2007/04/23

木の芽時

 学生のころは四月になると、進級や進学などがいろいろあって、変化にとんだ季節だったようにおもえた。大学を中退して、フリーライターになってからは、これといってなんてことのない月である。気がつけば、ゴールデンウィークに突入し、それがすぎれば、夏がくる。
 自由業というのは、変化がありそうでないものだ。生活は不安定だが、その不安定さはわりと一定している。忙しかった月の翌月か翌々月は収入が増え、ひまだった月の翌月か翌々月は収入が減る。基本はそのくりかえしである。

 それでも四月は、情緒不安定になりやすい。わたしは例年、穀雨(四月二十日ごろ)のころが、ちょっとだめだ。

 藤巻時男著『天氣と元氣』(文藝春秋、一九六〇年)という本を読んでいたら、「春は冬の寒さが夏の暑さに変わる時期であり、秋は寒い冬のおとずれる季節で、どちらもお天気の変動激しく、寒暖交互に来たり、降ったり照ったり、体に対して色々の刺戟が加えられる試練の時であります」と書いてあった。
 試練の時か。そうかもしれない。ただ、そうとわかっていれば、すこしは気も楽になる。
 不安な気分になったときは、半分くらいは天候のせいだとおもえばいいのである。


(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)

2007/04/21

酒ヲノモウカ

 連日、神保町に通い続ける。一昨日は、仕事の前にダイバーの「ふるぽん秘境めぐり」をのぞく。店主にあいさつすると、わたしの名前から坊主頭の大男をイメージしていたといわれる。仕事のあと、吉祥寺の「百年」という古本屋に行き、『現代詩手帖』(一九七九年五月号)の「特集ライト・ヴァース」を買う。
 ライト・ヴァースには、いろいろ定義があることを知る。理屈っぽくて読んでいていやになる。
 それからまんだらでペリカンオーバードライブのライブを見る。お互い家を行き来して夜から昼にかけて酒を飲んでいたこのバンドのギタリストが亡くなって二年ちょっとになる。四人組のバンドが三人組になって、しばらくのあいだはいないはずのギターの音が頭の中でずっと流れていたのだが、すっかり三人組の軽快な音になっていた。どんどんすごくなっている。
 いっしょに出演していたバンドはヘタすると二十歳くらい若い。四十代でロックンロールを続けるのはすごいことである。
 ライブのあと閉店まぎわのバサラブックスに寄り、三木卓の『日々のたわむれ』(福武書店)を買って、そのあと福井さんといっしょに古本酒場コクテイルに飲みに行く。酔っ払う。

 昨日、書肆アクセスで畠中さんに取り寄せてもらっていた近代ナリコさんの新刊『どこか遠くへ ここではないどこかへ 私のセンチメンタル・ジャーニー』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を受け取る。旅の本だけど、ただの旅の本ではない。数ページごとにはっとする言葉が出てくる。
 
 仕事場で読んでいたら、まっすぐ家に帰りたくない気分になり、早稲田で途中下車する。午後七時前に古書現世をおとずれると、やはりというかなんというか飲み会があるというので参加させてもらう。酒が飲みたくなると、閉店まぎわの古本屋に行くというのは、どうかとおもうが、いいのである。

 それにしてもみんな酔うのが早い。一まわり以上若い書店員さんとアナキズムの話で盛りあがる。自分が二十四歳のときはどんなかんじだったのかなあ。学生時代から知りあいのなつかしい顔にもひさしぶりに再会する。
「変わってないねえ」
 そうかね。
 しばらく飲んでいると、古書現世の向井さんから、紙袋にはいった本を渡される。
 辻征夫詩集『いまは吟遊詩人』(思潮社)の「黒田三郎様」あての署名本だ。向井さんはまもなく出る予定のわたしの本の出版記念にこの本をプレゼントしてくれた。辻征夫は少年時代から大酒飲みの詩人、黒田三郎が好きだった。もちろん、わたしはこのふたりの大ファンである。
 すごくうれしい。家宝にしたい。

《酒ヲノモウカ……
 ハア……
 で のみはじめる
 私はいつものように静かにのむ
 しらふで酒のむのにさわぐなんて
 私のしようにあわない
 一杯のむ すると
 二杯目はもうしらふじやないわけだ理論的には
 どこかで 新宿ブルースがきこえていた
 それから あとはおぼろ……》
      (「ある訪問から」抜粋/『今は吟遊詩人』)

 辻征夫著『ゴーシュの肖像』(書肆山田)に、「将棋」という題のエッセイがあって、そこにはこんなことが書いてある。

《将棋を始めたのは、三十歳を過ぎてから。二十代のときの詩をまとめて『いまは吟遊詩人』を出したら、何もすることがなくなってしまったような気持ちになって、そんなときふとしたきっかけで百科事典の「将棋」を引いてみたのが最初です。ノートを取ってそれを見ながら指しました。
 将棋の本も、並べれば二メートルくらい読んだけれど、理論的なところはいつもさーっと読みとばして、棋士たちのエピソードとかその他のところばかり読んだみたいです。彼ら、時代小説に出てくる剣客、それから詩人みたいなところもあってとても好きです》

