いかに余力を残しながら移動するか。せっかく遠くに来たのだから、いろいろなところに行きたいという欲を抑える。食べすぎず、飲みすぎず、歩きすぎず……。旅先だと普段より動きたくなる。旅が帰ってきて、翌日、すぐ仕事にとりかかれるのが理想だが、そうはならないのが現実だ。
出発前、右のふくらはぎがつって足の調子がよくない。痛みはないが、違和感がある。無理は禁物である。
六月八日(日)、午前十一時に郷里の家を出て名古屋。西口の地下街のエスカ、昭和通りをすこし歩く。おにぎりを買う。そのあと中央本線で恵那駅へ。中山道の大井宿を歩く。大井宿は二度目、前に行ったのは二〇一八年か。時が経つのは早い。
二〇一六年五月末に父が亡くなり、その年に街道歩きをはじめた。以来、年に数回、東京〜名古屋間をJR中央本線で移動するようになった。まだまだ行ったことのない宿場は残っているが、中山道は歩いて楽しい町だらけだ。電車からの景色もいい。川と旧街道好きにはたまらない。
街道の研究をはじめる前から東海道は五十三次の半分くらいの宿場町を訪れていた(宿場町と意識していなかったが)。四十代半ばすぎまで中山道は知らない町ばかりだった。三重県の隣の県にもかかわらず、岐阜県はいつも通り過ぎていた。せめて三十代の半ばあたりに街道の面白さに気づいていれば……。
駅前のホテルのチェックインの時間まで旧中山道を散策——明智鉄道の線路の先の菅原神社まで行く。枡形の曲り道が六箇所ある。阿木(あぎ)川沿いもすこし歩く。中山道六十九次の絵が並ぶ大井橋を見る。広重と英泉の絵も中山道に興味を持つようになったきっかけの一つだ。絵を見て「ここに行きたい」とおもう。そんなふうに旅をしたことはなかった。
午後三時すぎ、宿に向かう。二時間ほど体力を回復するため、だらだらし、スーパーマーケットバロー恵那店のフードコートでスガキヤで肉入ラーメン。バロー恵那店はバロー一号店。もともと主婦の店恵那店と知る。
食後、音楽酒房ともばぁに行く。オグラさん(インチキ手廻しオルガン)、詩野さん、CRAZY HARUさんのライブ。三重に行く前、このライブを知った。オグラさんの「不思議な遊び場」という曲、ここ最近考えていたことと重なる。オグラさんの曲、後から歌詞の意味がわかることが多い。十年以上前に唱歌を歌いはじめたときも最初はピンとこなかった。年々、唱歌の歌詞のよさが心にしみるようになった。
翌日、中津川駅でオグラさんと昼すぎに待ち合わせ。中津川には十時前に着き、宿場町を歩く。旧中山道を歩いて中津川。中津川遊歩道公園(ミニ中山道)を歩いて本町公園に行く。ルビットタウン中津川のフードコートでスガキヤまるごとミニセット。三泊四日の旅でスガキヤに三回入る。中津川市ひと・まちテラスで休憩し、中山道関係の無料の資料をもらう。東山魁夷の展示もあった。
オグラさんの車に乗せてもらって東京に帰る。中津川から中央自動車道。すごく長いトンネルを通る。家に帰ってから恵那山(えなさん)トンネルと知る。上り線は八千六百四十九メートル(現在は国内六位の長さらしい)。駒ヶ岳サービスエリアの名水庵で舞茸天うどん。うまかった。
わたしは車の免許を持っていないので駒ヶ岳サービスエリアには次いつ行けるかわからない。