2015/01/05

頭の裏側が痺れる話

 音楽を聴いたり、本を読んだり、野球を観たり……それは何だっていい。昔から、自分が「いい」とおもうものに出くわすと頭の後頭部や頭蓋骨の裏側(あたりのどこか)が痺れる感覚があった。当たり前すぎて、特別な感覚とはおもったことはなく、誰にでもそういうことはあるだろうとおもっていた。

 ところが四十歳すぎたあたりから、その頭が痺れることが減ってきた。たぶん、仕事のためにいろいろな自分の感情を制御して、その結果、それまでよりはちゃんとスケジュールその他もろもろを順調こなせるようになったのだが、それと引き替えにその感覚を失ったのだとおもう。

 当たり前におもっていた感覚が磨り減らし、なくしてしまうのはまずい。なくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気づく。いやなことを我慢せず、やりたいことをやっていないと頭が痺れるかんじは消えてしまうのだということがわかった。

 といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、昔だって、それなりに我慢しながら生活してきた。齢をとるにつれ、あらゆる「感動」に免疫みたいなものができて、ちょっとやそっとでは「いい」とおもわなくなる。

 そのへんのことをふまえつつも、昔のように頭がビリビリする感覚をとりもどせないかものかと試行錯誤を重ねているうちに、最近ちょっと復活してきた気がする。

 仕事や人間関係に支障をきたさない範囲で、人生を楽しもうというのは虫のいい話で、何かしらの犠牲を払う必要はある。おもしろいとおもうものがあっても、「今はそれどころではない」とブレーキをふむ。そういうことをくりかえしているうちに感覚が鈍ってくる。

 そこでブレーキをふまず、同時に仕事やら生活やらを両立させるのはむずかしい。でも、それをやらないといけないということを新年の何日間かだらだらしながらおもったので、今、酔っぱらっているのだが、自分のために記しておく。