2013/11/28

釣りの本

 一年をふりかえるにはまだ早いかもしれないが、今年読んだ新刊で印象に残った本を紹介したい。

 堀内正徳著『葛西善蔵と釣りがしたい』(フライの雑誌社)は、ある一行がすごく心の深い部分に刺さった。その一行のためだけでも、この本を読んでよかったとおもった。

《一人の自由な行動や意思が許されない情況は、爆発しないで動いている原発よりいやだわたしは》(なかまのために捨て身であること)

 原発再稼働について綴ったエッセイの一行で、この部分だけ抜き書きすると誤解をまねくかもしれない。
 この本には堀内さんは釣り人の立場から、「原発の恐ろしさ、むごさ、とりかえしのつかなさ」を訴えたエッセイも収録されている。

 東京電力の原発事故以来、自分の中でくすぶっていたおもいは、たぶん堀内さんの言葉にちかい。しかしわたしは言葉にできなかった。

『葛西善蔵と釣りがしたい』は、釣り人、そして釣り雑誌の編集者の身辺雑記である。
 わたしは釣りをしない。この本は題名が気になって、手にとった。読んでみたら、葛西善蔵の話はちょっとしか出てこない。

 フライの雑誌社の本は三年前、真柄慎一著『朝日のあたる川』という本の書評をした。この本はいましろたかしのカバーイラストに魅かれて手にとった。
 ミュージシャンを目指して上京したが挫折。その後、フライフィッシングにのめりこみ、二十九歳無職男が釣りをしながら日本一周を試みる。
 釣りに関する知識がほとんどないのにおもしろい。わたしは真柄さんのファンになった。

『葛西善蔵と釣りがしたい』もそうだった。
 完全にタイトルで釣られた。

 最近、私小説らしい私小説よりも、雑文(エッセイやコラム)という形式で書かれた“私小説っぽい文章”のほうが好きになっている。

 そういう本を見つけたときが、いちばんうれしい。

2013/11/25

近況

 気温の変化に体がついていかない。
 部屋にいる時間が長くなる。
 経験上、多少寒くても外出し、散歩したほうがいいのはわかっているのだが、心がそうおもわない。

『エンタクシー』最新号の重松清「このひとについての一万六千字」が山田太一。最近、山田太一のインタビューをよく見かける気がする。
 坪内祐三の「あんなことこんなのこと」の第六回は「中川六平さんのこと」だった。

 特集「『風立ちぬ』の時代と戦争」の小沢信男「賛嘆『風立ちぬ』」も読みごたえがあった。
              *
 近況を述べると、あいかわらず、漫画ばかり読んでいる。すこし前に、犬村小六原作、小川麻衣子作画『とある飛空士への追憶』(全四巻、小学館)という漫画を読んだ。予備知識が何もないまま読んだのだが、もともと原作の小説がけっこう話題になっていたらしい。
 ストーリーはシンプル。底辺階級出身の飛行機乗りが、敵の包囲網をかい潜り、次期皇妃を皇子のもとに送り届ける——という話である。架空の国が舞台なのだが、太平洋戦争の戦史をおもわせる箇所も描かれている。
 漫画を読んでから小説も読んだ。シリーズもので全部は読んでいない。書店の文芸の棚にあったら、もうすこし早く気づいていたかもしれないが、それをいってもしょうがない。

 二〇〇〇年〜二〇一三年くらいの漫画は、空白領域が多く、今年はそれを埋める年になった。当然ながら十五年の空白は一年では埋まらない。

 未読で不覚とおもった漫画は石黒正数の『それでも町は廻っている(通称“それ町”)』(少年画報社)もそうだ。
 アニメ化されていたにもかかわらず、気づかなかった。今年の夏、たまたま聴いた北海道在住のインターネットラジオのDJが『それ町』のことを熱く語っていて、試しに読んでみた。商店街を舞台にしたユーモア漫画なのだが、登場人物が話ごとに錯綜し、すこしずつキャラクターに血肉が通ってくる。たいして意味のないシーンに後の話に出てくる人物がさりげなく描かれていたり、読み返さないとわからないような仕掛けが無数にはりめぐされている。宇宙人や幽霊や謎の怪物が出てきても、何事もなかったかのように日常にもどる。そのすっとぼけたかんじも絶妙。ハマる人はハマる作品だとおもう。まわりに「それ町」がおもしろいと吹聴しまくっていたら「今さら?」といわれた。

