2007/06/28
それからえーと
最後に辻征夫が鮎川信夫の姿を見たのは、黒田三郎の追悼の会だった。
会場は満員で中に入れず、待合室に案内される。
《そこに鮎川信夫氏が一人だけ、入口に背を向けてベンチに腰を掛けていたのである。「こんにちは」と挨拶すると、鮎川さんも「こんにちは」と例の屈託のない声で言い、私は邪魔にならないように斜めうしろのベンチに腰掛けた》(「鮎川信夫氏と『長兄』の死」/辻征夫著『ロビンソン、この詩はなに?』書肆山田)
辻征夫は「私が書くのは単なる詩であって、それがどういう部類に属するものか、考えてみても別段おもしろくない」といっている。また「現代詩」という呼称も捨てて、「詩は、詩という一語で充分である」ともいう。
《ライト・ヴァースといわず敢えて詩といわせてもらうが、詩はかんたんにいえば滑稽と悲哀ではないだろうか》(「滑稽と悲哀」/『ゴーシュの肖像』書肆山田)
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
2007/06/23
打ち荷
来週からすこし忙しくなりそうなので、その前に山田稔著『影とささやき』(編集工房ノア)を読むことにした。
天野忠のことを書いた「融通無碍」とエッセイがある。大野新の「『私』を軽くした分だけ『融通無碍』になって、短い作品のまわりの余白がひろくなった」という天野忠作品の解説をふまえつつ、こう述べる。
《私的、日常的なことがらを素材にしながら、「私」を自然に越えている》
また松田道雄のコラムにあった「打ち荷」という言葉に触発され、天野忠の詩を論じる。打ち荷というのは、難破した船が危機をのがれるために積み荷の一部を海に棄てることだそうで、「病気と貧乏に明け暮れした生涯を通じて、詩人はそのときどきに『打ち荷』を忘れず、身軽さを保ち続けてきたのではないだろうか」という。
打ち荷。いい言葉を知った。「私」を軽くする。これまで何度となく身軽になりたいという願望を書いてきた。ライトヴァースへの関心も突き詰めるとそこに行き着く気がする。できれば文章もなるべく軽くしたい。ものを減らし、予定を減らし、生活を軽くしたい。
本が増えると、広い部屋に引っ越したいという欲がわいてくる。その欲を利用して仕事に励むこともあるのだが、仕事が忙しくなると今度はのんびりできなくなる。
かれこれ十年以上もこの問題で堂々めぐりしている。
そういえば、山田稔さんの『ああ、そうかね』(京都新聞社)にも「融通無碍」という言葉が出てくる。「文の芸」と題したエッセイで小沼丹の『珈琲挽き』(みすず書房)について次のようにいう。
《小沼丹の文章のもうひとつの特徴は人称代名詞を用いない点にある。これは徹底していて、この随筆集のなかでわずかに「僕」、「われわれ」が一、二度出て来る程度である。「私」も「彼(女)」も使わず、それで文意があいまいになることはない。自他の境が取っ払われた融通無碍の世界で読者は寛がせてもらえる》
今の作家だと石田千さんがそうかもしれない。
たまに主語なし文章を書こうと試みるのだが、どうもしっくりこない。
2007/06/21
気分のいい生活
とどこおりなく家事がしたい。いや、そうじゃない。掃除をしたり、メシを作ったり、アイロンをかけたり、手抜きしようとおもえばいくらでもできることをなるべくていねいにしたいのだ。なんだろう、この欲求は。
そんな気分のときに、森茉莉の『私の美の世界』(新潮文庫)を読んでいたら、いろいろ考えさせられた。どうして森茉莉のエッセイを読んだのかというと、その本が目の前にあったからにすぎない。
この本の「ラアメンとお茶漬け」というエッセイで、森茉莉は「インスタントラアメン」や「家庭電化」などの生活の合理化なんてものは、世の中を味気なくするだけで、合理化によって余暇ができたとしても、なんにもなっていないのではないかと問いかけ、次のようにいう。
《ラアメンで倹約した時間で睡眠を摂って、会社へ駆けつけたら、どんな素晴らしい仕事がその分だけよけいに出来るかというと、大したこともないらしいし、(生活のかかっている、すごいヴェテランは別)奥さんがインスタント昼食で浮かせた時間で、読書会をやって、エロでなさそうな小説を読んで、感想を交換しても、手芸をしてデパアトに出品したとしても大したことはない。(中略)
