水曜日、神保町。本の雑誌社をたずねる。すぐ近くの古本屋、文省堂書店は四月十二日に閉店していた。外の均一棚の二冊百円の文庫、店内の一冊百円の単行本にはずいぶんお世話になった。閉店直前まで月に数回は訪れていたのだが、四月に入ってからは行ってなかった。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、澤口書店で野球本を買う。
今月の『本の雑誌』ではマイク・マグレディ著『主夫と生活』(伊丹十三訳、学陽書房、新装版はアノニマ・スタジオ)、佐川光晴著『主夫になろうよ!』(左右社)を紹介した。『主夫になろうよ!』は、わたしがこれまで読んできた「主夫本」の中でも最高傑作だとおもう。細かい脚注もふくめて、編集も手間がかかっている。
五月にもかかわらず、日中の最高気温が三十度ちかい日が続いている。
ここ数日、すでに真夏と同じ格好である。
布団も薄い夏用のものに切り替えた。
一九九〇年代の前半くらいまでは毎年六月上旬までコタツを出していた。六月上旬にコタツ布団をしまい、十月中旬か下旬にコタツ布団を出す。だいたいそんなかんじだった。
わたしは夜から朝まで起きているのだが、朝の四、五時は冷える。二十代のころは日当たりのわるい木造アパートに住んでいたから寒かった。
当時はエアコンもなかった。夏は首に冷蔵庫で冷やしたタオルを巻いて仕事をしていた。
それでも夜は窓をあけていれば、涼しい風が入ってきた。
コタツ布団をしまうのが、六月から五月になったのは二〇〇〇年代にはいってからである。
三月、四月は寒い日もある。春らしい季候は一ヶ月あるかないかといったかんじだ。秋も同様である。
一九七〇年代には、地球は再び氷河期に突入し、寒冷化が進むという説がけっこう囁かれていた。富士山大爆発の本がベストセラーになった。米ソ冷戦時代は子ども向けの雑誌でも、第三次世界大戦や核戦争の話が載っていて、世界中の核兵器の数、中性子爆弾、BC兵器(生物・化学)などを図入りで解説されていた。
未来予測はむずかしい。わたしもよく外す。自分のことですらわからない。高校三年のころは将来、自分が東京で暮らすことになるとはおもいもしなかった。現役のころは東京の大学は一校も受験していない。
ライターになった当初はジャーナリスト志望だった。同業の先輩には「原稿は足で書け」「断定できないことは書くな」と教えられてきた。
なんでこんなふうになってしまったのだろう。