渡海を依頼した。業者は快諾して船を出し、家康は海をわたって三河国大浜に上陸して無事に岡崎に帰城した」とある。

 そして——。

《そうしたことから白子浦は、幕府から特別な港として目をかけられ、それが一層の繁栄をもたらした》

 吉村昭は白子(鈴鹿)説なのだが、ほかにも四日市説や津説もある。『真田丸』ではどの港から出たのかは省略されていた。

2016/02/03

努力の才能

 毎年のことだが、冬は寝起きがつらい。子どものころからそうだった。苦手意識は克服できないものだ。長年の(自分)統計によると、気温が十度以下になると心身ともに不調になる。

 二十代のころは体力のなさを気力で補えると考えていた。三十代のある時期からその考えを捨てた。
 心にからだを合わせるよりもからだに心を合わせるほうが楽である。

 色川武大の「欠陥車の生き方——の章」(『うらおもて人生録』新潮文庫)の教えは助けられた。欠陥車だから、急発進急停止はしない。スピードも出さない。からだや頭の働きがよくないときはよくないなりに最低限のやるべきことをやればいい。年々、自分を操縦する、運転するという技術は長けてきている(とおもう)。

 英和辞書で「natural」という単語をひいたら、「自然の」「生まれつきの」「天性の」といった意味だけでなく、「無理がない」という訳語があった。
 ここ数年、個性や才能というのは、自分の身体性に限定されているとおもうようになった。
 からだが弱々なのに、短気だったり強気だったりすると疲れる。からだの弱さに合わせて気持をゆるめる。長年、試行錯誤を重ねるうちにそういう感覚がすこしずつ身についてきた。

 最近、気になっているのは「努力の才能」という言葉だ。努力せずに、達成できるレベルには個人差がある。努力なしに達成できる地点の先に行くには努力するしかない。そんなに努力しなくても、そこそこのレベルに達してしまえる人は、天性の才能の持ち主かもしれない。ただ、そういう人は努力の仕方がわからない。むしろ技術や技巧を獲得していく過程で苦労したタイプのほうが、努力のノウハウをたくさん持っている。

 弱いからこそ身につく才能や不器用だからこそ宿る才能がある。「努力の才能」がないとおもっている人は、努力できることを探すところからはじめるしかない。自分を強化していく努力ではなく、コントロールするための努力もある。

 起きてから二、三時間は役に立たないからだにしては自分はよくやっている。そうおもうと気が楽になる。