欧羅巴(ヨーロッパ)の主婦は、アメリカの主婦が紙ナフキンを使い捨てにするのとちがって、上等の、一代ずっと使えそうな、木綿のナフキンに刺繍をして使っていることだし、又欧羅巴の主婦は勤めのために忙しくて、自分で料理が出来ないと不機嫌になるそうである。少し位手がかかっても、生活の底に格調のある、気分のいい生活をした方が、結局はほんとうの合理的生活なのだと、わたしは思っている》
森茉莉のいうような格調のある暮らしは、はじめから望んではいないけど、多少家計をきりつめることになっても、ゆっくり料理をしたり、掃除をしたりする余裕がほしいとおもう。
そんなに仕事もしていないし、(森茉莉の嫌いな)電化製品の世話になっているにもかかわらず、いつも時間が足りないかんじがするのはなぜだろう。忙しいなあとおもいながら、だらだらテレビやインターネットを見たりしているのがいけないということはわかっている。
ぐうたらしているせいで、家事がめんどうくさくなって、「なんでおればっかり」とおもいながら、食器を洗ったりしているのもよくない。
気分がよくないから、仕事にとりかかるのに時間がかかり、だらだらしてしまうから、時間がなくなる。ほんとうはなくなっているのは時間ではなく、充足感なのかもしれない。別に誰からほめてもらえなくても、ゆっくりていねいに仕事や家事をしたあとは、不思議と気分がいいものだ。
2007/06/17
昼市に行く
毎月第三日曜日恒例の西荻窪(柳小路通り飲食街)の昼市に行ってきた。もちろん「昼本市」が目当てなのだが、飲んじゃうよ、ここにきたら。尾道ラーメンも食った。うまい。楽しいなあ、昼市。
バサラブックスの福井さんに挨拶。松本剛の『甘い水』(上下巻、原案協力/板垣久生・講談社)を手にとると「これはいいですよ」とすすめられる。もちろん買う。わめぞの武藤良子さんに外市のチラシもらう。都電の絵、すばらしい。袋が破けそうになるくらい本を買ったけど、二千円ちょっと。
夜、飲み屋でしか会ったことのない人と昼間に会うと、ぎこちなくなるのだが、それもまたよし。途中、退屈君と西荻界隈の古本屋をまわり、どんぐり舎でコーヒー。
今日、買うかどうか迷いつつ買った本に『これからの家事』(主婦と生活社、昭和四十年)がある。生活のリズムがおかしくなったら、とにかく家事だ。この本の中に「アイロンのいらない布地をフルに使って労力を省く」と書いてあった。常々、そういう布地の服がほしいとおもっているのだが、いまだその見極めができない。古着屋に行くとおじいさんが着ているような夏用の麻混の長そでのシャツを探す。似たようなシャツしか買っていないはずなのに、洗濯するとしわくちゃになるのとならないものがある。さらに似たようなシャツなのに、通気性のいいのとよくないのもある。
シャツとズボンはどのくらい持っていればいいのか。昭和四十年の基準ではワイシャツは五枚(一枚は正式用)、ズボンは冬一着、春・秋・夏兼用が二着。下着は三枚(予備一枚)、靴下は六足と書いてあった。そのくらいでやっていけるとおもうと、ちょっと勇気づけられる。
それにしても昭和の家事は奥が深い。たとえば、しょうゆがカビたら脱脂綿でこすとか、みそがカビたら油でいためてダシをいれて鉄火みそにするといいとか、湿ったのりは天ぷら、カビた昆布も揚げて塩をふれば酒の肴になるらしい。しょうゆ、カビがはえるのか。知らなかった。
家に帰って洗濯。一時間でほぼ乾く。夜七時すぎ、ちょっと涼しくなったので、今度は夜の散歩に出かける。あずま通りの一度も店内に入ったことのないお好み焼屋の店先で持ち帰り用の豚モダンを買う。
松本剛の『甘い水』は読んでいて苦しくなった。いや、まいった、すごいとしかいいようのない作品だ。読みおわって三時間くらいたってもまだ余韻が……。最初の頁を読みかえして、またぞくぞくする。一九八八年にデビューして単行本は三作のみ。今年『甘い水』と『すみれの花咲く頃』が講談社BOXから復刊。ファンキー末吉原作の『北京的夏』も復刊の予定とのこと。
2007/06/13
仮題
この日は、中野のあおい書店に行って新刊本をチェックしてこようとおもっていたのだが、連日の深酒でへろへろになっていたので、家に帰って昼寝をする。起きたら、夜の十時半だった。
