時間ができたら書きたいとおもっていたことが書けずにいる。書かないと忘れてしまって、どうでもよくなる。
一年以上前に、渡辺京二著『無名の人生』(文春新書)を読んだ。最近、読み返して、忘れていたことをおもいだした。
《いかに管理された社会、出来上がった社会であっても、みずから出かけていって自分の居場所を見つけてほしい。そこには必ず、自分に適した穴ぼこがある。そういうニッチ(生態学でいう棲息の位相)を発見し、あるいは創りだしていくことが、世の中を多様にし、面白くすることになるはずです》
自分に適した場所はどこか。そこで何ができて何ができないか。できないことができるようになるためには何が足りないか。足りないものはどう補えばいいか。
それを考え続けることが、「ニッチ」といわれる世界で生きることではないかと。「ニッチ」を発見し、そこに生きてきた人たちがいて、その人たちが切り開いた道がある。その道があることでもっと先の世界を目指すことができる。
考えたことは書き残しておかないと、その続きを考えることはむずかしい。書き残しておけば、自分がたどりつけない答えを誰かが見つけてくれるかもしれない。
なんでこんなことを書いているのだろうとしょっちゅうおもうのだが、未完成でも何でもいいから書き続けないかぎり自分自身が先に進めない。失敗を重ねながら、すこしずつ先に進む。いきなり理想にはたどりつけない。
自分の居場所をどうやって見つけるか。そういう場所を見つけなくても生きていける人はいくらでもいる。自分に適した場所でなくても生きていけるタフな人になるという方法だってなくはない。でも、その方法がつらくてしかたがない人は自分の居場所を作るしかない。そんなことをぐるぐると考えていた。
まだ途中だけど、この話はもうすこし続ける予定。