先週末、一仕事終え、次の仕事にとりかかる前に、ささま書店に行く。
店内に中村光夫の署名本があった。しかも二冊。一冊は金子光晴宛である。『制作と發見』(文治堂書店)、いわずと知れた五〇〇部限定版だ。
この本、すでに持っているのだが、『ねむれ巴里』の著者に『戦争まで』の著者が送った署名本とあっては……買いました。
土曜日、ひさびさの西部古書会館の初日に行くと、またしてもすばらしい組合わせの署名本を見つけた。
安岡章太郎著『良友・悪友』(新潮社)の小島信夫宛である。値段はコーヒー一杯分くらい。ありがたく買わせてもらう。
*
テレビで深夜の音楽番組を見ても、知らないバンドばかりになっている。三十歳で音楽ライターの仕事をやめて以来、レコード屋で新譜をほとんど買わなくなった。
いったん切れてしまうと、新しいものに反応できなくなる。
たまに新宿に行ったときに、CDショップをのぞいても、「なんとなく、よさそうだな」という勘がちっとも働かない。
今のところ、古本屋、新刊書店は、毎日のように通っているが、これも行かなくなったら、きっとおもしろい本に反応できなくなるような気がする。漫画雑誌にしても(たとえそれが惰性であっても)見続けているうちは、楽しめるのだが、見なくなってしばらくすると、わからなくなる。それで「昔はおもしろかったなあ」と無意識のうちに自己正当化してしまうのだが、自分の感覚の退化している可能性はけっこう高い。
………愚痴です。
2008/01/24
半分の事実
先週末、京都から扉野良人さん上京。土曜日の夜、三軒茶屋のグレープフルーツムーンで前野健太withおとぎ話のライブを見る。新曲「鴨川」がよかった。もちろん「熱海」も。
そのあと古本酒場コクテイル。晶文社の宮里さん、前田青年も合流。カウンターには、ささま書店のN君もいて、扉野さんと妙に意気投合していた。
大晦日に京都で会った青年も、高円寺の友人宅に居候中とのことで、扉野さんに呼び出してもらう。さらにコクテイル常連のK君も加わり、扉野さん、N君、K君で朝までカラオケをしたそうだ(わたしは先に帰った)。
日曜日は、西荻ブックマークの「ザ・メイキング・オヴ・『足穂拾遺物語』」(高橋信行、高橋孝次、羽良多平吉、郡淳一郎、木村カナ)に行く。開演前に音羽館によると、自転車に乗った石神井書林の内堀さんと遭遇した。
稲垣足穂の資料探しなど、その道の研究者の凄みを痛感。中学生のころの文集まで探し出して研究している。
そういう世界は自分の手には負えないとおもっているので、一読者として楽しませてもらうつもりだ。『稲垣足穂拾遺物語』(青土社)は来月刊行予定……とのことだが、編集にものすごく手間をかけているため、いつ刊行になるかわからないらしい。
翌日しめきりもあったが、二次会にも参加し、「飲み放題」に浮かれて、ウーロンハイ、ジンライムなどを七杯飲んだ。
そのあと何人かとコクテイルに……。
いろいろな人に会って、いろいろな話を聞いて、あっという間に深夜一時半。この日もわたしは先に家に帰った。記憶の中では楽しい週末であったが、担当編集者には「ずっと仕事をしていた」といってある。
月曜日と火曜日は、仕事で疲れたせいか、日中ほとんど寝ていた。
気がつくと、水曜日の朝になっていた。
なにも考えずに洗濯機をまわしたら、外は雪だった。
*
話は変わるが、家でゴロゴロしていた先週、ワイドショーでは、女優Mの次男Tが覚醒剤所持で三度目の逮捕された事件のことがくりかえし流れていた。
次男Tは学生のころから毎月数十万円のこづかいを与えられ、大人になってからもそれが続いた。
子どものころ、ほしいものがあって、親にねだると「自分で働いて給料をもらえるようになったら買え」とほぼつっぱねられた。
そのせいかどうか、仕事をした報酬でほしいものを買う喜びを充分味わうことができた。
しかし次男Tには、そういう経験はおそらくないだろう。
苦労知らずの恵まれた境遇というものが、かならずしも、幸運とはかぎらない。
次男Tほどではないが、子どものころから金を与えられすぎて無気力になってしまった人間を何人か知っている。
親は共稼ぎ、かまってやれない分、金あるいは物を与える。よくあることだ。もちろん、そういう境遇に育ったからといって、次男Tのようになるとはかぎらない。
仕事をはじめたころは誰にだっておもうようにならないことがたくさんある。
わたしの場合、食費がいる、家賃を払わねばならんといったミもフタもない現実によって、仕事に駆り立てられていたところがある。
そのうち生活必需品が揃って、別にこれといったものがほしくなくなった途端、労働意欲もなえてしまった。
趣味は古本だけ。古本は均一なら、五冊百円でも文庫本が買えるし、転売もできる。それなりの知識がついてくると、買ったときの値段よりも高く売るということも可能になる。