飲んで寝て、飲んで寝て、なにもできずに一日がすぎてゆく。でも起きていたからといって、有意義な一日になるとはかぎらない。よくありがちな二日酔いの後遺症の「かっこわるいなあ、はずかしいなあ」というおもいが軽かっただけでもよしとしよう。
翌日、あおい書店に行って、一時間くらい、店内をうろうろした。好きな書店にいるとそれだけで元気になってくる。ありがたいことだ。
中野ブロードウェイの鉄道遺失物を売っている店に懐中時計を見に行くが残念ながらなかった。いったん家に帰り、高校の入学祝いに買ってもらった腕時計があったかもしれないと小物入れをあさっていたら出てきた。二十年以上前の腕時計が。ルック商店街のおもちゃ屋で電池交換し、そのまま青梅街道に出て阿佐ケ谷まで歩く。夏の暑さにからだを慣れさせるには歩くのがいちばんいい。
「第二回 永島慎二遺作展」開催中(〜六月十九日)の喫茶室コブでアイスコーヒーを飲み、ガード下を通って、途中、十五時の犬に寄り、竹宮惠子の『アンドロメダ・ストーリーズ』(原作光瀬龍、講談社コミックス、全三巻)を買う。
ある日、知能の発達した機械が飛来し、人間を支配する。その支配方法は、人間に幸せな夢を見せること。そして機械の支配に王家の双子の姉妹が立ち向かうという『マトリックス』みたいな話だ。といっても『アンドロメダ・ストーリーズ』のほうが二十年くらい早いのだが。
自分のおもいどおりの夢を見ることができる機械があったとする。最低限の栄養を摂取できるようなシステムもあって、ただひたすら夢を見ている状態……というのは、はたして楽しいのか。
たとえば、本好きの夢とはなんだろう。
自分の読みたい本が読み放題という状態だろうか。たぶんちがう。苦労して探すとか、金欠のときにかぎってほしい本が目録にいっぱい出ているとか、まったく知らない作家の本だけど、なんとなく買って読んでみたらおもいのほかよかったとか、いろいろしんどいことを経験することで作品のよさがわかるとか、仕事をしなきゃいけないのに漫画を読んでいるときの後ろめたさとか、そういうことをぜんぶひっくるめて読書はおもしろいわけだ。
でも『アンドロメダ・ストーリー』のように、現実が荒廃しきっていて、新刊書店も古本屋もない世界だったとしたら? 現実の世界は本がなくて、冷暖房もなくて、食うや食わずの窮地。いっぽう仮想現実の中には古今東西の本があふれていて、寒さも暑さも飢えもない。
迷うかも、それなら。
そういえば、竹宮惠子は『地球へ』でも、コンピューターが進化し、神のような存在になって、人間を管理する未来を描いていた。
機械の発達は、便利になってよい。でも人間のなにか、生物としてのなにかが失われていくような気もする。
それこそ仕事に関していえば、わたしの場合、家にひきこもりっぱなしでも、どうにかなってしまうようになった。本もインターネットで注文し、編集者とはメールでやりとりできる。
そんなふうになって、まだ十年ちょっとだ。
十年前とくらべて、自分は変わったのか。微妙だ。同世代の編集者にいわせると、かえって忙しくなったという意見のほうが多い。
わたしもハードディスクレコーダーに録りだめしているアニメを見るのに忙しい。
2007/06/10
今日はオルガンとフルホン
先月、京都のまほろばでやった「オルガンとフルホン」の打ち上げで、「せっかくライブなんだから朗読とかすれば」とオグラさんにいわれ、「じゃあ、次のコクテイルのときは新作を書いて読むよ」とこたえてしまった。
ちょうどメルマガの「早稲田古本村通信」の新連載(タイトル未定)の第1回目の原稿を考えているところなので、ためしに書いたものを発表しようかどうか思案中。
朗読しようとおもって読み直すと、文章の接続詞や語尾が気になる。「だけど」にするか「だが」にするか「なのだが」にするか。文章の場合も音やリズムがあり、言葉のかたさ、やわからさ、重さ、軽さ、早さ、遅さ、あと活字になったときの文字のバランス(見映え)など、内容だけではなく、そういうところに自分の好みや癖がけっこう出るものだ。
オグラさんの歌詞は、声と言葉がすごく合っている。メロディーも酔っ払ったかんじで、酒を飲みながら聴くと気持がいい。
《誰かがどこかでくしゃみして
夜空が少しちぢんだ
三寒四温をくり返し
