金曜日、午後二時半ごろ、高円寺駅に行くと電車が止まっているとアナウンスが流れた。この日、荻窪か西荻窪の古本屋を回るつもりだった。新高円寺まで歩いて丸ノ内線に乗る。
古書ワルツで井伏鱒二著『たらちね』(筑摩書房、一九九二年)を買う(持っていたはずなのだが、探しても見つからなかった)。
《私が福山(誠之館)中学に入学して、寄宿舎に入ると、上級生たちが先輩の噂をして、「この学校には、卒業生のなかに、福原の麟さんといふ秀才がゐた。とてもおだやかな秀才だつた」と云つてゐた》
「福原の麟さん」は英文学者でエッセイストの福原麟太郎。一八九四年十月生まれ。井伏鱒二は一八九八年二月、早生まれだから学年でいえば三年ちがいか。同郷ということは知っていたが、これまで二人の年の差を意識したことがなかった。
午後三時すぎ、まだ電車は動いてなかったので途中阿佐ケ谷の古本屋に寄り、高円寺まで歩いた。
家に帰り、井伏鱒二著『鶏肋集・半生記』(講談社文芸文庫)所収の「牛込鶴巻町」を読み返す。初出は一九三七年。学生時代の六年間、井伏鱒二は(ほぼ)早稲田界隈に下宿していた。
《鶴巻町の裏通りは本郷や神田や三田の学生町とちがい、ずぼらな風をしても目立たないような気持がする。街が引立たないせいもあるだろう。(中略)三十男が悄気込んで歩いていても、不自然な姿とは思われない。ふところ手で腕組して歩いても町の人は怪しまない。本郷や神田などに行くと、私はとてもそういうずぼらな恰好をして散歩する心の余裕がない。勝手にずぼらな恰好ができるところは牛込鶴巻町である。鶴巻町は私の散歩みちの故郷である》
この話も井伏鱒二の好みがよくあらわれている気がする。
近年すこし町並は変わってしまったが、荻窪界隈もずぼらな恰好で歩ける気楽さがある。
以前、井伏鱒二の随筆でその人の歩き方と文章は似ているという話を読んだ記憶があるのだが、今はどこに書いてあったか思い出せない(勘違いかもしれない)。
勘違いを元にした想像だが、堂々と歩く人は堂々とした文章を書く。逆にとぼとぼ歩く人はとぼとぼとした文章を書いてしまうのではないか。井伏鱒二の文章は着の身着のままの恰好でなじみの町を歩いているような感じがする。