日常の生活範囲は高円寺を中心にその日の気分で中野や阿佐ケ谷あたりまで歩く。人混を避け、ふだん通らない道を歩く。
なみの湯、今年も鯉のぼり。ずっと変わらない風景を見ると嬉しくなる。
途中ベランダにマスクを十枚くらい干している家があった。
阿佐ケ谷の某古書店で佐藤観次郎著『文壇えんま帖』(學風書院、一九五二年)を買う。佐藤観次郎は『中央公論』の編集長である。
尾崎一雄については「器用な作家ではないがこの男でなくては書けないユニークな作品がある」「元来、呑気な男で何時も青年の気持で、仕事に精進し、決してあくせくしない所に特徴がある」「不思議な奇骨をもつている」と綴る。
寒い時期は「冬眠」する。とにかく無理をしない。尾崎一雄の生活態度は我が理想でもある。
世の中は自分の意志とは関係なく変わる。体調も天気や気温に左右される。
尾崎一雄著『楠ノ木の箱 他九篇』(旺文社文庫)の表題作を読む。
体調を崩した「私」は医者に行った。検査をしたら血圧が高いといわれる。
《「下げる薬を上げますけど、ご自分で注意して下さい。煙草はどのぐらい喫いますか」
「ハイライト六十本ぐらい」
「それは多い。いきなりやめろとも云えないが、せめて半分にして下さい」
「やってみましょう。——酒は?」「少しならかまいません……」》
健康観念のゆるい時代だった。
作中の「私」は「強圧的でない」医者のややいいかげんな態度を気に入っている。同時に自分が「良くない患者」ということもわかっている。自分のからだが「穴だらけ」と認識している。
若き日の尾崎一雄は肺結核を患ったことがある。前年に父、翌年には妹が亡くなっている。
《人間のいのちなんて、なかなか医者の云う通りにはいかないものさ。俺は、はたちの頃も危ないと云われたんだ》
震災、戦災、大病……。何度となく危機を乗り越えてきた。
尾崎一雄は八十代までウイスキーを飲みながら小説を書き続けた。不思議な奇骨がほしい。