2007/02/25

ビル風と外市

 駅に向って歩いていたら、突風でよろけた。南からの風が冷たい。帽子をかぶってこればよかったとおもったが、家に引き返す気になれず、電車に乗る。
 新宿のりかえ目白下車。行く先は古書往来座の「外市」。今「わめぞ」(早稲田、目白、雑司が谷)というエリアの古本屋さんと雑貨屋さんがとても活発である。
 土曜日(二月二十四日)の午前中から、もう人が店をぐるっと囲んだ棚に群がっている。客層もけっこう若い。古書現世の向井透史さんの「外市」宣言の文章に駆り立てられた人も多かったのではないだろうか。わたしもそのひとりだ。

 早い時間に行ったおかげで、おもしろい本がいろいろ買えた。
 中でもうれしかったのが、阿奈井文彦の『喫茶店まで歩いて3分20秒』(PHP研究所、一九七八年刊)で、この本は最近あまり見かけない。十年くらい前に手放してしまって、以来、ずっと探していたのである。

 阿奈井文彦は「アホウドリ」の異名で知られるルポライター。アホウドリは羽ばたくのが苦手で、向い風がないと飛び立てない。
 寒風ふきすさぶ中、行われた往来座の「外市」で、この本を見つけることができたのは、低迷する生活から飛翔するきっかけになるのではないか……そんな予感がした。

《それぞれひとによって、わが住まいのあらまほしき環境というものがあるだろう。それはあくまでも、自分の経済生活に合った範囲内の理想ではあるけれど。
 わが思いえがく住まいの環境は、以下のごとくである。
 一ツ、近くに感じのよい喫茶店があること。
 二ツ、古本屋が二、三軒あること。
 三ツ、当然のことながら、銭湯の位置も近辺にあってほしい。
  (——ということは、諸般の事情からまだわが理想とする住まいのなかには、「風呂付き」は、かなえられないユメなのである。もっとも、ぼくは銭湯愛好者であるので、たとえ風呂付きのアパートに居をかまえても、タオルをさげて銭湯にかようことになるだろうけれども)
 四ツ、下駄ばきで歩いてゆけるほどの距離に二本立て三百円くらいの名画座と、東映と日活ロマン・ポルノの封切館があれば、なお結構。
               *
 以上が、ぼくの四ツの願いである》(喫茶店まで歩いて3分20秒)

 阿奈井文彦は、早稲田に住んでいた。そのころ、喫茶店はざっと数えて三十軒、古本屋も四十軒くらい、映画館も早稲田松竹、パール座、高田馬場東映、東映パラスがあり、すこし歩いて神楽坂まで行けば、ギンレイホール、佳作座、飯田橋クラブ、牛込文化と八軒もあった。
 食事は、大学の食堂を利用することもあるという。

《——ツマリ、ぼくは三十を過ぎても、いまだに学生気質がぬけず、秘かに、学生生活を愉しんでいるわけです》(同文)

 わたしも学生気質がぬけない。在学中からフリーライターの仕事をはじめ、そのうち大学に行かなくなって、学生生活の区切をつけることなく、高円寺の中で転居をくりかえしている。
 どんな部屋に住むかは、家賃とのかねあいになる。
 築年数、広さ、風呂付か風呂なしか、駅からの距離、日当たり、その他。かぎられた予算内で何をとり、何をがまんするか。理想をいえばキリがない。
 ただ人生の選択においては、さまざまな失敗を重ねてきたけれど、古本屋のたくさんある町に住んだことは、ほんとうによかったとおもっている。

 あと『喫茶店まで歩いて3分20秒』を読んでいて、とても共感したのは、声が小さくて聞きとりにくい問題だ。

《ぼくの声は小さいということになっている。(中略)
 低音、というと聞こえがいいけれど、単純に声量が無いだけの話で、これはぼくの肺活量が低いことと、小心翼々とした性格からきているせいで、自然声が低くなる。
 だが、そればかりではないようで、あるとき、これはわが住宅事情のなせる結果ではないかと思いいたった》(団地の部屋にはホンコン・フラワーがよく似合う)

