来週、仙台のTHE6で岡崎武志さんと「日常を散歩する 自由に楽しく生きる術」というトークショーに参加します。
わたしは生活を立て直したいとおもうときは、家事と散歩をすることにしている。調子があまりよくないときは、なるべく頭を空っぽにして、からだを動かす時間を作る。たとえば、しめきりが迫ってきて、焦りをおぼえたら、ちょっと外に出て気分転換をする。
もともと『日常学事始』(本の雑誌社)は、岡崎さんの『貧乏は幸せのはじまり』(ちくま文庫)の巻末対談がきっかけで生まれた本です。
下記の紹介に「脱力気味のゲスト」とありますが、わたしは几帳面で真面目な性格だと自負していて、それゆえ行き詰まりやすいという自覚があります。
だから岡崎さんの『人生散歩術』に出てくるようなお金がなくても楽しそうにふらふら暮らしている詩人や作家に憧れ、どうしたらそういうふうに生きていけるのかということをずっと考えてきました。今も試行錯誤中の身ですが、その途中経過の報告ができたらとおもっています。
2017/9/5(火)
19:00-21:00
@THE6 3Fワークラウンジ
ゲスト:岡崎武志(書評家・古本ライター)/荻原魚雷(文筆家)
仙台春日町で行うプロジェクト6LABO。コワーキングスペース・シェアオフィスなどを兼ねたシェア型複合施設「THE6」を舞台に、WORK・CREATIVE・SOCIALなど様々なテーマイベントを行っています。今回は、「自由に楽しく生きる」をテーマに、脱力気味のゲスト・岡崎武志さんと荻原魚雷さんをお招きしてのトークイベントを開催します。どこか生きづらさを感じる現代社会の中、新刊「人生散歩術」(芸術新聞社)、「日常学事始」(本の雑誌社)を同時期に刊行するお二人に自由に楽しく生きる術について伺います。
場所:〒980-0821 仙台市青葉区春日町9-15 THE6 3F
詳細は、
http://peatix.com/event/285444
2017/08/26
占領下の文学
中村光夫著『文學の囘歸』(筑摩書房、一九五九年刊)の「占領下の文學」という評論を読む。
《これまで漠然と戦後文学と言われて来たものは、むしろ米軍占領時代の文学と呼ぶべきで、そう呼ぶことで、いろいろな性格がはっきりすると思われます》
終戦後、人々は食物だけでなく、文学にも飢えていた。戦時中は「知的鎖国」によって外国文化も容易に触れることができなかった。
すこし前まで敵国だったアメリカ文化の流入に多くの人々が抵抗を示さなかったのは、日本人の外国の文化にたいする「飢餓感」も関係しているだろう。
当然、アメリカの占領政策には負の遺産もある。しかしそれを差し引いても、戦前戦中と比べ、国民生活は向上した。
中村光夫も占領の恩恵を認めている。
《僕はこの被占領の期間、ことに最初の半分ほどが、一般の庶民が我国ではかつてないまた今後もあり得ない自由を享有した時代ではなかっかと恐れる者です》
《占領軍の行ったさまざまの施策は、(たとえその究極の目的が彼等自身の利益のためであったにしろ)僕等が僕等自身の幸福のために、自分ではやる力のないことを代わってしてくれたことはたしかです。軍隊と特高警察がなくなっただけでも僕等の生活がどれほど明るくなったかわかりません》
しかし、そうした与えられた自由(中村光夫の言葉でいえば、「実験室で養われた動物のように、温室のなかで享受していた『自由』」)には弊害もある。
《戦争から占領と十年以上つづいた窮乏と盲従の生活が、知らぬ間に国民のものを考える力を萎縮させ、感じる能力を麻痺させてしまっているのです》
《これまで漠然と戦後文学と言われて来たものは、むしろ米軍占領時代の文学と呼ぶべきで、そう呼ぶことで、いろいろな性格がはっきりすると思われます》
終戦後、人々は食物だけでなく、文学にも飢えていた。戦時中は「知的鎖国」によって外国文化も容易に触れることができなかった。
すこし前まで敵国だったアメリカ文化の流入に多くの人々が抵抗を示さなかったのは、日本人の外国の文化にたいする「飢餓感」も関係しているだろう。
当然、アメリカの占領政策には負の遺産もある。しかしそれを差し引いても、戦前戦中と比べ、国民生活は向上した。
