はじめてパソコンを買ったのは一九九八年一月。かれこれ十年以上になる。今は五台目。ずっとノート型のMacをつかっている。
たしか最初のパソコン(PowerBook 2400)を買うために、海老沢泰久さんのインタビューのテープおこしを数十時間分やった。でも海老沢さんとはまったく面識はない。
先日、昔のフロッピーディスクの整理をしていたら、そのころの日記が見つかった。日記は一ヶ月も続かなかった。
《一月某日 ダニにくわれたのか、からだじゅうが痒い。昼間から酒を飲む。こんなことをしていてはいかん。EGBRIDGEの辞書は、鍛えがいがある。どんどん賢くなってくれ。ユーザー辞書に新語を登録しているうちに、徹夜してしまった。早くパソコンを仕事につかいたい。
一月某日 今日はいろいろ学習した。shift+deleteで普通に削除ができること。コマンド+Aで、全てを選択。これでdeleteを押せば、全文削除になる。またshiftを押しながら、カーソルを左右に動かすと選択できる。今月中にパソコンで仕事がしたい。でもプリンターがないので無理だ。
一月某日 新宿のビッグカメラでプリンターを買った。キヤノンのBJC-420J。次の目標はインターネットだ。早くパソコンで仕事をして元をとりかえしたい。
一月某日 電子メールの設定がすみ、Oに電子メール送る。こんどはネットスケープが使えなくなる。
一月某日 都丸書店に古本を売りに行く。六千円になる。将棋ゲームのソフトがほしくなるがガマンする。今の自分にできることは、アルバイトしかない。ちゃんと働いていれば、きっといいことがある。それから無駄づかいをやめよう。なるべく自炊して、煙草は一日一箱までにする。
といいながら、夜、大岩で飲む。水割三杯。
一月某日 昼二時に起きて、部屋でゴロゴロして洗濯する。南口の古本屋をまわり、あまから亭で焼きそば。夕方、銭湯に行く。近所の富士旅館で電気スタンドと湯飲みを拾う。
最近、恥ずかしがり病にかかっている。
夜、テープおこしの仕事。テープおこしをするためにパソコンを買ったつもりはない。
一月某日 隣室の住人から「うるさい」と苦情。毎晩、壁を叩いてくる。引っ越したい。敷金礼金1・1で駅から五分内、風呂はなくてもいい。古くてもいい。でも貯金がない。自分の生活を守るには金がいる。
夜、肉豆腐作る。これで二日くらいは乗りきりたい》
……うーん、無内容だ。読んでいて情けなくなる。ほんとうに来る日も来る日もテープおこしばかりしていた(テープおこしの仕事は一年くらい前までしていた。いちばん最後のテープおこしは、五×寛之の仏教関係の話だったとおもう)。パソコンを買えば、ひょっとしたらすぐ原稿の依頼がまいこんでくるのではないかとおもったのだが、そんなことはなかった。ここには書いていないが、当時、金もないのに週三日くらい漫画喫茶に通っていた気がする。銭湯は週一回くらい。ほかの日はアルバイト先で風呂に入っていた。
それにしても恥ずかしがり病って。
(……以下、「活字と自活」に解題、大幅加筆し、『活字と自活』本の雑誌社所収)
2008/03/26
あすなひろしが文庫に
火曜日、洗濯、掃除、買物(OKストア)をすませ、夕方、杉並区役所に滞納していた区民税を払いに行くついでに阿佐ケ谷の新刊書店で、仕事の資料の雑誌を探すが見つからない。
そのまま中野まで行く。
阿佐ケ谷から中野まで自転車だとあっという間だ。
探していた雑誌は、あおい書店にはなかった。でも三十分以上店内であれこれ立ち読み(あいかわらず新刊書の並べ方が素晴らしい)してから、はなまるうどんで食事(かけ小、唐揚、カボチャの天ぷら)。
ブロードウェイ三階の明屋書店に、目当ての雑誌はあった。
あおい書店と明屋書店が高円寺にあれば、といつもおもう。はなまるうどんも。
そのあとタコシェに寄る。古本を五冊と『いましろたかし傑作短編集』(ビームスコミックス文庫)を買う。中身は『いましろたかし傑作短編集クール井上』(エンターブレイン)と同じ。上京して風呂なしアパート暮らしのころ、いましろたかしにハマった。とくに『ハーツ&マインズ』(集英社)所収の「ジャスティⅡ 山下兄弟怒りのまんが道」は傑作だとおもう。
それにしてもビームスコミック文庫のラインナップはすごい。あすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった 完全版』(上・下)、『林檎も匂わない』、『いつも春のよう 増補版』もはいっている。
