2018/10/30

彗星の孤独

 金曜日、夕方、神保町。神田古本まつり。見たこともない「街道本」がたくさんあった。おもしろそうだなとおもう資料は高い。千円以下の本や図録をちょこちょこと買ったのだが、けっこうな量になる。

 寺尾紗穂著『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)が届く。自分の体験や感覚を通過させ、小さな違和感を踏みとどまりながら思索し、言葉にする。

 大学院時代、寺尾さんは川島芳子の論文を執筆中、芳子の残した和歌や詩を収録した『真実の川島芳子』と題した史料集を引用した。
 すると「『真実の川島芳子』とあるが、『真実の』などという形容を安易にしている史料を使ってもいいと思っているのか」と指摘される。

《アカデミズムがそのような厳密さを求めることに一理あることはわかったが、それでも一般の人々にとって「真実の」という感覚は「確かにある」よなあ、と思った。そんなもの「とんでもない」と遮断する感覚と、「確かにある」という実感とは果てしなく遠いように思われた》

「厳密さ」とは何か——という問いは、ジャーナリズムの世界でもよく直面する。
 わたしは二十四、五歳までノンフィクションの仕事をしていたのだが、いつも「感想を削れ」「印象批評をするな」と怒られた。注意されるたびに、何がいけないのかわからなかった。わたしは高部雨市さんの『異端の笑国 小人プロレスの世界』(現代書館)のような個人の疑問を掘り下げていくノンフィクションが好きだった(今もです)。
「御身」というエッセイを読みながら、二十代のころの困惑をおもいだした。

 その後、仕事を干され、アルバイトや古本の転売をしながら、たまに同人誌やメルマガなどに雑文を書く暮らしを送ることになる。そのときどきに書きたいことを書きたいように書くという選択をしたことに悔いはない。結局、それしかできなかった。同人誌に発表した文章をまとめた小冊子を作ったとき、最初に手紙を送ってくれた編集者がスタンド・ブックスの森山裕之さん(当時は『クイック・ジャパン』の編集者)だった。

「楕円の夢」にはこんな言葉があった。

《「社会の役に立たないからなくてもいい」「レベルが低くて中途半端だから価値がない」。こういう硬直した考え方を前に、しなやかに返答し続けるものが、芸術であり文学ではないかとも思う》

「役に立つ/立たない」「レベルが高い/低い」といった価値基準以前に、自分を通して何を表現したいかということのほうが大切なのだ。本人ですらどうしてこんなものを作ってしまうのかわからないところに芸術のおもしろさはあるのではないかという気がする。

2018/10/25

奥日光旅行

 福田蘭童著『志賀直哉先生の台所』(旺文社文庫)に「奥日光旅行」という随筆がある。
 蘭童は、志賀直哉の家族を連れてあちこち旅行していた。「こんどは山のほうに行ってみたいね……」という志賀直哉にたいし、「奥日光はいかがですか。ぼくのイトコが湯元温泉で板屋という旅館を経営していますので……」。

 奥日光旅行には広津和郎も誘うことになった。
 湯元温泉の説明をすると、広津和郎は「そのころのことを葛西善蔵がよく言っていた」と懐かしむ。蘭童は「そうそう葛西さんは湯元の南間ホテルにだいぶ滞在していたことがあるので、南間ホテル経営者の南間栄君が、ぜひとも広津先生に碑文を書いてほしいと言ってました」という。
 そのあとの広津和郎の台詞がいい。

「葛西は飲んべえだったから、だいぶホテルに迷惑かけただろうに……」

 広津和郎が葛西善蔵に多大な迷惑をかけられた親友(晩年は絶交状態)だったことを知っていると、いっそう味わい深い言葉だ。

 葛西善蔵は「湖畔手記」を板屋旅館で書き上げたが、南間ホテルにも滞在していた。

 ちなみに、この「奥日光旅行」で福田蘭童はフライフィッシングもしている。

2018/10/23

七つの街道

 土曜日、馬橋盆踊り(馬橋小学校)。今回で六回目。もう六年か。オグラさん(オグラ&ジュンマキ堂)の作った「馬橋ホーホツ音頭」がすっかり定着している(振り付けはペリカン時代の増岡謙一郎さん)。
 オグラさんの作った曲を大勢の人が踊っている光景を見て嬉しくなる。音頭の中の「ホーホツ、ノー、ノエ」は昔の馬橋村の雨乞いの掛け声だった。夕方五時すぎにどしゃぶりになる。
 この日配られていたチラシに幻の馬橋駅のことが書いてあった。
 かつて今のJR中央線の高円寺駅と阿佐ケ谷駅の中間あたりの場所に馬橋駅が作られる計画があった。もし馬橋駅ができていたら、高円寺界隈の歴史はずいぶん変わっていたかもしれない。このブログも「文壇馬橋」になっていた可能性もある。

 新刊の井伏鱒二著『七つの街道』(中公文庫)を読みはじめる。今のわたしは街道に関する本なら何を読んでもおもしろい状態なのだが、この本は別格である。歴史エッセイであり、紀行文でもある。収録作は全編、井伏鱒二でなければ書けないかんじのものになっている。単行本は一九五七年刊(文藝春秋新社)。
 わたしは井伏鱒二のエッセイや対談がきっかけで甲府に興味を持つようになった。この本には「甲斐わかひこ路」という紀行文も入っている。

《甲州には大昔から古い道が残っている。これを古道(ふるみち)と総称し、隣国へ通ずる古い道が九本ある。それがみんな酒折というところを起点として、酒折が扇の要なら九本の道は扇の骨である。一と息に道路計画をしたかの観がある》

 酒折は「古事記」のヤマトタケルの東征にもその名は出てくる。甲州街道と青梅街道の合流地でもある。
 今年に入って山梨を何度か訪れているが、石和温泉から甲府にかけての地域は歩いていて気持よかった。酒折はだいたいその中間にある。井伏鱒二は何度となく山梨好きを告白しているが、山梨のいい話だけでなく、えぐい話も書いている。作家の業のようなものも感じさせられる。

 街道のことに興味を持ちはじめてから「時間がいくらあっても足りない」「もっと早く取りかかっていれば」とよくおもう。知りたいこと、調べたいこと、歩きたい場所がありすぎて途方に暮れる。わたしは来月四十九歳になるのだが、五年や十年では入口付近くらいしか知ることができない気がする。
『七つの街道』の収録作はいちばん古い初出は一九五二年。井伏鱒二、五十四歳。それを知って、すこし安心する。

 しかし限られた時間とさらに限られた予算の中で何かをしようすれば、際限なく手を広げるのは不可能である。
 今の自分のいる場所から、できることを手探りで見つけていくしかない。