中村光夫も占領の恩恵を認めている。
《僕はこの被占領の期間、ことに最初の半分ほどが、一般の庶民が我国ではかつてないまた今後もあり得ない自由を享有した時代ではなかっかと恐れる者です》
《占領軍の行ったさまざまの施策は、(たとえその究極の目的が彼等自身の利益のためであったにしろ)僕等が僕等自身の幸福のために、自分ではやる力のないことを代わってしてくれたことはたしかです。軍隊と特高警察がなくなっただけでも僕等の生活がどれほど明るくなったかわかりません》
しかし、そうした与えられた自由(中村光夫の言葉でいえば、「実験室で養われた動物のように、温室のなかで享受していた『自由』」)には弊害もある。
《戦争から占領と十年以上つづいた窮乏と盲従の生活が、知らぬ間に国民のものを考える力を萎縮させ、感じる能力を麻痺させてしまっているのです》
2017/08/23
学習性無力感
以前、このブログで中村光夫著『文学回想 憂しと見し世』(中公文庫)所収の文章を引用した。
《いまから考えると、よくあんな生活に堪えられたものですが、その当時はだんだん馴らされたせいか、むしろそれが当たり前のように思っていました。
それも勝つために乏しさに堪えるという積極的な気持でなく、なんとなく生活とはこんなものという感じで、自由とか豊富などという言葉は、現実性のない死語のようでした。
そのくせ一杯の酒、一椀の飯にもがつがつし、身体から脂気や力がぬけて、芯から働く力がなくなり、なるべく怠ける算段をするという風に、国全体が囚人の集団に似てきました》(「窮乏のなかで」/同書)
戦時下の窮乏生活を送るうちに、やる気をなくし、「怠ける算段」ばかりするようになる。言論の自由もない。戦争は負けそうだ。どうにもなりそうにないから、できるだけ何もしない「努力」をする。つまり、無気力になるのも「学習」の成果なのだ。
心理学用語の「学習性無力感(無気力)」の典型例といってもいい。長期にわたってストレスを回避できない環境に置かれると、その状況を改善するために行動する気力を失う。人にかぎらず、動物もそうだ(電気ショックを与え続ける犬の実験がある)。「何をやっても無駄」とおもうと、何もしたくなくなる。
「学習性無力感」から抜け出すには「何をやっても無駄」とおもわされている自分の状況を把握する必要がある。
希望を持つこと。希望に向けて行動すること。
わたしも二十代のころ、ずっと貧乏でいつも「怠ける算段」ばかりしていた。無気力だった。
いまだに気をぬくとすぐそうなる。
《いまから考えると、よくあんな生活に堪えられたものですが、その当時はだんだん馴らされたせいか、むしろそれが当たり前のように思っていました。
それも勝つために乏しさに堪えるという積極的な気持でなく、なんとなく生活とはこんなものという感じで、自由とか豊富などという言葉は、現実性のない死語のようでした。
そのくせ一杯の酒、一椀の飯にもがつがつし、身体から脂気や力がぬけて、芯から働く力がなくなり、なるべく怠ける算段をするという風に、国全体が囚人の集団に似てきました》(「窮乏のなかで」/同書)
戦時下の窮乏生活を送るうちに、やる気をなくし、「怠ける算段」ばかりするようになる。言論の自由もない。戦争は負けそうだ。どうにもなりそうにないから、できるだけ何もしない「努力」をする。つまり、無気力になるのも「学習」の成果なのだ。
心理学用語の「学習性無力感(無気力)」の典型例といってもいい。長期にわたってストレスを回避できない環境に置かれると、その状況を改善するために行動する気力を失う。人にかぎらず、動物もそうだ(電気ショックを与え続ける犬の実験がある)。「何をやっても無駄」とおもうと、何もしたくなくなる。
「学習性無力感」から抜け出すには「何をやっても無駄」とおもわされている自分の状況を把握する必要がある。
希望を持つこと。希望に向けて行動すること。
わたしも二十代のころ、ずっと貧乏でいつも「怠ける算段」ばかりしていた。無気力だった。
いまだに気をぬくとすぐそうなる。
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