あすなひろし作品は一通り持っているのだが、『いつも春のよう 増補版』はほしいなあ。再編集版では「ゆめの終わり」「ながれうた」が追加収録されているそうだ。
『いつも春のよう』の収録作では、「ラメのスウちゃん」が好きで、読むたびに涙腺がやられる。
《国電を降りて
三つめの路地を
曲がったところに
赤ちょうちん「安芸」がある》
この店では「ラメのスウちゃん」という中年のおばちゃんが働いている。そのスウちゃんが「若くて きれい……な頃」の遠い昔の恋が描かれているのだけど、あとは読んでください。ふだん漫画を読まない人にこそ、読んでほしい。
山川直人の『コーヒーもう一杯』(エンターブレイン)の四巻も出てた。この巻の「本を読む男」、積まれた本の中に色川武大の「あの本」や菅原克己や木山捷平の詩集がさりげなく描かれている。
そのあとブロードウェイ二階の古書だるまやで、三好豊一郎『内部の錘 近代詩人論』(小沢書店)、小島政次郎『明治の人間』(鶴書房)など。古書だるまや、店は大きくないけど、かならず何か買ってしまう。
三好豊一郎の本は、黒田三郎資料——。
黒田三郎のことを同じく「荒地」のメンバーだった三好豊一郎が記しているのだが、抑えた筆致にすごみがある。
《わかっているのは、黒田の飲酒と並外れた酔態であるが、黒田は随分睡眠薬の世話になってその服役状況も光子さんが心配するほどだったから、飲酒も味覚のみでなく、酔わずにいられない衝迫を、心のどこかにいつも感じていたのだろう》(「荻窪清風荘時代の黒田三郎」)
また詩が読みたくなってきた。
そのまま中野まで行く。
阿佐ケ谷から中野まで自転車だとあっという間だ。
探していた雑誌は、あおい書店にはなかった。でも三十分以上店内であれこれ立ち読み(あいかわらず新刊書の並べ方が素晴らしい)してから、はなまるうどんで食事(かけ小、唐揚、カボチャの天ぷら)。
ブロードウェイ三階の明屋書店に、目当ての雑誌はあった。
あおい書店と明屋書店が高円寺にあれば、といつもおもう。はなまるうどんも。
そのあとタコシェに寄る。古本を五冊と『いましろたかし傑作短編集』(ビームスコミックス文庫)を買う。中身は『いましろたかし傑作短編集クール井上』(エンターブレイン)と同じ。上京して風呂なしアパート暮らしのころ、いましろたかしにハマった。とくに『ハーツ&マインズ』(集英社)所収の「ジャスティⅡ 山下兄弟怒りのまんが道」は傑作だとおもう。
それにしてもビームスコミック文庫のラインナップはすごい。あすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった 完全版』(上・下)、『林檎も匂わない』、『いつも春のよう 増補版』もはいっている。
あすなひろし作品は一通り持っているのだが、『いつも春のよう 増補版』はほしいなあ。再編集版では「ゆめの終わり」「ながれうた」が追加収録されているそうだ。
『いつも春のよう』の収録作では、「ラメのスウちゃん」が好きで、読むたびに涙腺がやられる。
《国電を降りて
三つめの路地を
曲がったところに
赤ちょうちん「安芸」がある》
この店では「ラメのスウちゃん」という中年のおばちゃんが働いている。そのスウちゃんが「若くて きれい……な頃」の遠い昔の恋が描かれているのだけど、あとは読んでください。ふだん漫画を読まない人にこそ、読んでほしい。
山川直人の『コーヒーもう一杯』(エンターブレイン)の四巻も出てた。この巻の「本を読む男」、積まれた本の中に色川武大の「あの本」や菅原克己や木山捷平の詩集がさりげなく描かれている。
そのあとブロードウェイ二階の古書だるまやで、三好豊一郎『内部の錘 近代詩人論』(小沢書店)、小島政次郎『明治の人間』(鶴書房)など。古書だるまや、店は大きくないけど、かならず何か買ってしまう。
三好豊一郎の本は、黒田三郎資料——。
黒田三郎のことを同じく「荒地」のメンバーだった三好豊一郎が記しているのだが、抑えた筆致にすごみがある。
《わかっているのは、黒田の飲酒と並外れた酔態であるが、黒田は随分睡眠薬の世話になってその服役状況も光子さんが心配するほどだったから、飲酒も味覚のみでなく、酔わずにいられない衝迫を、心のどこかにいつも感じていたのだろう》(「荻窪清風荘時代の黒田三郎」)
また詩が読みたくなってきた。
2008/03/25
酩酊読書
先日、疲れていたのは、からだの調子があんまりよくないのに飲みすぎたせいだ。胸の右側が痛くなる。心臓は左だから大丈夫かな、とおもうが、ちょっと心配だ。
