2023/06/27

三重京都三泊四日

 六月のある日、西部古書会館で岡崎武志さんと立ち話中、「今度、山本(善行)が三重で喋るらしいで」と教えてもらったのだが、その日は翌日だった。今年四月にオープンしたばかりの三重県津市久居のHIBIUTA AND COMPANYのイベント——。

 二十三日(金)から三泊四日で三重に帰省(一泊は京都)していた。
 行きは小田急で小田原、JR東海道本線で三島まで行き、そこからこだまで浜松、再びJRに乗り、蒲郡で途中下車、名古屋でJR関西本線に乗り換え、JR桑名駅で中原中也の「桑名の夜」の詩碑を見て、アピタでスガキヤラーメン(肉入)を食い、鈴鹿の郷里の家に帰る。初日からけっこう歩いた。
 街道に関しては東京と三重の間の東海道、中山道、甲州街道+脇街道を軸に研究し、あと三重県の隣接県の宿場には行けるだけ行こうとおもっている。
 翌日はすこしのんびりしようと家の掃除、鈴鹿ハンターで衣類などを買う。ハンター内の喫茶ボンボン、麺類、丼、定食のメニューが充実している。

 二十五日(土)、早朝、郷里の家を出てJR関西本線の河曲駅に行く(道をまちがえて一時間くらいかかった)。途中、川神社という神社があった。亀山駅で降り、すこし散歩する。亀山から貴生川駅に行き、近江鉄道に乗り換え、日野駅へ。滋賀県の日野町は三重とも関わりが深い。日野は東海道と中山道をつなぐ脇街道の町で伊勢神宮に向かう「伊勢道」と呼ばれる道の追分もある。
 しばらく歩いて再び貴生川駅に戻り、京都に向かう。すでに汗だく。御陵駅の近くの駐車場でシャツを着替える。
 ひさしぶりの古書善行堂。そのあと『些末事研究』の座談会のため、五条のcafeすずなりに移動する。
 善行堂に行く前にホホホ座に寄り、南野亜美、井上梓著『存在している 編集室編』(日々詩編集室、HIBIUTA AND COMPANY、二〇二三年)を買う。店長の山下さんに他の日々詩編集室の冊子も見せてもらった。

 わたしが上京したのは一九八九年の春だけど、郷里にいたころ、三重にいながら何かをする発想はなかった。
 七年前の五月末に父が亡くなり、それから東京と三重をしょっちゅう行き来するようになり、街道や宿場町に興味を持つようになった(きっかけは武田泰淳著『新・東海道五十三次』中公文庫)。
 わたしは車の免許を持っていないので帰省すると父が運転する車であちこち移動していた。父がいなくなってからは電車+バス+徒歩で県内をうろつくようになり、しだいに地元のよさを知った。山も川も海もそして道も面白い。

 読んで知ること、歩いて知ること、どちらも大事だ。五十代になって、できないことも増えてきたが、若いころより自分に足りないところがよく見えるようになり、それをどう補うかについて考える時間が増えた。自分の足りないもの——それが歩くことだったのかもしれない(もしくは車の免許かもしれない)。

 今回三泊四日の旅で十万歩ちょっと歩いた。両足にマメができた。

2023/06/21

更級日記

 街道の研究でどのくらいの古典を読めばいいのか。行き当たりばったりに本や雑誌を読み、そのときそのときの関心のある記述を集める。わたしはそういうやり方が好きなのだが、めちゃくちゃ時間がかかるのが難点だ。

 先日、島田裕巳著『最強神社と太古神々』(祥伝社新書)の目次を見ていたら「山の神と山神社」という項目があった。中国の山岳信仰は有名だが、日本もそう。山の神をまつる山神社がたくさんある。
 さらに数頁先の「富士山に最初に登った人物」では平安時代の漢学者・都良香の『富士山記』が出てきて、菅原孝標の娘の『更級日記』の話になる。『更級日記』には「山の頂のすこし平ぎたるより、煙は立ち上る」と当時の富士山の様子が描かれている。

《これは1020(寛仁4)年、彼女が13歳の時に、父親が役人として赴任していた上総国(千葉県北部、茨城県南西部)から、家族と共に京都に上る途中、東海道での出来事とされています》

 河北新報社編集局編『みちのくの宿駅』(淡交新社、一九六三年)所収の川端康成の「宿駅」でも『更級日記』の話があった(六月十三日のブログ参照)。
 わりと近い時期に読んだ先月刊行の新書と六十年前の古本の両方に『更級日記』の話が出てきたのはたまたまなのかもしれないが、たぶん読めということなのだろう。

2023/06/13

けやき公園

 晴れの日一万歩、雨の日五千歩の日課を続けているうちに体が歩くことを欲するようになった。少なくとも一時間くらい歩かないとそわそわする。

 土曜日の昼、西部古書会館。『週刊読売』臨時増刊「緊急特集 グアム島28年 横井庄一さんの全生活」(一九七二年二月十八日)を二百円。近鉄、西武、身延線などの鉄道本を百円。鉄道関係の資料はどこまで集めるか悩みの種である(キリがない)。

 そのあと阿佐ケ谷散歩。高円寺北四丁目の馬橋公園から阿佐ケ谷の神明宮のあたりに続く斜めの道を歩く(この通りの名前はあるのだろうか)。コンコ堂で今の仕事に必要な本を見つける。店外の棚から河北新報社編集局編『みちのくの宿駅』(淡交新社、一九六三年)も買う。冒頭に川端康成の「宿駅」という随筆あり。

