十月、郵便料金値上げ。定型郵便物八十四円(九十四円)が百十円。スマートレターは百八十円から二百十円、レターパックライトは三百七十円から四百三十円、レターパックプラスは五百二十円から六百円になった。自分のためのメモとして記しておく。
昨日も今日も部屋の片づけ。押入で五年十年と眠っている雑誌のコピーなどの資料をどうするか。最初からそんなものはなかったと諦めるか。掃除をしながら、体だけでなく、心や気持も動かすことが大切なのではないかといったことを考える。
おなかがいっぱいだと何も食べたくない。ある種の空腹感、渇望感が心を動かすための鍵なのかもしれない。面白そうなイベントがあったとしても、疲れていたり、予定がつまっていたりすると「今回はいいか」となる。体は動けど、気持が動かない。
年がら年中、誰に頼まれたわけでもない調べ事をして過ごしている。ぼんやりと全体像が見えてくるちょっと手前までは楽しい。山登りでいえば、五合目あたり。
コレクション、収集の話でいえば、ある作家、あるジャンルを集めはじめたころは自分の知らない本やら冊子やらを見つけるたびに心が躍る。そのうちだんだん数が増え、残るは入手困難なものばかり……といった感じになってくると「たぶんないだろう。あっても高くて買えないだろう」と古本屋に行く足取りが重くなる。
本や資料の置き場所が埋まってくると「これ以上、増やすとまずい」という気持が先立ち、ブレーキを踏む。わたしが低迷期に入るときのパターンはいつもこれ。
金曜昼すぎ、郵便局に寄り、西部古書会館(初日は木曜だった)。本当にほしい本だけ買おうと心に決め、会場入り。『真鍋博展』図録(美術出版デザインセンター、朝日新聞社、二〇〇四年)、『戦後40年 日本を読む100の写真』(文藝春秋臨時増刊、一九八五年八月)の二冊。「戦後40年」がまもなく四十年前になる。「戦後何年」みたいな企画は五十年がピークでその後は下降気味のようにおもう(あくまでも雑誌の話)。
掃除の合間に岡崎武志編『駄目も目である 木山捷平小説集』(ちくま文庫)を読む。「貸間さがし」も入っている。東京・中央線沿線で「正介」が下宿をさがす。「ポツダム宣言受諾後、もうすぐ四年になろうとしているのに」という文があるので一九四九年ごろの話。初出は「一九五八年二月 別冊文藝春秋」。木山捷平、五十三歳のときの作品である。
「敗戦の時の三月まで、正介は中央線の高円寺に住んでいた」が、敗戦後の東京の貸間借間事情がわからない。部屋を借りるのに数万円の権利金が必要だといわれる。「正介」にそんな金はない。
吉祥寺の便所なしの三畳間を借りるか借りないかで迷う。作中の「正介」は四十代半ばである。
木山捷平は淡々とした作風と評される作家だけど、四十代半ばで妻子がいて、それでも文学を続けようと再上京を考えている。もちろん筆一本で食べていける保証はない。文学への執念を秘めつつ、力の抜けた筆致でなんてことのない日常を書く。すごさを感じさせないところも含めて「奇異」な作家だ。
わたしはこの秋(十月中旬)で高円寺に移り住んで三十五年になる。上京して最初の半年は下赤塚の寮(単身赴任中の父が働いていた工場の寮)に住んだ。寮を出たのは二十歳になるひと月前。以来、高円寺内を何度か引っ越した(台車で本を運んだりもした)。二十代のころは、ずっと「何とか荘」というアパートに住んでいた。三十代後半から五十歳になるすこし前まで借りていた仕事部屋も「何とか荘」だった。こんなに長く同じ町に住むことになるとはおもわなかった。アパートの取り壊しによる立ち退きは三度(仕事部屋も含む)経験した。いつまで自分は高円寺にいるのだろう。そんな疑問が頭によぎる。先のことはわからない。わからないまま三十五年の月日が流れた。