土曜日、神保町のヒナタ屋で開催した石田千さんと『彷書月刊』の田村治芳さんのトークショーに行って、ひさしぶりに元書肆アクセスの畠中理恵子さんに会い、いきなり「ごめんなさいね」と謝られてしまったのだが、畠中さんにはお世話になりっぱなしで、なんで謝まるのかまったくわからなかった。
先日、自称「古本労働者」のTさんが「俺は、三日酒を飲まなかったからアル中ではない」といっていた。それで三日くらいわたしもやめてみようかなとおもっていたのだが、その決意は十六時間しか続かなかった。Tさんとは「仕事中に酒を飲むようになったら危ない」という意見で一致した。
家で仕事しているから、いつでも飲もうとおもえば、飲める。ウィスキーをちびちびなめるくらいなら、大丈夫だろうとおもって書くと、酔っぱらって、やたら文章がくどくなり、あとで読み返すとめちゃくちゃだったりするので、お金をもらっている原稿を書くときは飲まないように気をつけている。
いつもはうちでも外でもサントリーの角の水割を飲む。でも今、家になぜかジョニ黒がある。買ったおぼえがないから、誰かのお土産(※)だとおもうが、もしかしたらこの酒はかなりうまいかもしれない。でも「オレが好きなのは角だ」と自分にいい聞かせる。
自分の好きな酒をけなされると腹が立つのはなぜだろう。大昔の話だが、「角が好きだ」といったら、「あんな酒、よく飲めるねえ」みたいなことをいわれて、大喧嘩をしてしまったことがある。ただの好みだろ。好みでいえば、わたしもビールが飲めない。だからといって、ビールを飲む人に「あんな酒」とはいわない。こんなことは当たり前だとおもっていたが、案外そうじゃない人が多くてときどきビックリする。
すこし前に、神田伯剌西爾の竹内さんに、わたしは家でインスタントコーヒーをアイスコーヒーにして(約一リットル)、冷蔵庫に常備しているという話をした。すると竹内さんは、「インスタントはフリーズドライなんたらで作っているから、おいしいんですよ」といって、さらにインスタントコーヒーをうまくする方法を教えてくれた。
ちょっと濃い目に作って氷をぶちこんで、すぐ冷やすといいそうだ。
鮎川信夫は、酒が飲めず、コカコーラを飲んでいたと、昔、新宿ゴールデン街のナベサンで教えてもらった。わたしはコカコーラが飲めない。
それはともかく、好きな作家よりも好きな詩人がけなされると、カチンとくる。自分のことをけなされるよりも腹が立つ。なんなんだろうね、この心理は。
意味もなくだらだらと書いているのは、酔っぱらいながら中村光夫の『文學の回帰』の中の武田泰淳の『森と湖のまつり』について論評を読んでいたら、こんな文章があって、考えこんでしまったのだ。
《氏の小説は、ほめるわけには行かないし、しかも言いたいことは澤山あるので、自然惡口を並べることになるのですが、世間には惡口さえ言いたくない小説がたくさんあります》(「森と湖のまつり」)
中村光夫は一九一一年二月五日、武田泰淳は一九一二年二月十二日生まれで、一つちがい。ほぼ同世代の人間である。わたしは『森と湖のまつり』は、傑作だとおもっているのだが、今、行方不明になっている。たぶん文庫を二冊持っているはずなのだが、見当たらない。
「この小説で、作者が本當に額に汗してとりくんでいる問題はただひとつしかないので、それは藝術家の現代社會における存在理由です」という批評は、わたしも同感だ。
しかし中村光夫は「私小説の直接の延長の上」で書かれたことが気にくわない。
《この「藝術家」を主人公とした小説に、作者の制作の生理が少しも告白されていなかったら、すべては空しい假面にすぎません》
それゆえ、この作品を「傑作」のように騒ぐのは日本の文学あるいは作者の才能にたいする「侮辱」であり、このていどで「いい氣になられては困る」という。そして中村光夫の次の言葉にくらっときた。
《僕は利口すぎる人間は自信がないという俗説は信じません。自信を持たない、少なくとも持とうと本氣で努力しない人間の利口さにはどこか缺けたところがあるのです。自信のないことを、自分が利口な證拠と思っている人間の自己満足くらい不潔なものはありません》
自信とは「自分が何をしているかはっきり知ること」だという。
わたしは酔っぱらいながら、自分が何をしているか知ろうとした。
酒を飲みながら、文章を書いている。こんなことをやっていてはいけないとおもった。
(※)某酒乱が我が家で暴れたおわびに置いていったようだ。
