2023/10/24

新編 不参加ぐらし

 今日から富士正晴『新編 不参加ぐらし』(中公文庫)が書店に並ぶ。カバーイラストは楓真知子さん、カバーデザインは細野綾子さん。

 中公文庫のアンソロジーとしては梅崎春生『怠惰の美徳』、尾崎一雄『新編 閑な老人』に続いて三冊目の編著である。

 一年前に大阪の茨木市立中央図書館で富士正晴について講演をした。一時間半の予定が四十五分で終わってしまったのだが、このときのテーマも「不参加ぐらし」で今回の文庫で選んだ随筆を中心に喋った。
 詩三篇、小説二篇、随筆四十篇。富士正晴の文章の中に溶け込んだ人生哲学の面白さをどうすれば形にできるだろうかと考えながら編集した。

 小説を二篇に絞り込むさい、「誤流先生伝」は入れようと決めていた。収録した随筆の中に陶淵明の「五柳先生伝」の話も出てくる。

 表題作「不参加ぐらし」に「発展もなく進歩もなく充実もなく」という一文があり、五十代のわたしもそういう気分なのだが、生きている以上は何らかの工夫は必要だともおもっている。

 工夫の一つに「不参加」もある。スケジュールに余白を作る。余暇を多めにとる。
 ここ数年、ガタのきた体のことを考え、充実より安穏を選びがちなのだが、それでいいのではないかとおもっている。「怠け者の記」「われ動かず」「何もせんぞ」「健康けっこう 長寿いや」といった随筆も年老いてからの目安、指針として参考になるのではないか。

 所収作の中では「増点主義」もおすすめである。
 人付き合いのコツは最初にあまり高い点をつけず、すこしずつ加点していく。

 人間関係にかぎらず、本を読んだり映画を観たりするとき、最初に期待しすぎると、そこそこよい作品であっても残念な気持になることがある。スポーツの応援もそうかもしれない。

 低い点からはじめて、こんないいところもあった——という増点主義のほうが楽しめるのではないか。この本もそういうふうに読んでくれたら嬉しい。

2023/10/18

雑記

 土曜の昼、西部古書会館。福原麟太郎著『野方閑居の記』(新潮社、一九六四年)の英文学者の大和資雄宛署名本百五十円。線引き有。『野方閑居の記』は家に四、五冊あるかも。この日、福原麟太郎著『天才について』(毎日新聞社、一九七二年)も買った。『天才について』は講談社文芸文庫(一九九〇年)と収録作がほぼ同じ。ただし単行本は「対談 師を語る」(聞く人・外山滋比古)が入っている。

 福原麟太郎が住んでいた野方は高円寺から近い。沿線はちがうけど隣町である。歩き慣れてくると距離が近くおもえる。野方に行くと肉のハナマサで買物する。

 最近は東京メトロ丸ノ内線の新中野駅方面もよく散歩するようになった。途中までは桃園川緑道を歩く。車が通らない道を歩いているほうが疲れが少ない気がする。
 東高円寺駅からすこし先にスーパーの三徳、新中野駅まで行くと肉のハナマサがある。
 野方も新中野も急に雨が降ってきたとき、バスで高円寺に帰ってこれるのもいい。

 隣の町まで歩いて買った肉や野菜を料理する。なぜかいい仕事したような気分になる。

 一日一万歩(雨の日以外)の日課——なるべく東西南北どの方向でもいいから隣の町まで足をのばそうと心がけている。同じ歩数でも町内をぐるぐる回るより、すこしでも遠くまで歩いたほうが達成感がある。
 自分の体感を把握する手段としても散歩は有効なのではないかとおもっている。歩くことで心身を調律する。

 歩いているとき「(この先、自分は)何ができて何ができないか」とよく考える。家ではそういうことはなるべく考えないようにしている。本を読んだり、パソコンに向っていたり、体を動かさずに思索に耽っていると「日本中至るところの街道を調べたい」「古典から現代に至る街道に関する文献を読みたい」みたいなことを夢想してしまう。

 しかしすぐ疲れる五十代の肉体は頭で「できる」とおもったことを全て実行するのは厳しい、というか、無理だ。時速四キロで歩く。その体感や時間の感覚を元に何ができるかと考える。たいしたことはできないが、すこしずつやるしかない。

2023/10/12

東海道パノラマ遊歩

 荻原魚雷+パノラマ地図研究会『東海道パノラマ遊歩』(ビジュアルだいわ文庫)が刊行——。
 清水吉康の『東海道パノラマ地図』(金尾文淵堂、一九二九年)を文庫の形で復刻し、わたしは日本橋〜神戸までの解説、コラム、キャプション(半分くらい)を担当した。
 清水吉康の鳥瞰図は山あり谷あり川あり、東海道の地形が精密に描かれている。

 琵琶湖東岸から関ヶ原、大垣のあたりがお気に入り。伊吹山、不破の関——この地が古代から重要な交通の要所だったことがわかる。道の成り立ちは偶然ではない。

 巻末付近には菱川師宣の『東海道分間絵図』、吉田初三郎の『近畿東海大図絵』も収録している。

 企画・編集は造事務所。
 本文デザインを担当したYさん(飲み友だち)に古地図コレクターのHさん(造事務所)を紹介してもらい、今回の企画に参加することになった。

 すこし前に『更級日記』や『十六夜日記』を読んでいたときも、清水吉康の鳥瞰図を参照していた。鉄道の路線だけでなく、東海道や中山道、脇往還も描かれている。古戦場の跡地なども記されているので歴史地図としても重宝するでしょう。ぜひ手にとって清水吉康の地図の魅力を堪能してほしい。