 同じ作者の『木曜日のフルット』(秋田書店)もすごくよかった。
 こちらも「今さら」なんでしょうねえ……。

2013/11/16

ぼくらのよあけ

 キンドルをつかいはじめて十ヶ月。当初、というか、五月くらいまではかなり慎重に買いすぎないようにブレーキをかけていた。電子書籍よりもクレジットカード(今年一月まで持ってなかった)でアマゾンの中古本が購入できるようになったことが嬉しくて郵便受けが悲鳴を上げるくらい買い漁っていた。

 それから五月以降、キンドルはほぼ漫画専用機と化した。その事情の一部は現在発売中の『本の雑誌』の連載にも書いた。

 二〇一三年は漫画の電子化がものすごく進んだという印象がある。

 電子版を読んでから、文庫版とかの漫画を読むと、なんとなく絵が薄いような気がして読みづらくおもえるくらい自分の目が電子のほうに慣れてしまった。それだけなく、キンドルのほうが絵が鮮明に見えるのだ。

 すこし前に話題になった——自分があまり漫画を追いかけなくなった二〇〇〇年代の作品を手当たり次第に読んだ。

 昨日は今井哲也の『ぼくらのよあけ』(講談社アフタヌーンKC、全二巻)を読んだ。二〇三八年の阿佐ケ谷住宅が舞台のSF漫画——。
 二〇一〇年に地球にやってきた宇宙船を団地の小学生たちが直して、もういちど宇宙に帰そうという話なのだが、子ども同士の人間関係やらなんやらがあり、さらに二十八年前の秘密も絡んで、なんやらかんやらが起こると……。
 たぶんストーリー上にはあらわれないような設定までいろいろ作り込まれているんだろうなと想像してしまう漫画だ。絵柄もちょっと懐かしいかんじで、描き込みっぷりもいい。

 宇宙と団地の組み合せが秀逸で、時間をかけて読みたくなる(文字数も多く、けっこう熟読させられる)。

 電子書籍でダウンロードして漫画を読むのはクジ引きみたいなところがあって、「失敗した」とおもうこともすごく多い。自分の好みかどうか、わからないまま勢いで買ってしまい、「おもっていたかんじとちがった」と悔やむ。

 逆に、作者や作品のことを何も知らなかったのに『ぼくらのよあけ』のような会心の漫画に出くわすこともある。

 まだ興奮さめやらぬってかんじだ。寝ないとまずいのだが……。

2013/11/12

杉野清隆ライブ

 コタツを出して十日。昨日この秋初のヒートテックの長そでを着て、今日この秋初の貼るカイロを腰に装着した。
 今からこんなことで冬を乗り切れるのか。
 まだ十一月なのに。

 日曜日、ペリカン時代、金沢在住のシンガソングライター杉野清隆さんのライブを見た。CDの音もいいのだけど、ライブの音はもっといい(そのままライブ盤になりそう)。

 何時間でもぶっ通しで聴き続けられるような疲れない音。淡いとか透きとおっているとかともちがう。なんていったらいいのか。鼻歌っぽい。ちがう。風呂場で歌いたいかんじの曲。そうじゃない。
 うーん、音楽を言葉にするのはまだるっこしい。「聴いて」の一言ですませたい。

 杉野さんの『メロウ』『ふらっと通り』のアルバムジャケットを手がけている山川直人さんも来ていて、漫画の話を聞けたのも楽しかった(杉野さんとは、山川さんの文章も好きだという話で意気投合した)。

