八月十六日(土)、十七日(日)、西部古書会館(高円寺均一古本フェスタ)。初日二百円、二日目百円。ここのところ、本の整理中で、ずっと古本に関してセーブモードだったのだが、「一行でも読みたいとおもったら買う」と決め、初日九冊、二日目三十一冊、計四千九百円。
初日、山路閑古著『戦災記』(あけぼの社、一九四六年)は、俳句その他の戦争責任についても記されている。
山路は一九〇〇年十月静岡生まれ(一九七七年四月没)。化学者で俳人。『古川柳名句選』(筑摩叢書、一九六八年。後にちくま文庫)などの著作もある。
あと田澤拓也著『無用の達人 山崎方代』(角川書店、二〇〇三年)、内田百閒著『夜明けの稲妻』(三笠書房、一九六九年)など。『無用の達人』は角川ソフィア文庫版あり。百閒の『夜明けの稲妻』、巻末に著作目録、装釘意匠者一覧が付いている。
二日目、津田青楓著『寅彦と三重吉』(萬葉出版社、一九四七年)など。津田青楓の本、初日に行ったときは気づかなかった。残っていてよかった。同書は寺田寅彦の手紙を数多く収録している。
《寺田さんは手紙のなかで、どこかで又一緒に飯を喰はう、と云つてゐられるが、寺田さんは外に出てウマイ飯を喰ふのが好きだつた。それも洋食に限つてゐた》
寅彦も絵(水彩、油絵)を描いていた。自著の装丁もした。青楓宛の手紙でも絵の話をよくしている。
青楓は九十八歳まで生きた(一八八〇年生、一九七八年没)。画家は長生きの人が多い気がする。杉並区公式サイトの「すぎなみ学倶楽部」によると、一九三〇年、五十歳のときに杉並区天沼に移り住み、戦後は杉並区高井戸に暮らしたとある。
仕事の合間、『フライの雑誌』(134号)を読む。水口憲哉「農奴と村張り」の副題は「テクノ封建制に抗う共同出資と共同経営」。文中、アナルコ・サンディカリズムという言葉も出てくる。
樋口明雄「人生のたたみ方」は、心身が老けない秘訣に関する話のところに付箋を貼る。
わたしは「静かに過すことを習へ 福原麟太郎の色紙の謎」というエッセイを書いた。「静かに過すことを習へ」はアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』の言葉なのかどうか……という話である。
福原麟太郎、随想全集は揃ったが、未入手の単行本、新書がまだ残っている。