二十代のころは風呂なしアパートに住んでいたので、それこそ十万円もあれば生活できた。
原稿を書かなくても、たまに校正のアルバイトをやって、月にテープおこしを四、五本もすれば、それで家賃と光熱費と食費はどうにかなった。
しかしそういう生活をしていると、向上心がなくなってくる。
次男Tの話からそれてしまったけど、昨年、仕事をしていない三十歳手前の遠縁の知り合いがいるのだが、「なんとかならないか」とその親から相談を受けた。
ようするに、フリーライターになりたいらしい。なんとなく、(大学も中退して)ふらふら遊んでいるわたしでもなんとかやっているのだから、楽そうな仕事だとおもわれたようだ。
二十代半ばくらいまでなら「とりあえずやってみたら」と軽くいったかもしれないが、さすがに今はそういう気になれない。
一念発起して、必死にとりくめば、三十歳ならまだまだ間に合う。とはいえ、すでに同世代でメシの食えている人間の二倍か三倍の労力を要するだろう。「楽そう」とおもっているようではちょっと見込みがない。
フリーの自由業の人が、怠けていたり、遊んでいたりするのは、半分は事実であるが、半分は事実ではない。
人それぞれの職業上の秘密がある。
秘密だから、簡単に教えるわけにはいかない。
そのあと古本酒場コクテイル。晶文社の宮里さん、前田青年も合流。カウンターには、ささま書店のN君もいて、扉野さんと妙に意気投合していた。
大晦日に京都で会った青年も、高円寺の友人宅に居候中とのことで、扉野さんに呼び出してもらう。さらにコクテイル常連のK君も加わり、扉野さん、N君、K君で朝までカラオケをしたそうだ(わたしは先に帰った)。
日曜日は、西荻ブックマークの「ザ・メイキング・オヴ・『足穂拾遺物語』」(高橋信行、高橋孝次、羽良多平吉、郡淳一郎、木村カナ)に行く。開演前に音羽館によると、自転車に乗った石神井書林の内堀さんと遭遇した。
稲垣足穂の資料探しなど、その道の研究者の凄みを痛感。中学生のころの文集まで探し出して研究している。
そういう世界は自分の手には負えないとおもっているので、一読者として楽しませてもらうつもりだ。『稲垣足穂拾遺物語』(青土社)は来月刊行予定……とのことだが、編集にものすごく手間をかけているため、いつ刊行になるかわからないらしい。
翌日しめきりもあったが、二次会にも参加し、「飲み放題」に浮かれて、ウーロンハイ、ジンライムなどを七杯飲んだ。
そのあと何人かとコクテイルに……。
いろいろな人に会って、いろいろな話を聞いて、あっという間に深夜一時半。この日もわたしは先に家に帰った。記憶の中では楽しい週末であったが、担当編集者には「ずっと仕事をしていた」といってある。
月曜日と火曜日は、仕事で疲れたせいか、日中ほとんど寝ていた。
気がつくと、水曜日の朝になっていた。
なにも考えずに洗濯機をまわしたら、外は雪だった。
*
話は変わるが、家でゴロゴロしていた先週、ワイドショーでは、女優Mの次男Tが覚醒剤所持で三度目の逮捕された事件のことがくりかえし流れていた。
次男Tは学生のころから毎月数十万円のこづかいを与えられ、大人になってからもそれが続いた。
子どものころ、ほしいものがあって、親にねだると「自分で働いて給料をもらえるようになったら買え」とほぼつっぱねられた。
そのせいかどうか、仕事をした報酬でほしいものを買う喜びを充分味わうことができた。
しかし次男Tには、そういう経験はおそらくないだろう。
苦労知らずの恵まれた境遇というものが、かならずしも、幸運とはかぎらない。
次男Tほどではないが、子どものころから金を与えられすぎて無気力になってしまった人間を何人か知っている。
親は共稼ぎ、かまってやれない分、金あるいは物を与える。よくあることだ。もちろん、そういう境遇に育ったからといって、次男Tのようになるとはかぎらない。
仕事をはじめたころは誰にだっておもうようにならないことがたくさんある。
わたしの場合、食費がいる、家賃を払わねばならんといったミもフタもない現実によって、仕事に駆り立てられていたところがある。
そのうち生活必需品が揃って、別にこれといったものがほしくなくなった途端、労働意欲もなえてしまった。
趣味は古本だけ。古本は均一なら、五冊百円でも文庫本が買えるし、転売もできる。それなりの知識がついてくると、買ったときの値段よりも高く売るということも可能になる。
二十代のころは風呂なしアパートに住んでいたので、それこそ十万円もあれば生活できた。
原稿を書かなくても、たまに校正のアルバイトをやって、月にテープおこしを四、五本もすれば、それで家賃と光熱費と食費はどうにかなった。