2023/10/07

萱津宿

 十月、涼しくなった。着々と衣替えが進む。晴れの日一万歩、雨の日五千歩の散歩は継続中。とにかく外に出る。気のりしなくても外に出るとそれなりに歩ける。

『江古田文学』の特集「小栗判官」(二〇二二年十二月発行)——たまたま美濃路の墨俣、青墓あたりのことが気になって調べていて、この特集を知った。「小栗判官」が浄瑠璃、歌舞伎の人気演目という知識はあったが、自分の興味と重なるかどうかは別だ。

 今のわたしは美濃廻り東海道、伊勢廻り東海道の変遷を追っている。

 尾藤卓男著『平安鎌倉古道 鎌倉〜京都』(中日出版社、一九九七年)は勉強になった。
 萱津宿は平安時代から室町時代の間、「不破越え」の道と「鈴鹿越え」の道が落ち合う道で「萱津の傀儡(遊女)は京の殿上人にも知られるほど有名な宿場町だった」。

《津島線の県道を渡って北上し八王子社の前に出る。
 このあたりは宿の口の字名を残し、南宿の長者屋敷(真奈屋敷)があった地で、頼朝公が宿泊したのは南宿であったかも知れぬと古老の話であった。
 鈴鹿越えの伊勢路と不破越えの美濃路の合流地点であったと考えられている》

 八王子社(八王子神社)は愛知県あま市下萱津池端あたり。宿ノ口界隈は旧鎌倉街道といわれる道が通る。名鉄津島線の新川橋駅か須ヶ口駅がもより駅か。名古屋駅から六、七キロ、歩いていける距離である。

 萱津宿がにぎわっていたということは、鎌倉古道(旧東海道)のころは伊勢廻り美濃廻りいずれも、多くの人の行き来があったと考えていいのかもしれない。
『平安鎌倉古道』の一宮市のところでは「照手姫袖掛け松」の石碑の写真が載っている。石碑は牛野神明社(一宮市牛野通二丁目)内にある。

 各地の旧鎌倉街道に「小栗街道」と呼ばれている道がある。熊野古道にも「小栗道」という道がある。いずれも小栗判官が通ったという逸話からその名がついた。
「小栗判官」は京〜常陸の東海道+熊野古道が舞台である。街道沿いに暮らす人々にとって特別な物語だったにちがいない。

 傀儡と浄瑠璃も関係が深い。傀儡は旅芸人でもあった。

2023/10/01

説教集

 最近、仕事をしていると記憶が虫食い状態になることに気づいた。忙しい時期は日々のことをほとんど覚えていない。働いて疲れをとってまた働いてのくりかえし。一週間二週間あっという間に過ぎてしまう。

 九月二十七日水曜。JR中央線で御茶ノ水駅、坂を下って神保町。均一で『説教集 新潮日本古典集成』(新潮社、一九七七年)を買い、新刊書店を回り、神田伯剌西爾でアイスコーヒー。
『説教集』は「をぐり(小栗判官)」が目当だったが、「しんとく丸」も面白い。

 すこし前に『江古田文学』第百十一号(二〇二二年十二月)の特集「小栗判官」を入手していた。『江古田文学』は特集に独自色がある。バックナンバーが気になる。

 美濃路の青墓のあたりのことを調べていて、「小栗判官」の舞台が美濃廻りの東海道、さらに熊野道(小栗街道)も舞台と知り、気になった。

『説教集』の「をぐり」は美濃の国・墨俣からはじまる。

 東海道の藤沢宿を調べていたとき、「小栗判官」や「説経節」の話がいろいろ出てきたのだが、そこから掘り下げようとはおもわなかった。橋本治も『もうすこし浄瑠璃を読もう』(新潮社、二〇一九年)で「小栗判官」を取り上げている。

『江古田文学』の特集を読んでいておもったのは、中世の人々の命の軽さである。戦、災害、病、飢饉――毎日が命がけといっても過言ではない。
 旅もそうだ。まともな地図もなければ、安全な道はどこにもない。行ったことのない土地であれば、目的地そのものが漠然としている。

 はるか昔の話とはいえ、現代においても世界を見渡せば、中世くらいの感覚で暮らしている人々はいくらでもいる。今の日本でも状況(境遇)によっては、古代や中世の人と変わらぬ感覚が表出することがあってもおかしくない。

 善悪の価値、命の重さ軽さ、わたしはそうしたものに普遍性があるとおもって暮らしているが、そうではない。

 小栗判官は京都でいろいろやらかして常陸(茨城県)に流され、相模の国の照手姫の噂を聞く。中世は常陸も東海道に属していた。

 毒をもられ、冥界へ行き、餓鬼阿弥として生き返った小栗は、上野が原(神奈川県藤沢市)から東海道を西に向かう。
 酒匂の宿、足柄箱根、伊豆の三島、浮島が原、富士川、清見が関、三保の松原、田子の入り海、駿河の府内、丸子の宿、宇津の谷、藤枝、島田、大井川、佐夜の中山、日坂峠、掛川、袋井、池田の宿、今切、吉田、赤坂、矢作、鳴海、熱田の宮……。
 ここから杭瀬川、青墓と美濃廻りの東海道という道行になる。

 東海道中、各地の宿場、名所、歌枕の地を通り抜ける。精密な地図、写真もなかった時代、説教節の道中語りは見せ場、聞かせ場だったのではないか。