季節はまた流れて行くが
口約束が まだ残ってる
ボトルの酒が まだ残っている
友よ 果てなき夢の途中
また あの酒場で逢おう》
( 永遠の酒 /『オグラBOX3枚組』より)
(追記)
結局、朗読はせず。しかも「早稲田古本村通信」にも発表せず。まあそのうちどこかで。
2007/06/08
青春の反逆
「古書ことば 売れない本の紹介」の中にもそのおもしろさがちらほら出てくる。 話のまくらが絶妙に不条理でついひきこまれてしまう。とぼけているようで深い。
注文した翌日『青春の反逆』が届いた。この本の中で松尾邦之助の半世紀で「哲人アン・リネル——思想の新地平」という一文がおさめられている。
《わたしは、アン・リネルを読み、アナーキストは、何はさて、モラリストであり、その後読んだスティルナアの『唯一者とその所有』にしても、辻潤のいうように、すべてこれらが最高の倫理学書であることを知るようになった。一般の日本人には、こうしたモーラルの感覚があまりに低く、まず、ここから出発しなくては、すべてがダメの骨頂だと思った》
学生時代、辻潤訳の『唯一者とその所有』(自我経)を読んだのだけど、当時はほとんど理解できなかった。思想や哲学といったものは、どうも自分には向いていないのではないかとおもっていたのだが、最近また気になりだしている。ひょっとしたら、今ならすこしはわかるのではないか。あとなぜ辻潤がスティルナーにあれほどいれこんだのか、そういう気持で読んだら、この本はきっとおもしろく読めるのではないか。
そうおもいつつ『自我経』(改造社)をひらいてみたが、数頁で挫折する。
アン・リネルへの関心も、思想というより、「不必要な必要物」という、なんかちょっとへんな言葉にひっかかりをおぼえたにすぎない。ずっと心にひっかかったまま、ひっかかりっぱなしだ。
個人主義という思想は、好きな人はものすごく過大評価するし、それをあまり好まない人は、ものすごく過小評価する。
松尾邦之助も、ある講演でひたすら個人主義の倫理について語りつづけたあと、「でも所詮、個人主義はエゴイズムでしょ」みたいなことをいわれて、ガッカリしたというようなことを書いていた。
個人主義について論じることは無駄ではないとおもうが、不毛な議論におわることが多い。
自分の生きたいように生きればいい。自分が生きたいように生きていこうとすれば、当然のように周囲と摩擦が生じる。それを回避しようとしたり、調節しようとすれば、それなりに倫理観や平衡感覚も磨かれてゆくとおもう。
最初から周囲や習俗に合わせようとするのではなく、まずは自分のやり方で行けるところまで行ってみる。その結果、協調性のようなものを身につけざるをえなくなったとしても、それはそれでやむをえない。
かつて自分からすれば、今のわたしは妥協ばかりして、自分の生きたいように生きていないように見えるだろう。
その昔、「おまえはアナキストじゃなくて、ただのリアリストだよ」といわれたことがある。それは当っているとおもう。でもわたしのことをリアリストといった知人は、親元にいて生活に困っていなかった。
自由なんてものは、その人の才能、能力にみあった分しか得られないのではないかというおもいがわたしにはある。制度上の不平等や不自由という問題もあるけど、今はそれ以前の話をしているつもりだ。
アン・リネルは六十歳くらいまで学校の先生をしていた。いちおう生活の保証があったわけである。その上で、個人主義を貫いていた。アン・リネルが教職に就かず、文筆だけで生活していたら、七十歳すぎまで、その哲学を深める活動をつづけることができただろうか。
もっとも、今のおまえは妥協して守るだけの価値のある生活を送っているのかと問われたら、「いや、それはその」と口ごもるほかない。
(……未完)
2007/06/07
拾い癖
本棚の下の引き出しのようなものは、縦四十五センチ、横八十センチ、高さ三十センチくらい。なにかにつかえるとおもったのだが、置く場所がない。なんで拾っちゃったんだろう。