 金沢行きたいな。メロメロポッチでも見てみたい。来年の目標にしよう。

 翌日、しめきりがあって、飲みすぎないようにセーブしていたのだが……失敗した。途中でコーヒーを一杯飲んだおかげか、あまり酒は残らなかった。

 その後、仮眠をとって朝五時から仕事をする。
 何を書くのか決めてなくて、ひたすら「俺の魂が…やる気になるのを待つのだ!!」(島本和彦)状態が続いた。

 苦労したからといって、よくなるわけではないのがつらいところだ。

2013/11/06

音羽館の本

 昨日、広瀬洋一著『西荻窪の古本屋さん 音羽館の日々と仕事』(本の雑誌社)の出版記念会に行ってきた。

 音羽館は二〇〇〇年に開店——。

 音羽館がオープンしたころ、ちょうどアパートの立退きをせまられて、古本を買うどころではなかったのだが、「いい店ができたなあ、いつかこの店で思う存分、古本が買えるようになりたい」とおもった。
 そのころ、電車賃もなくて、高円寺を中心に、中野〜荻窪界隈の古本屋を自転車で巡回していた。西荻まではちょっと遠かった。出版記念会の自己紹介のときに岡崎武志さんから「泣ける話」をふられたが、何も喋れなかった。この話をすればよかった。

『西荻の古本屋さん』を読んで、やっぱり広瀬さんは堅実な人だとおもった。
 独立前から勉強して、本を集めて、貯金もしている。店をはじめることのたいへんさが詳細に語られている。
 広瀬さんからすれば、当然のことをしただけなのかもしれないけど、わたしのまわりの自営業者は「無鉄砲型」が多いので新鮮だった。
 計画を立て、努力し、実現する。楽や近道をしない。
 広瀬さんの「日々と仕事」もそうなのだろう。

 きれいで落ち着いた店内、中央線沿線の客層の好みを熟慮しながら作られた本の並び……最近は慣れたが、はじめて音羽館を訪れたときは、若い人(わたしも若かった)や女性客が多くて驚いた。

 広瀬さんは従来の古本屋のあり方、もしくは常識のようなものも変えたとおもう。

 出版記念会では、音羽館のスタッフ、かつて音羽館で働いていた古書コンコ堂さん、ささま書店の野村くんと雑談中、なぜか副業の話を熱弁してしまう。

 帰りに西荻では珍しい夜十一時半くらいまで営業している喫茶店に寄る。

2013/11/01

雑記

 神田古本まつりで文庫一冊しか買わないというのはどうかとおもい、昨日も行ってきた。
 最近、古本が買えないのは、テーマを絞りすぎているせいかもしれない。中年の本、野球の本、アメリカのコラム……。
 この日は三冊ほど買ったが、読むかどうかわからない。
 
 中古レコードやCDも、一九七一年〜七三年のアメリカのシンガーソングライターという縛りがあるせいで、まったく買えない日が続いている。予備知識なし、行き当たりばったりで探しているから、“一生聴ける一枚”を見つけるのは、ほんとうにむずかしい。まあ、そんなに簡単に名盤(自分にとっての)に当たれば、苦労はない。

 そんな中、ビリー・マーニット『スペシャル・デリヴァリー』(一九七三年作品、一九九八年復刻、世界初CD化)は久々に会心の一枚だった。名盤探検隊ものだから、ハズレはないだろうとおもっていたけど、家に帰って聴くまで、こんなにいいとはおもわなかった。
 レコードの発売から四十年、CDの復刻から十五年。気づくの遅すぎ……。

 ライナーは渚十吾。文中、「友人でもある日本のロック・バンド、カーネーションの直枝政太郎くんと話していたときに、彼が『いいですね』といっていたくらい」という一文もあった。曲解説、けっこう厳しい。
 ビリー・マーニットはピアノ&ボーカル。プロデューサーとリズムセクションは一九七三年デビューのトム・ウェイツと同じだそうだ。

 トム・ウェイツが売れて、ビリー・マーニットのこのアルバムが大きな話題にならなかったのはなぜだろう。わたしはビリー・マーニットのほうが好みだ。ちょっと情けないかんじが。

 本人のホームページを見たら、現在のビリー・マーニットの肩書は(Writer/songwriter/teacher/script consultant)となっていた。小説を書いていることもわかった。

 読んでみたい。