2013/12/31

年末の一日

 日曜日、昼、仕事部屋に行く途中、西部古書会館に寄る。赤いドリルの那須さんがいた。わたしは「赤いドリルの夢は夜ひらく」というブログを愛読している
 文章には「流れ」みたいなものがあるのだけど、那須さんの文章は「流れ」が読めない。予想がつかない。おかしい。

 今年のゴールデンウィークにトマソン社が主催した石神井書林の内堀さん、青聲社の豊蔵さん、赤いドリルの那須さんの「古書よりも野球が大事と思いたい~夢のオールスターゲーム~」というトークショーがあった。
 あの日、亜細亜大学の野球部へのおもいを語り続ける那須さんを見ることができたのは今年最大の収穫だった。
 その収穫が何の役に立つのかは一生わからない気もするが……。

 日曜日の夜は、ペリカン時代は木下弦二さんと春日博文さんのライブ。
 春日さんは存在感とか雰囲気とかアドリブの感覚とか何もかもすごい。「テクニック+α」の「+α」が別次元だった。終始、冗談をいいながら、六、七割くらいの力でギターを弾いているように見えるのだけど、目を閉じて音だけ聴くと、とてもそんなふうにはおもえない。
 弦二さんもいつもより力が抜けて楽しそうに演奏し歌っていた。
「夜明けまえ」は、聴くたびに好きになる。バンドではなく、ソロならでは試みや遊びが増えてきた気がする。「ブラック里帰り」のソロヴァージョンも原曲からどんどん変化している。
 ふだんよりもカバー曲が多いのもソロのときの特徴。この日も「おそうじオバチャン」「トランジスタ・ラジオ」など、まったく予想もしていなかった曲を演奏した。

 そんなこんなで大晦日。
 年末年始は特別ルールで昼酒解禁。広島のマサルさん、アネモネさんからもらったサントリーのプレミアム角を飲み続ける。また禁断の味を知ってしまった。

 睡眠時間がズレまくり、昼すぎに寝て起きたらすでに紅白がはじまっている。

 妻から「イェーガー」の意味を教わった。

2013/12/28

自分の声 その四

 ピート・ハミルは、一流のコラムニストをソリストにたとえ、マイク・ルピカには「自分の声」があるといった。
 いっぽうルピカのコラムは「表現形式が不完全」とも評している。
 日刊の新聞にコラムを発表する場合、時間と字数の制約によって、どうしても不十分な原稿になる。

《たいていの場合コラムニストは、全体を断片でもって象徴的に言い表すというまやかしの手法を身につけるものだ。アフォリズムを多用し、最悪の場合には安易な近道やマンネリズムに陥ることになる》

 そんな中、「驚いたり恐れたりすることへの感受性」を保ち続けること——それが一流のコラムニストの条件だといっている。

 時間がなく、不完全で不十分な文章を書いてしまう。ピート・ハミルは「大打者だって一〇回打席に立って七回はしくじるものだ」という。
 レギュラーであれば、凡打しても次の打席がまわってくる。一軍半の選手は一打席一打席が勝負になる。
 そうした状況で「自分の声」や「感受性」を保ち続けるのはすごくむずかしい。フリーライターの多くは時間と字数の制約だけでなく、お金もない。
 妥協や保身によって「自分の声」は簡単にすり減ってしまう。

 わたしが詩や私小説に耽溺したのはそういう時期だ。

 とにかく「自分の声」を持った人々の言葉に触れたかった。「自分の声」を持ち続けている秘訣を知りたかった。

 山口瞳の男性自身シリーズの『変奇館の春』(新潮社)に「私の駄目な」というエッセイがある。
 生花、書、絵、俳句、短歌と自分の不得手なものをあげ、次のように語っている。

《書について言えば、うまいからいいというようなものではない。達者になれば達者になったで目をそむけたくなるような字を書く人がいる。字がうまくなったかわりに品格を失ってしまったということがある。絵だってそうだ。俳句でもそうだ。いつのまにか、大道で売る表札の字になり、ペンキ絵になり、横丁の宗匠になってしまって、つまり、感動というところから遠くなってしまう》

 山口瞳はここで「品格」という言葉をつかっている。
 うまくなることで何かを失うことがある。わかりやすさと引き換えにつまらなくなる。
 かといって、下手で難解なものがいいという話ではない。
 そんなに単純な話ではない。

(……続く)

2013/12/27

自分の声 その三

 十八歳の菅原克己は中村恭二郎に「君の詩はナイーブでいい。自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」といわれた。
 以来、中村恭二郎は菅原克己の〈先生〉になる。
 わたしの好きなエピソードだ。

 知識や技術を身につける過程で「自分の生地」をなくしてしまうことがある。
 詩人にとっての「自分の生地」とコラムニストにとっての「自分の声」は同じものかどうか。

 生まれた時代、出会った人、読んだ本……。「自分の生地」や「自分の声」は、様々な影響によって作られている。同時に、どんなに本を読んでも、様々な経験を積んでも、変わらない部分がある。

 小澤征爾、武満徹著『音楽』(新潮文庫、一九八四年刊、単行本は一九八一年刊)を読んでいたら、「自分の声」という言葉が出てきた。
 昔、小澤征爾の兄が自己流でチェロを弾いていた。誰に習ったわけでもないから、お世辞にもうまいとはいえない。

《兄貴の時代はチェロの先生なんかいなかったから、自分でチェロ買ってきて、自分で教則本を買って、弾いてみる。自分の声をね——兄貴は声がいいんですよ、バリトンで。『冬の旅』なんて歌って、僕は伴奏したことがあるんだ——その自分の声を出したいような感じで、楽譜を読んで、それをチェロにあらわしている》

 そんな兄のチェロを小澤征爾は「いい」とおもう。
 その兄の十一歳の息子がヴァイオリンを始めた。最初から先生に習い、弓に赤や青の印をつけられ、それに合わせて弾くよう教えられている。
 自分の出したい音がなく、ただ単に印どおりに手を動かしているだけ。
 演奏を聴いた小澤征爾は「ひどい音」だったと嘆き、楽器の教え方として大変な間違いだと憤る。

 ちなみに、小澤征爾の兄(二人いる)が小澤俊夫なら、十一歳の息子は小沢健二の可能性もある(小沢健二の兄のほうかもしれないが)。

(……続く)