しかしそういう生活をしていると、向上心がなくなってくる。
次男Tの話からそれてしまったけど、昨年、仕事をしていない三十歳手前の遠縁の知り合いがいるのだが、「なんとかならないか」とその親から相談を受けた。
ようするに、フリーライターになりたいらしい。なんとなく、(大学も中退して)ふらふら遊んでいるわたしでもなんとかやっているのだから、楽そうな仕事だとおもわれたようだ。
二十代半ばくらいまでなら「とりあえずやってみたら」と軽くいったかもしれないが、さすがに今はそういう気になれない。
一念発起して、必死にとりくめば、三十歳ならまだまだ間に合う。とはいえ、すでに同世代でメシの食えている人間の二倍か三倍の労力を要するだろう。「楽そう」とおもっているようではちょっと見込みがない。
フリーの自由業の人が、怠けていたり、遊んでいたりするのは、半分は事実であるが、半分は事実ではない。
人それぞれの職業上の秘密がある。
秘密だから、簡単に教えるわけにはいかない。
2008/01/17
父つちやん小僧
十六日、神保町の三省堂書店で新刊本を何冊か買い、支払いのとき、マフラーを忘れた。毎年のようにマフラー、帽子、手袋をなくす。
あわててアルバイト先から電話すると「あります」というので、仕事帰りに取りに行く。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、ダイバーのふるぽん市、そのあとJRの水道橋駅までふだん行かない白山通りの古本屋をのぞきながら歩く。その間、十冊以上本を買う。マフラーの値段の倍くらいの金額になった。
加藤一郎著『文壇資料 戦後・有楽町界隈』(講談社)も買った。ちょこちょこ「文壇資料」シリーズを集めているのだが、なかなか揃わない。
この本の「第十章 作家も生活を」に山本健吉の「高見順 十二の肖像画」という一文がある。
《氏(高見順)が論敵に投げつける言葉の一つに「父つちやん小僧」といふのがある。氏が文壇に華々しく出たばかりのころ、同じく新進批評家として登場した中村光夫氏の批評態度を、「父つちやん小僧振り」とからかつたことがあるのだ。いや、からかつたといふのは当つてゐない。真底から忌々しい若造だといつた調子があつた》
高見順は、中村光夫の高校、大学の先輩である。『今はむかし』では「氏は、僕ら後輩にも、ひどく気さくな態度で、いろいろ話してくれ、またそれが面白いので、僕らはみな聞き役にまわってしまいました」と回想している。いち早く文壇にデビューした高見順は中村光夫にとって憧れの存在だった。
わたしは、中村光夫のことを分別のある、バランスのとれた批評家という印象があったので、かつて高見順に「父つちやん小僧」などと罵倒されていたのはちょっと意外におもえた。
とはいえ、山本健吉は前掲の文章に続けて「かう言ふと高見氏には失礼だが、高見氏こそもつとも「父つちやん小僧」的なのではあるまいか」とも書いている。
高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)には、中村光夫の『風俗小説論』にふれた箇所がある。
若き日の高見順は横光利一の文学には魅力をかんじていたが、その「ポーズ」には反撥をおぼえていた。
この場合の「ポーズ」は「文士臭さ」というようなニュアンスが含まれている。
《昨年だったか、一昨年だったか、中村光夫の『風俗小説論』を読んで、文中「俗物」の用語のあるのを見て、思わず懐旧の情におそわれた。ポーズとともにこの「俗物」も今は失われた、懐かしい文壇用語である。
「お前は俗物だ」
と言われることほど、私たちにとって致命的な礫は無かった。その礫の乱発が、日本の小説と小説家を、私小説と私小説作家に追いこんだうらみはあるけれど、俗物精神に昂然と対峙していた往年の文学精神を思うと、胸をかきむしられるようなノスタルジアを覚えるのである》
*
昨晩は寒かった。東京は初雪がふった。
夜十時すぎに古本酒場コクテイルに飲み行くと、中村光夫が先生をしていたころの学生だったという編集者がいた。三十五、六年前の話だ。いつか中村光夫の授業を受けていた人に会って話を聞きたいとおもっていたのでうれしかった。
「髪がきちっとしていて、なんだかスポーツマンみたいな人でしたよ」
当時の明治大学の文学部では中村光夫だけでなく、平野謙や山本健吉も教えていた。そのすこし前には、小林秀雄も講師(教授だったのか)だった。
この日は、芥川賞・直木賞の発表の日で、コクテイルでトークショーをしたこともある山崎ナオコーラさんが芥川賞、井上荒野さんが直木賞の候補になっていたので、おのずとその話題になる。
結果は芥川賞は川上未映子、直木賞は桜庭一樹。
