土曜日、西部古書会館。『井伏鱒二自選全集』(新潮社、全十三巻)を衝動買い。全巻揃いの美本が、一巻分の定価よりも安いとは。嬉しいやら悲しいやら。でも退屈しのぎに全集はもってこいだ。
井伏鱒二の山梨疎開時代の話はあちこちで読んできたが、いつごろだったかはあんまり意識してこなかった。
《昭和十九年六月、私は戦争中に山梨県の甲運村(今の石和町の地続き)に疎開して、甲府市が空襲で焼けた翌々日、広島県福山市外加茂村に再疎開して、終戦後二年目に(昭和二十二年六月)東京に転入し、それからは毎年のように笛吹川へ釣りに行つた》(「旧・笛吹川の趾地」/『井伏鱒二自選全集』第一巻』)
井伏鱒二が山梨県の甲運村に疎開したのは一九四四年六月(年譜では五月や七月となっているものもある)、そしてその翌年に——。
《七月十日(昭和二十年)
甲州から広島県に再疎開。妻子を連れ八日午後一時、日下部駅発、中央線経由にて名古屋より京都に至り、大阪空襲中の故をもつて山陰線を選び、万能倉駅に下車、午後十時生家に着く》(「疎開日記」/『井伏鱒二自選全集』第八巻)
一九四五年七月六日の深夜から七日にかけて甲府空襲があった。それからすぐ広島に再疎開したことになる。日下部駅は現・山梨市駅である。八日の昼に山梨を出発し、三日かけて郷里に辿り着いた。広島に向かうのに京都から大阪、神戸などの都市を通らず、いったん日本海側に出る。このあたりの用心深さが井伏鱒二らしい。行動が素早く、なおかつ遠回りし、時間がかかっても安全そうなルートを選ぶ。
万能倉駅は福塩線。井伏一家は鳥取駅のホームで一泊し、その後、伯備線に乗り換えたとおもわれるが、そこから先のルートがわからない。倉敷に出て山陽線で福山駅に出るコースか、途中で芸備線に乗り換えるコースか。空襲の危険が低そうなのは後者だが、ものすごく時間がかかる。