 わたしも将棋の本は、そういう読み方しかしていない。羽生善治さんをはじめ、同世代のプロの棋士の考え方、将棋に打ち込む姿勢にはすごく刺激を受けている。
 齢をとる。体力や記憶力がおとろえる。それをどうやっておぎなうか。
 彼らはいつもわたしよりすこし早く、そしてかなり深く、そういうことをかんがえている。

 ここのところわたしも「何もすることがなくなってしまったような気持ち」になっているのだが、そういうこともあるよなあ、と今は楽観している。時間がたってみないとわからないことはいろいろある。
 自分がどこに向かっているのかわからない。いっぽうでは安易な目標をもちたくないというおもいもある。しばらくはなりゆきにまかせてみたい。おもいどおりにならないことやおもいがけないことをいろいろ味わってみたい。
 
《なあ おれたち
 こうしてうろついてばかりいて
 きつとこのままとしとるな
 二十代の次には 三十代がくる
 その次は たぶん 四十代だな》
    ( 「きみがむこうから…」抜粋/『今は吟遊詩人』 )

 二十代のころは、このままとしをとるのかとよくおもっていたが、おもいどおりにとしはとれない。
 いっしょに酒を飲んでいた友人がいなくなってしまうこともある。

 今日は酒を飲まないつもりだったが、やっぱり飲んでしまった。

2007/04/16

箱の日

 昨日(十五日)は西荻窪の昼市に行ってきた。この日は昼本市(ひるほんいち)もやっていて、軒先で箱にいれて古本を売っていた。午後二時すぎに行くと、退屈男君と書肆アクセスの畠中さんが並んで古本を売りながらビールを飲んでいたので、酒宴にまぜてもらう。
 天気もよく、インド料理屋とタイ料理屋に囲まれたほそい路地なので、飲んでいるうちに旅先にいるような、いい気分になる。バサラブックスの福井さんにハンサム食堂の人を紹介してもらう。
 退屈君が気になるといって注文した「インド中華」が妙にうまかった。とんこつではない白い塩味のスープに短めの麺で、けっこう酒と合う。
 途中、音羽館に行く。『尾形龜之助全集 増補改訂版』(思潮社)が売っていたので、酔っぱらったいきおいで買ってしまう。

《夕方になつてみても
 自分は一度飯に立つたきりでそのまゝ机によりかゝつて煙草をのんでゐたのだ。
 
 そして 今
 机の下の蚊やりにうつかり足を触れて
 しんから腹を立てて夜飯を食べずに寝床に入つてしまつた

 何もそんなに腹を立てるわけもないのに
 こらえられない腹立たしさはどうだ
 まだ暮れきらない外のうす明りを睨んで
 ごはんです−−と妻がよぶのにも返事をしないでむつとして自分を投げ出してゐる態は……
 俺は
 「この男がいやになつた」と云つて自分から離れてしまいたい》
                   (「愚かしき月日」)

 天下一品のだめ人間の詩。尾形亀之助の詩は、ほとんど部屋の中で寝っころがっている詩ばかりなのだ。

《( 服と帽子が欲しい )
 私は酒ばかり飲んでゐたので
 このひと月は何もしないでしまつた
 二月は二十八日でお終ひになつてゐた》
           (「春が来る」)

 尾形亀之助の詩にたいして「だからどうした」といってもしかたがない。

 貧血気味なので、近所の大将三号店でレバー三本、ハツ一本持ち帰りで買ってひとりで食う。ひさびさに体重計に乗ったら、昨年末から五キロくらい減っている。酒ばかり飲んでメシをあまり食わないのがいけないのはわかっている。太るためにはまず酒を減らさないといけないのもわかっている。ただ残念なことに酒の量を減らす方法がわからないのである。
 最近どうも爪がよく割れたり、ふけがすごく出たりして、老化がすすんだのかとおもっていたのだが、どうやら栄養不足が原因だったようだ。でもやっぱり齢のせいも多少はあるのか。

 夜は、古本酒場コクテイルで南陀楼綾繁さんとオヨヨ書林の山崎有邦さんのトークショー。ゲストは岡崎武志さん。西荻窪の昼本市から流れてきたお客さんが多数いる。まあ、わたしもそのひとりなのだが……。
 その日のお題は、まもなく開催される不忍ブックストリートの一箱古本市にからめて本の「函」の話だった。それにしてもマッチ箱からミニコミから戦前の本まで、南陀楼さんのその守備範囲の広さにはいつも驚かされる。オヨヨさんが函入の中原弓彦(小林信彦)の『汚れた土地』(講談社)を出すと、すかさず岡崎さんが「ハイ、百円から」と振り市の掛け声。
 そのまま二次会(また焼鳥屋であった)にも参加し、なんだかんだと十時間くらい酒を飲んだ。

 家に帰って、テレビを見て、三重県で震度五強の地震があったことを知る。わたしは震源地の亀山市のとなりの鈴鹿市に十九歳まで住んでいたのだけど、ほとんど地震の記憶がない。
 鈴鹿で震度五なんてはじめてじゃないかなあ。
 いちおう朝、親に電話してみた。
「ちょうど車に乗っとってわからんかったわ。電車は止まったみたいやけどな」
 その後、三十分説教される。
 無事でなにより。