旅行中に考えていたことをいくつか記しておきたい。
新幹線で往復するのはやめようとおもったこと。予定がつまっていて、どうしても新幹線に乗らないと間に合わないというとき以外は、行き帰りのどちらかは鈍行か別の路線に乗りたい。途中下車、大事だ。
郡山の古書てんとうふが、店舗をしめた。仙台に行った帰りには、かならず……ではないが、なるべく寄りたいとおもっていた古本屋だった。
今あるからといって、いつまでもあるとは限らない。そんなことは四十五年も生きていれば、いやというほどわかっているつもりだったが、古書てんとうふはいつまでもあるとおもっていた。
会津鉄道に乗ってよかった。平日の昼だったせいか、一両編成の車輌の四人掛けの席が余るくらいの人しか乗っていない。たぶん、乗客の平均年齢は、七十歳をこえている。
福島と栃木を結ぶ野岩鉄道の経営もきびしそうである。
鬼怒川温泉付近には、廃業した大型ホテルが並んでいて、電車の窓から見ているだけでも、かなり荒んでいることがわかった(「鬼怒川温泉」「廃墟」で検索すると、そういう画像がたくさん出てくる)。
作ったはいいが、取り壊す金がなくて、そのまま放置されている建造物は、今、日本にどのくらいあるのだろう。観光地の駅前に、朽ちたホテルが乱立している状況というのは、かなり異様な光景だ。「失敗遺産」として、きちんと研究すれば、後世の役に立つかもしれないとおもったが、わたしの手には負えそうにない。
つげ忠男の『自然術 釣りに行く日』(晶文社、一九九〇年刊)に、「奮戦・鬼怒川釣行」という釣行記がある。
《とにかく、鬼怒川と聞けば、わたしの脳裏にはとっさに溪流が走り、ついでに、温泉だの、団体旅行だの、サア、ヨイヨイの宴会だのが思い浮かぶわけだが、まさか、その川スソが別の表情を持っていて、そこでヘラが釣れるとは思いもしなかった》
利根川水系の鬼怒川、さらにその支流の男鹿川は、釣り人にとって人気のエリアで管理釣り場もいくつかある。
川が好きなのに、そこにどんな魚がいるのかわたしは知らない。川に「別の表情」があることも知らない。
ただ、新幹線で往復していたら、鬼怒川温泉界隈のことを考えることもしなかった気がする。
鬼怒川温泉からすこし先の龍王峡駅のちかくに、釣り堀があることを知った。龍王峡も途中下車したいとおもった場所だった。