土曜日、神保町のヒナタ屋で開催した石田千さんと『彷書月刊』の田村治芳さんのトークショーに行って、ひさしぶりに元書肆アクセスの畠中理恵子さんに会い、いきなり「ごめんなさいね」と謝られてしまったのだが、畠中さんにはお世話になりっぱなしで、なんで謝まるのかまったくわからなかった。
先日、自称「古本労働者」のTさんが「俺は、三日酒を飲まなかったからアル中ではない」といっていた。それで三日くらいわたしもやめてみようかなとおもっていたのだが、その決意は十六時間しか続かなかった。Tさんとは「仕事中に酒を飲むようになったら危ない」という意見で一致した。
家で仕事しているから、いつでも飲もうとおもえば、飲める。ウィスキーをちびちびなめるくらいなら、大丈夫だろうとおもって書くと、酔っぱらって、やたら文章がくどくなり、あとで読み返すとめちゃくちゃだったりするので、お金をもらっている原稿を書くときは飲まないように気をつけている。
いつもはうちでも外でもサントリーの角の水割を飲む。でも今、家になぜかジョニ黒がある。買ったおぼえがないから、誰かのお土産(※)だとおもうが、もしかしたらこの酒はかなりうまいかもしれない。でも「オレが好きなのは角だ」と自分にいい聞かせる。
自分の好きな酒をけなされると腹が立つのはなぜだろう。大昔の話だが、「角が好きだ」といったら、「あんな酒、よく飲めるねえ」みたいなことをいわれて、大喧嘩をしてしまったことがある。ただの好みだろ。好みでいえば、わたしもビールが飲めない。だからといって、ビールを飲む人に「あんな酒」とはいわない。こんなことは当たり前だとおもっていたが、案外そうじゃない人が多くてときどきビックリする。
すこし前に、神田伯剌西爾の竹内さんに、わたしは家でインスタントコーヒーをアイスコーヒーにして(約一リットル)、冷蔵庫に常備しているという話をした。すると竹内さんは、「インスタントはフリーズドライなんたらで作っているから、おいしいんですよ」といって、さらにインスタントコーヒーをうまくする方法を教えてくれた。
ちょっと濃い目に作って氷をぶちこんで、すぐ冷やすといいそうだ。
鮎川信夫は、酒が飲めず、コカコーラを飲んでいたと、昔、新宿ゴールデン街のナベサンで教えてもらった。わたしはコカコーラが飲めない。
それはともかく、好きな作家よりも好きな詩人がけなされると、カチンとくる。自分のことをけなされるよりも腹が立つ。なんなんだろうね、この心理は。
意味もなくだらだらと書いているのは、酔っぱらいながら中村光夫の『文學の回帰』の中の武田泰淳の『森と湖のまつり』について論評を読んでいたら、こんな文章があって、考えこんでしまったのだ。
《氏の小説は、ほめるわけには行かないし、しかも言いたいことは澤山あるので、自然惡口を並べることになるのですが、世間には惡口さえ言いたくない小説がたくさんあります》(「森と湖のまつり」)
中村光夫は一九一一年二月五日、武田泰淳は一九一二年二月十二日生まれで、一つちがい。ほぼ同世代の人間である。わたしは『森と湖のまつり』は、傑作だとおもっているのだが、今、行方不明になっている。たぶん文庫を二冊持っているはずなのだが、見当たらない。
「この小説で、作者が本當に額に汗してとりくんでいる問題はただひとつしかないので、それは藝術家の現代社會における存在理由です」という批評は、わたしも同感だ。
しかし中村光夫は「私小説の直接の延長の上」で書かれたことが気にくわない。
《この「藝術家」を主人公とした小説に、作者の制作の生理が少しも告白されていなかったら、すべては空しい假面にすぎません》
それゆえ、この作品を「傑作」のように騒ぐのは日本の文学あるいは作者の才能にたいする「侮辱」であり、このていどで「いい氣になられては困る」という。そして中村光夫の次の言葉にくらっときた。
《僕は利口すぎる人間は自信がないという俗説は信じません。自信を持たない、少なくとも持とうと本氣で努力しない人間の利口さにはどこか缺けたところがあるのです。自信のないことを、自分が利口な證拠と思っている人間の自己満足くらい不潔なものはありません》
自信とは「自分が何をしているかはっきり知ること」だという。
わたしは酔っぱらいながら、自分が何をしているか知ろうとした。
酒を飲みながら、文章を書いている。こんなことをやっていてはいけないとおもった。
(※)某酒乱が我が家で暴れたおわびに置いていったようだ。
登録:
投稿 (Atom)