金曜日、神保町。久しぶりに神田伯剌西爾でコーヒー。電車の中で武川寛海著『音楽家たちの意外な話』(音楽之友社、一九八二年刊)を読む。「もしもあのとき」という項目のチャイコフスキーの話がおもしろい。
チャイコフスキーは幼少のころから母親にピアノを習っていて、一〇歳のときに法律学校に入るも、ピアノの勉強を続けていた。一四歳で母が亡くなり、悲しみをまぎらわすためにピアノにのめりこむ。父は我が子のためにルドルフ・クンディンガーというピアノ教師をつけた。そして三年の月日がすぎた。
チャイコフスキーはピアニストになろうとおもったが、教師は「あんなものでは駄目」といった。
そのまま法律学校に通い続け、一九歳で卒業し、法務局に就職する。
《もしもあのとき、である。クンディンガーが「なんとかなるでしょう」みたいな曖昧な答えをしたら、おそらくかれは田舎廻りのピアニストに終ったであろう。かれがアントン・ルービンシテインがペテルスブルクに開設した音楽教室(今日のレニングラード音楽院)に入って、正式に音楽理論の教えを受けることになるのは二〇歳からである》
何かがうまくいかなかったことで別の何かがうまくいく。そういうことはよくある。
受験とか就職とかで自分の希望どおりにいかなくても、そのおかげで別の可能性が見つかることはよくある。
わたしにも「もしもあのとき」とおもうことは何度かあった。しかし、いろいろうまくいかなかったことがあった後に「今の人生でよかった」とおもえたら、それはすごく幸せなことだ。
チャイコフスキー本人にとっては田舎廻りのピアニストの人生もけっこう楽しかったかもしれない。