2015/04/05

色川武大の全集未収録作

 日曜日、やや二日酔い気味で西部古書会館に行く。
 そろそろ連休進行なのだが、無理せず、休み休み仕事をしようとおもう。

 色川武大の単行本未収作を収めた『友は野末に 九つの短篇』(新潮社)を読む。この本の中に『文学者』一九七一年二月号に掲載された「蛇」も収録されていた。

 五年くらい前に、わたしは「蛇」の存在を河田拓也さんに教えてもらった。さっき、インターネットで「色川武大」「蛇」と検索したら、河田さんのツイッターをまとめたものがいちばん上にあがっていた。

 色川武大が阿佐田哲也名義で麻雀小説を書きはじめたのは一九六八年。一九七一年は「麻雀放浪記 激闘編」を『週刊大衆』に連載していた時期だが、本名で書かれた「蛇」は年譜に載ったことのない幻の作品だった。

《なるべく、というか、できうる限り、変化しないこと、私はもともともそれを望んでいた。その場所の居心地はどうでもかまわない。じっと我慢していればそのうち慣れてしまう。ただ、新らしい場所に移ることだけは勘弁して欲しい。引っ込み思案で怠け者の発想である》

 色川武大のどこかおかしな小説の味はすでに、かなり、色濃く出ている。変化を拒む子どもだった「私」は、入浴、散髪、洗顔も大事件で飯を食うことも嫌い。だが、それをせずには生きていけない。「私」の生き方は「此の世の定則と、絶えず無益な戦争をくり返していたようなもの」だった。

 自分で決めた原則に縛られて身動きできなくなる悲喜劇——色川武大作品の中でくりかえし語られるテーマだ。「蛇」の一年前に色川武大名義で発表された「ひとり博打」や『虫喰仙次』(福武文庫)所収の「走る少年」もそうだろう。