十月二日、神宮球場外野自由席(ライト側)でヤクルト阪神戦を観る。
マジック1。勝てば(引き分けでも)ヤクルトの優勝。
午前九時「チケットとれないかな」とパソコンを起動していたところ、フリーの編集者の塚田さんから「二枚とれました」と電話があった。
午後五時前に球場入りするもライト側はほぼ満席。優勝が決まるか決まらないかの試合を観るのははじめてだ。
ヤクルトは二年連続最下位だったし、「今年はCS争いができたらいい」とおもっていた。九月に首位になって以降も、ほとんど楽な試合はなかった。今年は僅差で勝ったり負けたりの試合が多かった。
二日の試合も一対一で延長戦、十一回の裏、二アウト一塁三塁で雄平選手の打球が内野を抜けた瞬間、大歓声が巻き起こった。
もしこの試合、負けていたらペナントの行方はどうなったかわからない。残り試合はかなり厳しかっただろう。この一ヶ月くらい、二〇一一年の終盤、中日に追い抜かれたときのことが何度も頭をよぎっていた(あの年はショックで体調を崩した)。
優勝が決まった瞬間は「この先、これ以上の試合は観れないかも」という気持になった。もしかしたら自分の野球人生(正確にはヤクルトファン人生ですが)のピークかもしれない。
一九七八年にヤクルトは初優勝、一九九二年に二度目の優勝するまで十四年かかっている。わたしがヤクルトのファンになったのは、幼稚園がつばめ組(年中)だったという理由なのだが、三重にいたころはヤクルトファンが少なくて(たいてい学年でひとり)、しかも最下位の常連だったから、野球好きの友人にはよくバカにされていた。
ここ数年、野球のファンって何だろうと自問自答している。応援したからといって、何がどうなるわけでもない。試合だけでなく、ドラフトから引退、引退後まで選手の生活まで考え続けている時間はいったい何なのかと……。
でもそんなことはどうでもよくなった。
雄平選手のサヨナラのあと、優勝セレモニーとビールかけも球場で行われ、最後まで観る。この光景を目に焼き付けておこうとおもった。何かつらいことがあったときにおもいだせるように。
家に着いたのは深夜一時ちょっと前。それからペリカン時代で飲んだ。