昨晩、MANDARA2の薄花葉っぱとオクノ修さんのライブを見る。京都の六曜社には高校生のころから二十年くらいコーヒーを飲みに行っているのだが、オクノさんの弾語りを見るのは、はじめてだった。上京以来、いろいろライブを見ているけど、こんなにいい音が聴ける機会はそうはない。薄花葉っぱ、曲がはじまって終わるまでのあいだに客席の温度がどんどん上がってゆく。オクノさんは、曲全体、さらに無作為にどこを切り取っても「オクノさんの世界」になっている。もはや名人の域。
ほんとうにいいライブだった。
ライブのあと、ブックオフとバサラブックスに寄る。
家に帰ると電話。高円寺のガード下の居酒屋で打ち上げをしているというのでまぜてもらう。二十代前半から五十代後半くらいまでのミュージシャン同士のやりとりがおもしろくて見入ってしまった。わたしの隣には、鈴木常吉さんがいて「食えねえ、食えねえっていってんだったら、バイトすりゃいいんだ」と熱く語っている。その横で「かんからそんぐ 添田唖蝉坊・知道をうたう」(メタカンパニー)の岡大介さんがせっせとみんなの分の焼酎を作っている。
岡さんにバサラブックスをすすめたら(バイトじゃなくて、CDの営業です。念のため)、コクテイルの狩野さんにも同じことをいわれたらしい。
午前三時くらいまで飲む。
中央線冥利の夜だなあ。タクシーで方々に帰ってゆく人を見送る。
両手をふる。
駅前のセブンイレブンで酔いさましの豚汁を買って帰る。
2008/03/13
2008/03/10
もやもや
ふらふらと自転車で高円寺の北口をまわる。金曜日に続いて、また西部古書会館の古書展に行く。初日は三百円以下の本を買いすぎて疲れてしまった。最終日の日曜日に、買おうかどうか迷っていたちょっと高い(といっても千円くらい)の本を買った。
その本は山口剛著『紙魚文学』(三省堂、一九三二年刊)である。尾崎一雄の先生ですね。買った理由はそれだけ。『虫のいろいろ』に「山口剛先生」という短篇がはいっている。放蕩していたころの尾崎一雄のことを「ヤケくそはいけないよ、卑怯だからね」とやんわりたしなめた先生だ。
ずっと食えなかったころ、わたしは尾崎一雄を読んで生活を立て直そうとおもった。
文学にはそういう力がある。どうしたらいいのか、わからないときに、真剣に本を読むと、かならず、そのとき自分が必要としている言葉が見つかる。
ここのところ、そういう信念が弱っていた。おもしろい本がないのではなく、切実に読んでいなかっただけなのだ。ただ、目で活字を追っているだけでは素通りしてしまう言葉をつかまえる。つかまえてはじめて、その言葉に作者のおもいがつまっていることがわかる。
最近そういう本の読み方をしてない。
さっき買物中、道に自転車を止めていたら「ここに自転車を置くな。撤去するぞ」とおじいさんに怒鳴られる。焼鳥を買うほんのちょっとのあいだ、自転車を止めていただけで、そんなに怒鳴らなくてもなあとおもう。怒鳴った相手は店の人ではなく、ただの通行人だ。釈然としない。
たまにはそういうことがある。慣れていないので、けっこう後を引く。だんだん腹が立ってくる。もやもやする。
こんなことを一々気にしていたら、身がもたない。忘れるにかぎる。
……掃除しよっと。
その本は山口剛著『紙魚文学』(三省堂、一九三二年刊)である。尾崎一雄の先生ですね。買った理由はそれだけ。『虫のいろいろ』に「山口剛先生」という短篇がはいっている。放蕩していたころの尾崎一雄のことを「ヤケくそはいけないよ、卑怯だからね」とやんわりたしなめた先生だ。
ずっと食えなかったころ、わたしは尾崎一雄を読んで生活を立て直そうとおもった。
文学にはそういう力がある。どうしたらいいのか、わからないときに、真剣に本を読むと、かならず、そのとき自分が必要としている言葉が見つかる。
ここのところ、そういう信念が弱っていた。おもしろい本がないのではなく、切実に読んでいなかっただけなのだ。ただ、目で活字を追っているだけでは素通りしてしまう言葉をつかまえる。つかまえてはじめて、その言葉に作者のおもいがつまっていることがわかる。
最近そういう本の読み方をしてない。
さっき買物中、道に自転車を止めていたら「ここに自転車を置くな。撤去するぞ」とおじいさんに怒鳴られる。焼鳥を買うほんのちょっとのあいだ、自転車を止めていただけで、そんなに怒鳴らなくてもなあとおもう。怒鳴った相手は店の人ではなく、ただの通行人だ。釈然としない。
たまにはそういうことがある。慣れていないので、けっこう後を引く。だんだん腹が立ってくる。もやもやする。
こんなことを一々気にしていたら、身がもたない。忘れるにかぎる。
……掃除しよっと。
2008/03/08
背を向けて去る
この間いろいろごちゃごちゃ考えていて、つまり、なんというか、小さな欲しかないと、何かをなしとげようという意欲があまり出ないと。たとえば、家でごろごろしながら、中古レコードを聴いて、古本を読んで、酒を飲んでいれば、満足だという人間がいたとする。しかしそういう生活を続けていると、向上心がだんだんなくなってきて、このままでいいやとおもえてくる。
それでも別にいいではないかとおもいつつ、このかんじでこのままいくと、何にもしたくなくってしまいそうになる。新しいものに興味がもてず、昔の本やレコードをくりかえし読んだり、聴いたりしていれば、充分なわけだ。すでにそうなりつつある、なっているかもしれない。
自分のことだけでなく、世の中にたいしても、これ以上、便利にならなくてもいいやとおもう。これ以上、豊かにならなくてもいいじゃないかともおもう。スローライフというより、たんに面倒くせえという気分に近い。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
それでも別にいいではないかとおもいつつ、このかんじでこのままいくと、何にもしたくなくってしまいそうになる。新しいものに興味がもてず、昔の本やレコードをくりかえし読んだり、聴いたりしていれば、充分なわけだ。すでにそうなりつつある、なっているかもしれない。
自分のことだけでなく、世の中にたいしても、これ以上、便利にならなくてもいいやとおもう。これ以上、豊かにならなくてもいいじゃないかともおもう。スローライフというより、たんに面倒くせえという気分に近い。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)
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