そのあと昼から神保町めぐり。暑い。わたしは一年中、長そでシャツを着ているのだが、この日自分がもっている服の中でもっとも薄い麻のシャツを着ていた。この先、もっと暑くなったらどうすればいいのだろうかとおもいながら、神田伯剌西爾(ぶらじる)でアイスコーヒーを飲む。すずらん通りのたつやで牛丼。牛丼は百円値上がりしていた。オーストラリアの大干ばつの影響だそうだ。といっても、三五〇円。午後三時すぎだったけど、客はわたしひとり。神保町では、たつやの牛丼か小諸そばの香味豚うどんしか食っていない気がする。
帰りに早稲田で途中下車して、古書現世の向井さんとニュー浅草で飲む。指定席かとおもうくらい、いつも同じ席に案内される。今月から早稲田古本村通信の連載をはじめるのでその相談。タイトルもなにも決めていない。たぶん、ゆるい枠で自由に書かせてもらうことになりそう。
古書現世で川崎彰彦の『私の函館地図』(たいまつ社)を買った。もともと二百部の小冊子の増補改訂版。長谷川四郎の跋文もはいっている。ちょっと前に津野海太郎の『歩くひとりもの』(ちくま文庫)を再読したのだけど、この本にも川崎彰彦をのことが出てくる。
あと本棚の下の引き出しのようなもの、ほしい人いる? 古本屋の均一台にはぴったりかも。
2007/06/05
わかっていながらそれが出来ない
《松尾君はアン・リネエルを「パリの辻潤」と呼んだが、勿論ジュルナリストの気転? で、誰も真面目にとるものはないであろうから安心するが、自分の考え方が彼に似ていることは少しも不思議とするに足りないばかりか、かなり共通的なもののあることだけは事実である》(「自己発見の道」/『癡人の独語』)
辻潤は、アン・リネルを「インディビジュアル・アナアキスト」、つまり「無政府個人主義者」であるが、「系統はストア派」で、「ストイックの精神抜きにしては彼の所説を論ずることは出来ない」という。
アン・リネルの話はさておき、辻潤の『癡人の独語』はなんど読んでもいい。読むたびに感化される。似たようなことをおもったり、書いたりしていることに後から気づくことがよくある。
《生きることになんの疑いも持たず、普通の習慣に従って無心に生きられたらどんなに気楽だろう、と自分はいつでも思うのだ。しかしそれが自分にはいつの間にか出来なくなってしまっているのだ。
なにかしら漠然と物を考えているのが自分の生活の大部分になってしまっている。実行する能力が次第に減殺されてゆく——これはたしかに健康によくないことだと自分は十分わかっていながらそれが出来ないのだ》(「癡人の独語」/同書)
昨日から今日にかけて、目的もなく、といっても、ぼんやりしているわけでもなく、起きているあいだ、ずっと考えごとをしている。
休むときに休み、働くときに働く。そういうふうに気持をすぐきりかえられるようになりたい。仕事のときは、遊ぶことを、遊んでいるときは、仕事のことを考えてしまう。
ずっと意識が散漫で、道を歩いているとき、路上に止まっている自転車やバイクにぶつかってばかりいる。シラフなのに。辻潤にいわせると、意識が散漫になるのは酒精中毒の症状だというが、ほんとうだろうか。
気分転換しようと、高円寺の北口を散歩する。まもなく高円寺文庫センターが庚申通り移転する。今住んでいるところからはちょっと遠くなる。でも巡回ルートだからいいや。「琥珀」(上京以来、通いつづけている喫茶店)でコーヒーを飲みながら、『癡人の独語』を読む。なんでこんなにおもしろいんだ。
《人間というものはつくづくダメなものだ−−−これが現在の自分のありのままの感想なのであるが、勿論ダメなのは「人間」でなくて「自分」なのはわかりきっている。なにしろひどく叩きのめされたような気がして、頭があがらずひたすら降参している姿である。生きている間は所詮どうにもなるものではない》(「天狗になった頃の話」/同書)
どうにもなるものではないなら、どうでもいいやという気分になったので、帰りにあずま通りのZQに寄ってみた。この店、かならずいいものがある。チャド・アンド・ジェレミーの「ビフォー・アンド・アフター」というCDを手にとりジャケットを見たとたん、これは買わないと一生後悔するとおもい衝動買い。
英国のフォーク・ハーモニー・デュオの一九六五年のアルバム、ジャケ買いするの、ひさしぶりかも。
これは誰がなんといおうと自然かつ必要な欲望だ。そしてチャド・アンド・ジェレミーは予想以上によかった。休日向きCD。
……なんか散漫だな。ここのところ、ずっとそうだ。うわのそら。充電期間とおもいたい。
(追記)
