2015/06/30

もたない男と買わない男

 中崎タツヤ著『もたない男』が新潮文庫にはいったので再読する(この本のことは『書生の処世』でもとりあげています)。

 とにかくモノを捨てる。捨てすぎる。仕事場の写真を見ると、引っ越し前か後とおもうくらいガランとしている。
 しかも捨てるのと同じくらい買い物も好き。すぐに捨てたくなることがわかっているのに買ってしまう。いろいろ矛盾している。自分の原稿まで捨ててしまう(原稿をとりこんだパソコンも)。そこまでいくと怖い。その怖さもこの本のおもしろさである。

《捨てる、捨てないは、不安と自由に関わる問題です。
 ものを捨てれば、ものに縛られず、制約が少なくなって自由になりますが、どこか不安になるところがある。
 一方、もっていれば安心はするけど、ものに縛られる》

 わたしも常々この問題について考えている。モノは何もしないと際限なく増えていく。とくに本が増える。だから、どこかで歯止めをかけたい。
 ある時期から本棚からあふれた分は売って、読みたくなったら買い直すという方式に切り替えた。衣類も一着買ったら一着捨てる。食器もそう。ほどよい量をキープしたい。

 しかし「捨て欲」に火がつくと、後先考えずにモノを捨てたくなる。ゴミの日の前日、捨てられるものはないか部屋中を探しまわることもある。

 昨年、文庫化された鈴木孝夫著『人にはどれだけの物が必要か ミニマム生活のすすめ』(新潮文庫)は、新しい物をほとんど買わない(貰うか拾う)生活、そしてその思想を綴った本。単行本は一九九四年、二十年以上前に出ている。

《世界の「経済のパイ」を大きくするのではない。資源エネルギー、そして環境の許容度はもうこれ以上大きくは出来ない。途上国の生活水準を上げるためには、先進国が更なる経済発展を遂げ、そのスピルオーバー・エフェクト(余剰波及効果)に期待するしかないという、一部経済学者たちの考えは、地球というパイの有限性についての認識が全く欠如していると言わざるを得ない》

《大切なことは、私一人だけがやっても意味がないとか、たった一人の力で世の中の大きな流れを変えることなど出来はしないなどと、消極的にならないことだ。現在の社会が全体として向かっている方向、社会が毎日生み出している環境汚染や資源の浪費は、結局のところ私一人ぐらいがと思う極く普通の人が集まって作り出していることを忘れてはいけない》

 なるべく物を持ちたくない。古い物を大切につかいたい。
 その気持はわたしにもあるし、そうおもっている人は増えているような気がする。

 この考え方が、世の中の主流とまではいかなくても、一定の勢力になったとき、社会はどうなるのか……ということに今、興味がある。