秋分の日、高田馬場から早稲田——鶴巻町のあたりを散歩し、古書現世、丸三文庫に寄る。
家に帰って河盛好蔵編『井伏さんの横顔』(彌生書房、一九九三年)所収の今日出海「かけ心地の悪い椅子」を読む。井伏鱒二の小説について「彼の作品は面白いが、面白がらせようとは一切しない」と批評し、そして——。
《井伏は年をとって気むずかしくなったのではなく、始めから気むずかしかったのだ。だから自分の好きな片隅に独りいて、外に眼を向けたがらなかった。気分が鬱屈すると旅に出た。それも余り人目につかぬ甲州あたりの山の湯へ行って、ひっそりと湯につかっていた》
「自分の好きな片隅に独りいて、外に眼を向けたがらなかった」という言葉は井伏鱒二を的確に言い表わした言葉のようにおもう。今日出海はそのことをよくもわるくもいっていない。
自分の資質、特性を守り抜くこと。たぶんその先にしか詩や文学はない——たぶん少数意見かもしれないが、わたしが好きな文学はそういうものだ。
「かけ心地の悪い椅子」では今日出海が京都の旅先で井伏鱒二と会い、飲み歩いたときの話も書いている。
真夜中、店を閉めようとしている老婆が営む赤提灯の小汚い飲み屋があった。井伏鱒二は「一杯だけ飲ませてくれないか」と頼んだ。飲みはじめると、いつの間にか老婆は井伏鱒二を「先生」と呼び、次々とつまみを出した。二人は午前三時すぎくらいまでその店で飲んだ。
《かけ心地の悪い椅子に、あんなにゆっくり落ち着いていられるのは、余程修業を積まねば出来るわざではない》
むしろ井伏鱒二はそういう店のほうが落ち着く性格だったのではないか。
『井伏さんの横顔』所収の木山捷平「眼鏡と床屋」にこんな話が出てくる。
戦時中、ある春の日、木山捷平は荻窪の井伏邸を訪ねた。井伏鱒二は留守で、井伏の妻は「いまそこの床屋に行つてゐますから」といった。待っていても、まっすぐ家に帰ってくるかわからない。
《教えてもらつて行つてみると、その床屋は間口一間奥行二間あるかないかの粗末なミセだつた》
木山捷平は「荻窪にはもつとハイカラな店が沢山ある筈なのに、どうしてこんな店に井伏氏が来てゐるのか訳がわからなかつた」と訝しみつつ、次のように推理する。
《これは多分、井伏氏が荻窪に引越して来た時、はじめて行つた店なのであらう。そのころ、昭和初年には、この井荻村へんは草深い田園だつたので、床屋といへばこの店が、ただ一軒あつただけなのかも知れない》
あくまでも木山捷平の想像だが、いかにも井伏鱒二らしい話だなと……。