高円寺駅の自動改札が改装され、きっぷとスイカが両方利用できる改札がふたつに減っていた。ふたつといっても、切符で出る人と入る人もいるので、乗降客の多い時間帯はつかえる改札はひとつしかなくなる。不便だ。
年が明けてから電車にもあまり乗っていなかったことに気づく。
仕事が終わらず、一週間以上外で飲んでいない。うどんと雑炊の日々。ほとんど病人のような生活である。一日の大半は頭がぼーっとしている。三月中旬くらいまで、この調子でどうにかやりくりするしかない。
日曜日、高円寺の古書展二日目。のんびりと本を見る。八冊ほど買って、千五百円。
J・サザーランド編『作家のシルエット 立ち話の英文学誌』(船戸英夫編訳、研究社出版、一九七九年刊)は立ち読みしてよさそうだったので買う。
イギリスの作家のエピソード集といったかんじの本だ。軽い文学読み物は好きなのだが、海外のものは知識不足で、探すのがむずかしい。とにかくたくさん背表紙を見て、手にとるしかない。
ロマン派の詩人、パーシー・ビッシ・シェリーの逸話——。
《シェリーは…いつも本から目を離さなかった。食事の際もテーブルの上に本が開いていた。紅茶もトーストも無視され、無視されないのは本の著者だけだった。マトンやじゃがいもは冷えきっても、本への興味は冷えることがなかった。(中略)ベッドにも本を持ち込み、ローソクが消えるまで読み、眠っている間だけはじっと我慢して、明るくなると暁方からまた読み始めるのだった》(読書気違いの居眠り)
エドワード・フィッツジェラルドが英訳した『ルバイヤート』にまつわるエピソードもおもしろい。
彼は訳した原稿を編集者に送ったが、出版される見込みがなく、一八五九年二月に自費出版した。
《褐色の表紙の小さな四折本で、古本屋のバーナード・クォリッツが二シリング六ペンスで売りに出した。ほとんど買い手がつかなかったので、一シリングに値引きし、ついには、店の外の「どれでも一ペンス」の箱に入れられてしまった。そこでようやく通りがかりの人に数冊買われたのであった》(ぞっき本の出世)
その後、ある有識者の手にわたり、話題になり、あっという間に『ルバイヤート』は一ギニー(二一シリング)まで急騰したそうだ。均一本が定価の十倍以上の値段に……。
ちなみに、このフィッツジェラルド版の『ルバイヤート』は、辻潤が邦訳(完訳ではない)している。