 わたしは田舎にいたころ、ずっと長屋に住んでいた。隣の家との壁はうすい。隣のおばあさんの聞くラジオの音や毎朝詠むお経の声がつつぬけだった。親子の会話はいつも筆談で、そのおかげで文章を書くことだけは苦にならなくなった……というのはウソだが、そういう環境に生まれ育ち、上京してからも三十歳すぎまで木造アパート暮らしとくれば、声が小さくなろうというものである。

 たぶん声は大きくならないだろう。小心もなおらないだろう。
 でも向い風には強くなりたいものだ。ビル風に立ち向かい、古本屋に出かける。とにかく外に行く。

 古書往来座の「外市」の帰り道は、書肆アクセスの畠中さんといっしょだった。
「みんな楽しそうだったねえ。若い人がいきいきしているの見るとこっちも元気が出るわ」
 またぜひ開催してほしい。

2007/02/20

阿佐ケ谷散歩

 めずらしく早起きし、午前中、北口のオリンピックに新しいFAXを買いに行く。上京してからもう六台目だ。だいたい三年で壊れる。
 ずっと感熱紙用のFAXをつかっていた。しかし、今もう電気屋に行っても、感熱紙用のFAXは一機種しか売っていない。
 普通紙用はインクリボンを買うのがめんどくさいし、A4しか受信できないし、気がすすまなかったのだが、この状況では選択の余地はない。普通紙用を買う。

 説明書を読みながら、名前を登録したり、着信音を変更したり、いろいろやっているうちに午後になる。
 子機でとった電話がまったく反応しない。前の機種は充電機からとりはずせば通話ができたのに、今度の機種は……ああ、そうか、そういう設定に切り替えられるのか。ややこしい。

 気候の温暖がはげしいと、体調が崩れやすい。週末かるい風邪をひいた。
 風邪は一日で治ったが、気力がもどらない。
 こういうときは散歩だ、散歩が仕事だ。

 高円寺の古本屋巡回コースを通って、南口のたけるのママの店でたぬきうどんを食い、青梅街道まで歩いて、それから丸ノ内線で南阿佐ケ谷駅まで行き、途中、衣料品店の奥にある喫茶店で休憩する。店で出来たばかりの永島慎二の『ある道化師の一日』(非売品・限定五百部)という本を見せてもらった。ものすごく凝った作りの本だった。
 永島さんは、将棋駒も作っている。前に高円寺在住の森本レオさんに「ぼくは永島さんの駒もってるよ」と自慢された。永島さんの日記にも森本さんの名前がよく出てくる。

 喫茶店を出て、南口の古本屋で店番をしていた助教授(愛称)とすこし喋る。
 こんど、よるのひるねで一箱古本市(三月十八日・日曜日)をするそうだ。この日なんか予定がはいっていたような、いないような。忘れた。

 阿佐ケ谷北口の古本屋にも寄ろうかとおもったが、疲れたので、ガード下を通って歩いて高円寺に向い、OKストアで買物してから家に帰る。
 三、四キロは歩いたかもしれない。

 ぐったりしたときによく聴くジョン・サイモンズ・アルバムを流しながら、部屋の掃除をして、京都の扉野さんに送ってもらったH・メルヴィルの『代書人バートルビー』(酒本雅之訳、国書刊行会)を読む。
 書類の点検をお願いすると、バートルビーは「せずにすめばありがたいのですが」と答える。用事を頼むと、きまって明瞭な語調で「せずにすめばありがたいのですが」といい残して消えてしまう。なぜ断るのかと問いつめても、「せずにすめばありがたいのです」。
 ある日、バートルビーは事務所に住み着いていることがわかる。出ていけといっても出ていかない。
「せずにすめばありがたいのです」

 ヘンな小説だ。おもしろくてこわい。いや、これこそ小説だ。いわゆる奇妙な味の不思議な小説。浮世離れしたバートルビーにたいする「わたし」の心の動きがものすごく緻密に描かれていて、自分の中にもある困ったところ、あるいは困ったなあとおもわされたことをかんがえさせられてしまう。
 正月に京都に行ったとき、海外には梅崎春生みたいな作家はいないのかという話をしていて、それで扉野さんが送ってくれたのかもしれない。そうだったような気がする。

 ジョン・サイモンズ・アルバムを聴いていたら、ハース・マルティネスのアルバムがほしくなる。
 ハース・マルティネスの紙ジャケCDが出ているのを知らなかった。音楽雑誌を買わなくなったので、どんどん情報に疎くなっている。