その後、チャド・アンド・ジェレミーにすっかり魅了される。「The Ark(邦題:ノアの箱船)」は素晴らしい名盤だった。
自然でもなく、必要でもない欲望
おそらく今日もまたとくに予定のない日にありがちなことをするだろう。つまり部屋を掃除して、洗濯して、食料品を買い物して、古本屋をまわって、喫茶店で本を読んで、酒を飲んで、家に帰ることになるだろう。
あんまりものは持ちたくないが、知らず知らずのうちにものが増えてゆく。
学生時代、「現代のソクラテス」といわれたアン・リネル(1861-1938)に関する本の中に、彼の部屋の壁は床から天井まで本にうめつくされていたが、そこには「不必要な必要物」は何もなかったというようなことが書いてあるのを読んだ。
アン・リネルの部屋には敷物がなく、着ているものも百貨店の「つるし」で売っているような質素な服だったという。
当時は文学よりも、哲学や思想の本ばかり読んでいた。古典だけ読んでいればいいんじゃないか、そんなふうにおもっていた。今でもたまに頭がごちゃごちゃしてくるとそうおもう。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
2007/06/04
グーグルアース
まあ、最初はいま自分の住んでいるところを見て、それから生家をさがそうとしたら、雲がかかっていてよくわからない。とりあえず、目印の鈴鹿サーキットから中学のときの通学路をとおって、ようやくそれらしき場所が……自信なし。浜島の祖母の家にも行ってきた。小学六年の夏以来、二十五年ぶりだ。なつかしいなあ。
こんなことやっている場合ではないのだが、北方領土とか竹島とか尖閣諸島とかも見た。中国にわたって、三国志ゆかりの地もまわってみた。もしそのころ、こんな便利なものがあったら、いくさも楽勝だったろうに、孔明も。
大航海時代のルートを追いかけて、リスボンからマラッカに着いたころ、朝七時になっていた。これはいかん、自制心がきかん。アマゾン川だ、ナスカの地上絵だ、エベレストだ。上空十キロくらいの高度に設定して、北緯三十度あたりをゆっくり移動する。地形をずっと見ているだけでも飽きない。印があって、そこをクリックすると、その土地の写真も見ることができる。町や遺跡らしきものが見えたら、さらに高度を下げる。部屋にいながら世界旅行ができる。世界三大運河(スエズ、パナマ、キール)も遊覧してきた。百時間でも二百時間でも遊べそうだ。しかし、そんな時間は、そんな時間は、ないのだ。今は。
そのまま起きつづけて、西部古書会館の古書展に行く。なにを買うかあまりかんがえず、五千円分買うことにする。
物欲がうすれると、勤労意欲もうすれる。
軽く寝てから、中野の図書館に雑誌のバックナンバーを調べにいったが、貸し出し中だった。図書館で雑誌の貸し出しをするのはまったく意味ない。即刻やめてほしいとおもう。いつも無駄足になる。日比谷図書館まで行くかどうか三分くらい悩んだが、めんどうくさいので家に帰る。
2007/06/01
都会と田舎
京都の友人の家でしばらくすごした。家から歩いてすぐのところに川が流れていて、大きな神社もあって、何の用もなく、ぶらぶら歩いているだけでも楽しくて、もうすこし自然の豊かなところに住みたいなあとおもった。
田舎に住んでいたところは、そんなことはかんがえもしなかった。ひたすら都会にあこがれていた。でも東京に暮らして十八年、十九年とたつうちにだんだん自然にあこがれるようになった。たぶん田舎に引っ越したら、また都会に住みたくなるだろう。
ようするに、いつだってわたしはないものねだりをしているわけだ。
十年ちょっと前、建設関係の業界紙の仕事をしていたころ、いろいろおもしろい話を聞いた。
この先、二十一世紀の公共事業はこれまでに人間の作ったものを壊して、なるべく自然に戻すための工事をすべきではないかという人がいた。
たとえば、道路の舗装にしても、アスファルトではなく、砂利とか砂とか、なるべく自然のものをつかったり、コンクリートで護岸した川をもういちど自然に戻したり、そういうことにお金をつかったほうがいいという。
その人は、水を吸収する砂の舗装の研究をしていて、子どもが裸足で歩ける道をどんどん作りたいと語っていた。
そうなればいいのにとおもった。