『週刊大衆』(九月六日号)の連載『ニューシニアパラダイス』(監修・漫画 弘兼憲史/企画・文責 木村和久)を読んでいたら「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という小題が付いていた。
室生犀星の「小景異情」の一節だが、同コラムには「タイトルは室生犀星の有名な詩の冒頭です。還暦を過ぎると妙に故郷が恋しくなります」とある。
たしかに犀星の「小景異情」のこの部分はものすごく「有名」だが、「ふるさとは〜」は「小景異情(その二)」の出だしなんですね。
「小景異情(その一)」の冒頭は、
「白魚やさびしや
そのくろき瞳はなんといふ」
——である。昔、わたしも「小景異情」は「ふるさとは〜」ではじまる詩だとおもっていた。まさか六篇の連作詩だったとは……。
偶然というか何というか『週刊大衆』の同コラムを読む数日前、神保町の古本屋で『犀星〜室生犀星記念館』(二〇〇二年)を買い、「小景異情」のことを考えていたところ、かつての自分と同じ勘違いをしている文章に出くわしたわけだ。
「小景異情」が収められた『叙情小曲集』(感情詩社)は大正七(一九一八)年九月刊。パンフレットの年譜を見ると、一九一三年に『朱欒(ザンボア)』の五月号に「小景異情」掲載とある。『朱欒』は北原白秋が作った文芸誌である。朱欒は「ザボン」とも読む。
室生犀星は一八八九年八月一日生まれだから、二十三歳のときに「小景異情」を発表した。『叙情小曲集』覚書には「二十歳頃より二十四歳位までの作にして、就中『小景異情』最も古く、『合掌』最も新しきものなり」とある。犀星の言葉をそのまま信じるなら「小景異情」は「二十歳頃」の作ということか。鮎川信夫の『現代詩観賞』(飯塚書店、一九六一年)には「小景異情」は「作者が十九歳のときの作品」と記されている。犀星、早熟、否、老成しすぎ。
犀星は二十二歳ごろまで東京と金沢を行ったり来たりしている。年譜によると、上京した年は大正二(一九一三)年十一月。「ふるさとは遠きにありて〜」は上京前——金沢時代の詩なのだ。これも意外といえば意外である。
ちなみに「小景異情」の「その二」には「うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても 帰るところにあるまじや」という言葉もある。この部分もいろいろな解釈ができそうだが、今日のところはこのへんで……。