水割四杯飲んで、店を出て数歩歩いたところで、前田青年と遭遇する。また飲み直すことに。
日付変わって十七日。
二日酔い。仕事帰り、高円寺で下車せず、吉祥寺の行く。
すこし前に、吉祥寺のバサラブックスの福井さんにハロゲンヒーター(新品同様)をもらったので、そのお礼をいうため。長谷川四郎の『よく似た人』(筑摩書房、一九七七年)を買う。
『みんなの古本500冊』(恵文社)が平積になっていた。都内在住でまだお持ちでない人は、バサラさんでぜひ。
あわててアルバイト先から電話すると「あります」というので、仕事帰りに取りに行く。
神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、ダイバーのふるぽん市、そのあとJRの水道橋駅までふだん行かない白山通りの古本屋をのぞきながら歩く。その間、十冊以上本を買う。マフラーの値段の倍くらいの金額になった。
加藤一郎著『文壇資料 戦後・有楽町界隈』(講談社)も買った。ちょこちょこ「文壇資料」シリーズを集めているのだが、なかなか揃わない。
この本の「第十章 作家も生活を」に山本健吉の「高見順 十二の肖像画」という一文がある。
《氏(高見順)が論敵に投げつける言葉の一つに「父つちやん小僧」といふのがある。氏が文壇に華々しく出たばかりのころ、同じく新進批評家として登場した中村光夫氏の批評態度を、「父つちやん小僧振り」とからかつたことがあるのだ。いや、からかつたといふのは当つてゐない。真底から忌々しい若造だといつた調子があつた》
高見順は、中村光夫の高校、大学の先輩である。『今はむかし』では「氏は、僕ら後輩にも、ひどく気さくな態度で、いろいろ話してくれ、またそれが面白いので、僕らはみな聞き役にまわってしまいました」と回想している。いち早く文壇にデビューした高見順は中村光夫にとって憧れの存在だった。
わたしは、中村光夫のことを分別のある、バランスのとれた批評家という印象があったので、かつて高見順に「父つちやん小僧」などと罵倒されていたのはちょっと意外におもえた。
とはいえ、山本健吉は前掲の文章に続けて「かう言ふと高見氏には失礼だが、高見氏こそもつとも「父つちやん小僧」的なのではあるまいか」とも書いている。
高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)には、中村光夫の『風俗小説論』にふれた箇所がある。
若き日の高見順は横光利一の文学には魅力をかんじていたが、その「ポーズ」には反撥をおぼえていた。
この場合の「ポーズ」は「文士臭さ」というようなニュアンスが含まれている。
《昨年だったか、一昨年だったか、中村光夫の『風俗小説論』を読んで、文中「俗物」の用語のあるのを見て、思わず懐旧の情におそわれた。ポーズとともにこの「俗物」も今は失われた、懐かしい文壇用語である。
「お前は俗物だ」
と言われることほど、私たちにとって致命的な礫は無かった。その礫の乱発が、日本の小説と小説家を、私小説と私小説作家に追いこんだうらみはあるけれど、俗物精神に昂然と対峙していた往年の文学精神を思うと、胸をかきむしられるようなノスタルジアを覚えるのである》
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昨晩は寒かった。東京は初雪がふった。
夜十時すぎに古本酒場コクテイルに飲み行くと、中村光夫が先生をしていたころの学生だったという編集者がいた。三十五、六年前の話だ。いつか中村光夫の授業を受けていた人に会って話を聞きたいとおもっていたのでうれしかった。
「髪がきちっとしていて、なんだかスポーツマンみたいな人でしたよ」
当時の明治大学の文学部では中村光夫だけでなく、平野謙や山本健吉も教えていた。そのすこし前には、小林秀雄も講師(教授だったのか)だった。
この日は、芥川賞・直木賞の発表の日で、コクテイルでトークショーをしたこともある山崎ナオコーラさんが芥川賞、井上荒野さんが直木賞の候補になっていたので、おのずとその話題になる。
結果は芥川賞は川上未映子、直木賞は桜庭一樹。
水割四杯飲んで、店を出て数歩歩いたところで、前田青年と遭遇する。また飲み直すことに。
日付変わって十七日。
二日酔い。仕事帰り、高円寺で下車せず、吉祥寺の行く。
すこし前に、吉祥寺のバサラブックスの福井さんにハロゲンヒーター(新品同様)をもらったので、そのお礼をいうため。長谷川四郎の『よく似た人』(筑摩書房、一九七七年)を買う。
『みんなの古本500冊』(恵文社)が平積になっていた。都内在住でまだお持ちでない人は、バサラさんでぜひ。
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