《戦争中、昭和十八年(満州国の康徳十年)、私は「満州日日新聞」に、「東海道」という小説を連載した》

 川端康成は東海道を歩いたが、この連載は中断してしまう(「東海道」は『天授の子』新潮文庫所収)。川端は「東海道を京にのぼった、二人の王朝の少女、小野小町と菅原孝標の娘」に関心を抱く。

《文学少女の孝標の娘の旅は、「更級日記」に、自分で書いて、よく知られている。上総から京まで、九十一日の道中であった。十三歳の少女であった。小野小町も東海道をのぼったとすると、十三歳ぐらゐの少女であった。小町の素性は明らかではないが、出羽の国からの采女だったといふ一説がある。もしさうだと、東海道のその先きの「奥の細道」から、小町は歩いたのだらうか》

 川端康成は一八九九年六月十四生まれ。「東海道」は一九四三年七月に連載開始した。四十四歳。戦中、川端は中世の古典に傾倒する。街道の研究をする上で古典は避けられない。できれば素通りしたかったのだが。

 帰り道、阿佐谷地域区民センターの屋上にある阿佐谷けやき公園に寄る。地域区民センターはけやき公園プールがあった場所にできた。二〇二二年四月オープンだから、まだ新しい。
 屋上の公園のすぐ下を中央線の電車が通る。
 この日は曇り空だったので空気の澄んだ晴れの日にまた行きたい。

2023/06/08

仕事と散歩

 二月末からの歯科通いがとりあえず月曜で終わった。夜、ちょっと飲みに行く。久々にはしゃいでしまう(ほんとうに久々なのか?)。

 火曜、池袋で打ち合わせ。山手線の目白駅で降りる。打ち合わせ先は古書往来座のすぐ近く。往来座で『日本近代文学館創立十五周年記念 現代作家三〇〇人展 仮名垣魯文から戦後作家まで』(一九七七年)などを買う。『現代作家三〇〇人展』は紺色、『日本近代文学館創立記念 近代文学史展』(一九六三年)は緑色でほぼ同じ表紙である。文学展のパンフレットは表紙が色ちがいで中身が同じものがたまにある。この二冊はちがった。
『現代作家三〇〇人展』は尾崎一雄の「開館十年」も収録している。この文学展は伊勢丹新宿店の本館七階クローバーホールで開催されていた。

 店番の退屈君に夕方から雨の予報が出ていると教えてもらう。

 打ち合わせ後、池袋から歩く(地図なし、オイルコンパスのみ)。途中、肉のハナマサで喜多方ラーメン(醤油)を買う。手前にいたお客さんがハナマサのレトルトカレーを大量に買っていた。うまいのか? 気になる。

 目白駅から目白通り、聖母坂通りを歩く。新宿区落合第一地域センターの前を通るとこの地に暮らした文士の名前を記したパネルのようなものがあった。尾崎一雄も落合に暮らしていた。このあたりも文士村だった。妙正寺川を渡り、西武新宿線の下落合駅へ。
 下落合駅手前の聖母坂通りと新目白通りの交差点からスカイツリーが見えた。東の方向、交差点からスカイツリーまで一本道が続いている感じ——いいものを見た。

 下落合駅付近で小雨が降ってくる。当初は家まで歩いて帰るつもりだったが、行く先を東中野駅に変更する。上落中通りを西へ。梅の湯という銭湯がある。昔、自転車で梅の湯の前を何度か通った。東京メトロの落合駅から東中野駅は近い。

 ライフ東中野店で夏用の帽子と夏用の靴下(三足五百九十八円)を買ってJR総武線に乗って家に帰る。

2023/06/04

どつこい

 もう六月か……と書きかけ、「もうろく」という言葉が入っていることに気づく。最近、昔、読んだ本や漫画の記憶がどんどんあやふやになっている。

 木曜の昼、JR中央線快速で御茶ノ水駅へ。今、蔵書整理中なので神保町で一軒だけ古本屋をのぞき、『生誕100年記念展 歌びと 吉野秀雄』(神奈川近代文学館、一九九二年)を買って、神田伯剌西爾へ。神奈川近代文学館の文学展パンフは面白いものが多い。吉野秀雄のパンフは「旅と酒」の頁がよかった。酔っぱらって地べたで寝ている写真や日本歌人クラブの集まりで酔っぱらって上半身裸になっている写真なども収録されている。

《酔い疲れたあとの吉野さんの駄々には、誰もが手古摺つた》(上村占魚)

 吉野秀雄は酔っぱらうと「どつこい、おれは生きてゐる」などとがなりたてた。
 もともと体が弱く、ずっと病と戦ってきた歌人でもあるが、酒を飲むとかなり奔放な酔っ払いになる。
 体力の限界まで飲むのだろう。酔っぱらって満員電車の床で寝たという逸話も残っている。

 年譜を見ると、二十一歳で肺尖カタル、二十三歳で気管支喘息などの病歴が記され、「神経痛悪化」「リウマチ悪化」といった言葉も出てくる。
 五十三歳、「一月、喀血して半年療養。三月、糖尿病(以後持病となる)。四月、入院」。

 わたしは丈夫なほうではないが、(今のところ)「半年療養」みたいな大病はしていない。
 ただ、五十代になって、体のあちこちにガタがきていて「こんなにいろいろなことができなくなるのか」と……。ひまさえあれば、作家の年譜を眺めているのだが、人はいつまで生きるかわからない。生きていても衰える。どんなに衰えても「どつこい、おれは生きてゐる」くらいの気持があったほうがいい。