昆虫が光に反応して集まる習性を「走光性」という。
人も同じ習性があるとはいわないが、都会に人が集まるのは「夜が明るい」というのも理由のひとつだろう。
夜中の散歩中、光るタワーを見るとなんとなく嬉しくなるのは、昔の人が街道を歩いていて常夜燈が見えたときの心理に通じるような気がしている。
夜、九段下から四谷まで歩く。靖国通り。高燈籠(常燈明台)から九段坂公園を通り、靖国神社の駐車場内の喫煙所で一服する。一口坂の小諸そばで鳥から丼セット(冷たいそば)を食べる。文教堂書店に寄り、市ヶ谷橋を渡り、外濠沿いの道を歩き、日高屋の先から市ヶ谷駅を眺める。夜の市ケ谷駅、水に浮いているように見える。外濠から市ヶ谷駅の電車の発着を見る。
市ケ谷駅に向かう途中、ドコモタワーを見る。そのとき雪印メグミルクの大きな看板も視界に入る(夜は白く光る)。外濠公園の野球場の近くに雪印メグミルクの本社がある。意外と近い。
電車に乗っているとあっという間に通りすぎてしまうのだが、市ケ谷駅から四ツ谷駅の間は歩道が広い。樹木も多い。チェーン店もたくさんある。四ツ谷駅前にも小諸そばがある。
学生のころから高円寺と神保町を数えきれないくらい行き来してきた。人生後半になって、市ケ谷駅周辺の夜道のよさを知った。
いつでも行ける。いつでも歩ける。いつまでそれができるかわからない。この先何ができるのか。行きたい場所に行く。読みたい本を読む。それがなかなかできない。
年をとると、できないことばかり増えていく。いっぽうできることにありがたみをおぼえる。散歩が面白くなる。近所が面白くなる。すこし歩いただけでこれまで知らなかった景色が見えてくる。
広い世界を知る楽しさとはまたちがう。
働くことで知ることもあれば、暇になったり心身にガタがきたりして知ることもある。
昔、地味で退屈におもえた小説や音楽のよさがわかるようになる――というのと近いかもしれない。
このところ「余生」について考えている。「余生」を楽しむために必要なことは何だろう。
活発に動けなくてもいい。静かに暮らせればいい。
金のかからない趣味は重要である。あと健康は大事である。
四ツ谷駅から総武線で高円寺に帰る。