季節の変わり目、毎日、睡眠時間がズレる。よくあることだが、寒暖差の影響もあるとおもう。そういう体であることを前提に生活していくしかない。中年過ぎて急に運動すると足がもつれて転ぶみたいなことが、頭の働きにもあるような気がする。若いころのイメージと今の自分とのズレが、しょっちゅう起きる。記憶力が落ちた分、メモをとるようにするとか、しめきり前日は酒を飲まないとか、いろいろ試行錯誤はしているのだけど、仕事が捗らない。
東京堂書店で新刊本のチェック。小諸そば、鳥から二個サービス中、とろろ丼とそばのセットを食う。帰りは代官町通りを歩いて四ツ谷駅まで。電車の中で佐藤正午著『佐世保で考えたこと エッセイ・コレクションⅡ 1991年-1995年』(岩波現代文庫)を読む。
三十年前、長崎は深刻な水不足だった。なんとなくニュースで見た記憶がある。当然、ふだんは忘れているし、細かいことは最初から知らない。当時、佐世保の節水でグラスが洗えず、紙コップで酒を提供していた飲み屋があった。『佐世保で考えたこと』に書いてあった話。深夜、そんな話を高円寺の飲み屋で喋っていたら、たまたま佐世保出身の若者(二十代だとおもう)がいた。さらに佐藤正午と同じ高校に通っていたとも。
ここ数日、ずっと仕事部屋の掃除。五十五歳になる前に一度おもいきってモノを減らしたいと考えていた。減らさないと本が買えない。本が買えないと心の平穏が保てない。だからやるしかない。ただ、昔と比べて取捨選択の反射神経が鈍っている。片付けようとして、余計に散らかってしまう現象に名前はあるのか。
片付け中は古本も買い控え。未読の本なら山ほどある。「三冊まで」と上限を決め、先週末、西部古書会館。「文藝」編集部・編『追悼 野間宏』(河出書房新社、一九九一年)、『NeoUtopia 藤子不二雄Ⓐ先生 追悼号』(二〇二二年)、それから絵地図を買った。『追悼 野間宏』は、冒頭「アルバム 野間宏」に桑原(竹之内)静雄と野間(京大時代)、富士正晴と野間宏(一九五九年)の写真あり。野間と富士、桑原(竹之内)静雄は同人誌『三人』の同人仲間。武田泰淳の別荘の写真も載っていた。
『NeoUtopia 藤子不二雄Ⓐ先生 追悼号』——Ⓐ先生愛がすごい。愛が重い。Ⓐ先生が亡くなったのは二〇二二年四月六日。特集以外では、連載(一挙三話掲載!)の「黒幕組合の狩猟日記 未収録ハンター 栄光と挫折の記録」が面白い。見出しに「高騰する藤子業界」なんて言葉が出てくる。単行本に収録されていない幻の「一コマ」を求め、オークションで競り合う。
漫画にかぎらず、熱心なコレクターが世界に三人くらいいると、古書価が急騰してしまうのだ。中古レコードもそう。しかも苦労して入手しても、興味のない人からすれば、なぜそこまでして入手したいのかわけがわからない。何かを集めること、調べることに人生を捧げている人がいる。使命感のようなものに突き動かされているのか。そういう人が書いたものは面白い。