 どこからともなく「仕事しろ」という声がする。
 せずにすめばありがたいのですが。
 今、酔っぱらっている。たぶん、あとで読み返したら、わけのわからない文章になっていそうだ。
 いい気分なのでよしとする。

2007/02/15

絵本酒場

 高円寺の古本酒場コクテイルがあずま通り移転三周年のイベントとして、「絵本酒場 コクテイル」(「古本海ねこ」さんによる出張販売)を開催しています(二月十四日〜三月十四日まで)。

 初日の夜、行ってみたら、なんと店の看板が出ていません。薄暗い店内をのぞくと、店長の狩野さんと海ねこ夫妻が三人で飲んでいました。しかもべろんべろんです。前日の搬入のときに飲んでしまい、準備が間に合わなかったそうです。間に合わなくてもなんとかするのではなく、間に合わないなら店を閉めてしまうというところがいかにもコクテイルらしいとおもいました。
 わたしも酒宴にまぜてもらいました。
              *
 絵本を見ていると、いろいろなことをおもいだす。小学校の学級文庫にあった絵本がある。なつかしい。
 いろいろ棚をながめていると、常連のダンディさんがやってきた。
「あれ? 休みなの?」
 またひとり仲間がくわわった。

 飲みながら、つぎつぎと絵本をとりだし、子どものころに読んだ絵本の話などでもりあがる。

 わたしは『せいめいのれきし』(バージニア・リー・バートン 文・え/いしいももこ やく、岩波書店)という絵本を買うことにした。
 銀河系のはなし、太陽系のはなし、地球のはなし……ときて、地球上に生命が誕生し、現在にいたるまでの流れが描かれた絵本だ。子どものころ、何百回読んだかわからない。

《考えられないほど大昔、太陽がうまれました。
 そしてこの太陽は、何億、何兆という星の集りである、銀河系とよばれる星雲のなかの、ひとつの星です、
 そしてまた、この銀河系は、宇宙とよばれる、ひろいひろい空間を、おそろしい勢いで、ぐるぐるまわっている、何億、何兆もの星雲のひとつです。
 わたしたちの太陽は、これらの星のなかで、一ばん大きくもなく、一ばん小さくもありませんが、わたしたちにとっては一ばんだいじだ——というわけは、太陽の光の熱がなかったら、この地球では、何もいきていけないのです》(プロローグ 1ば)

 子どものころ、宇宙の大きさや宇宙が生まれてから人が生まれるまでの時間についておもいをはせると、得体のしれない不安をかんじた。宇宙の中で自分がちっぽけな存在であることはまぎれもない事実として認めざるをえない。億、兆という数字が頭にはいる。その数字の大きさをかんがえると、頭がはちきれそうになり、気がとおくなった。
 この絵本を読んだときもそうだった。

 自分がいて、家があり、町があり、市があり、県があり、日本があり、地球があり、太陽系があり、銀河系があり、宇宙がある。
 地球がまわり、太陽系がまわり、銀河系もまわる。頭がくらくらする話である。

 酒がまわってきて頭がくらくらしていると、またひとり常連の昼間は郵便局で働いているネット古書店のTさんがやってきた。
 体調があまりよくないという。
「風邪のときは焼酎がいいよ」
「もう飲んできたよ」

 生命が誕生し、気のとおくなるような時間を経て人類に進化し、人類は言葉をおぼえ、文字を作り、酒を作り、活版印刷を発明し、本や絵本を出版するようになりました。それから数々の古本屋さんができて、古本酒場コクテイルも開店しました。

《さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。その主人公はあなたがたです。ぶたいのよういは、できました。時は、いま。場所は、あなたのいるところ。
 いますぎていく一秒一秒が、はてしない時のくさりの、新しいわです。
 いきものの演ずる劇は、たえることなくつづき——いつも新しく、いつもうつりかわって、わたしたちをおどろかせます》(エピローグ)

 進化した人類の一員であるはずのわれわれは頭足類のようにぐにゃぐにゃに酔っ払い、店長さんは三葉虫のように床で寝ています。ひょっとしたら、人はどんどん退化しているのかもしれません。

「絵本酒場 コクテイル」のぶたいのよういは、できましたか? 狩野さん。