2010/03/30

コクテイル再開

 土曜日、古本酒場コクテイルがリニューアル・オープン。午後七時、飲みに行く。まだ未完成だというが、いい店になっていた。座敷席もあって「鍋ができるね」と盛り上がる。あっという間に満席になり、帰ろうとおもうたびに、次々と常連客があらわれ、つい閉店時間まで飲んでしまう。居心地がいい。
 ふらふらになって帰宅する。

 日曜日、家にこもって仕事する。毎日新聞と『小説すばる』の原稿を書く。夕方、西部古書会館に行く(昨日も行った)。ここのところ、さかえ書房のシール付の本をよく見かける。
 すでに持っている梅崎春生の本、さかえ書房のシ−ル付を見てほしくなって買う。

 仕事のあいま、河野仁昭著『天野忠さんの歩み』(編集工房ノア)を読む。
 
 百貨店や出版社で働いたあと、天野忠は京都で古本屋をはじめる。自分の蔵書八百冊を店に並べたところ、めぼしい本はあっという間に同業者に買われてしまった。店をはじめるにあたって、何の準備もしていなかったようだ。
 その後、古本屋をたたんで、奈良女子大の教務課を経て、大学附属図書館の仕事を二十年くらい続けた。

《天野忠さんの退職は定年退職ではなかった。定年までにあと一、二年残っていたはずですが、勤務年数が年金をもらえる年数に達したから辞められたのです。なぜ辞めたのかというと、詩を書くことに専念したかったからです。年金で生活はなんとかやっていけるという条件がととのったわけです。わたしが知っている詩人ではNHKにつとめていた黒田三郎さんがそうでした》(天野忠さんの詩と晩年)

 天野忠と黒田三郎、ふたりとも好きな詩人なのだが、人物像がまったく重ならない。
 
 月曜日、夕方六時に起きて、午後九時すぎにコクテイル。またカウンターで古本を売らせてもらうことになった。水割四杯。もつ煮を食う。
 すこし前に来ていたアスペクトの前田君としゃべる。

 コクテイルの新しい店舗の場所がある中通り商店街のちかくには、一九八九年の秋から九八年の秋くらいまで住んでいた。当時はガード下を通って阿佐ケ谷にもよく行った。

2010/03/26

ふるほん横丁

 雨で、寒くて、洗濯物はたまり、原稿は書けず、飲みすぎて、からだがだるくて、頭がまわらない。インターネットの古本屋で片っ端から注文し、その支払いのため、郵便局と銀行を行ったり来たりしている。

 某地方の古書店、支払先が中国銀行のみという理不尽さに怒りをおぼえる。
 手数料だけで三百円ちかくとられてしまった。キャンセルすればよかった。
 これまでクレジットカードがなくて敬遠していたアマゾンの中古本が、コンビニ払いができることを知った。払い込み用紙をプリントアウトして、レジに持っていくだけでいい。
 たいへん便利なのだが、海外の古本屋とのやりとりは面倒であることがわかった。
 英国の古書店にジョージ・ミケシュの自伝(『How to be SEVENTY(七十歳になる法)』を注文したのだが、入金して十日くらい何の音沙汰もなく、忘れたころに本が届いたかとおもったら、背表紙はかすれて見えないし、中は線引だらけだった。文句をいおうにも、クレームをつけられるほどの語学力もない。完全に泣き寝入りというやつだ。びっしり線が引きたくなるくらいおもしろい本であることの証拠だと自分を納得させる。

『ちくま』の四月号で、ジョージ・ミケシュの本を紹介した(「ミケシュが見た日本」)。
 ここには書かなかったのだが、ジョージ・マイクス名義の『不機嫌な人のための人生読本』(加藤秀俊監訳、ダイヤモンド社、一九八六年刊)という本がある。

《もし歴史上の戦争のなかで、正当なものがあるとすれば、それは第二次世界大戦である。人類は、ドイツを統治した罪深き精神異常者をまっ殺しなければならなくなってしまった。そして、わたしたちやわたしたちの子孫は、それを実行した人たち——そして、他の多くの人たちに——に対して、あらたな暗黒時代を回避させてくれたことを感謝しなければならない。かれらは自由のために戦った……。ほんとうだろうか。西欧の人たちは、けんめいに正しく戦った、というかもしれない。そして、ロシア人たちも同様に雄々しく戦ったのだ。しかし、この勝利でかれらがえたものは、どんな形の自由だったのだろうか。スターリンの殺人的偏執狂は、三〇年代にも十分ひどいものだった。しかし、勝利ののち、自由という名のもとに、それはもっとひどくなったのである》(「自由=この悪しきもの」/『不機嫌な人のための人生読本』)

 これですよ、こういうエッセイがわたしは読みたいのですよ。ミケシュは、穏健な左派を自認していたようだが、かなりひねくれている。
 一見、ユーモア・エッセイ風なのだが、随所にシニカルな社会観、歴史観が見られる。

 仕事帰り、高田馬場駅前の芳林堂書店四階の「ふるほん横丁」に寄る。三月二十五日(木)からオープン。棚と棚の幅がゆったりしていて、本が見やすい。値段もわりと安目かも。

 一階の入口のところで、丸三文庫とフジワラさんと藤井書店のリボーさんが寒そうにふるえていた。

2010/03/23

みちくさ市

 昼起きて、みちくさ市。うっかり東京メトロ東西線直通に乗ってしまい、高田馬場から副都心線の西早稲田に乗り換え(乗り継ぎ料金にならないのだが)、雑司ケ谷に。来るたびにおもうのだが、鬼子母神商店街、東京というかんじがしない。といって、どこなのかと聞かれても、返答に困る。
 会場で本の雑誌の宮里さん、アホアホ本の中嶋さんと待ち合わせ。ぐるっと古本を見て、それから仕事の打ち合わせをする。
 池袋古書往来座に寄って、サンシャインシティ大古本まつりに行く。宮里さんは、昔、アルバイトでサンシャインの古本まつりを手伝ったことがあるという。しかし、三人揃ってサンシャインの中で迷う。

 深沢七郎著『流浪の手記 風流夢譚余話』(アサヒ芸能出版、一九六三年刊)が買えたのは嬉しかった。単行本と文庫はもっているのだが、この新書版(平和新書)は未入手だった。
 知り合いの古本屋さんには「たまに見るよ」といわれていたのだが、すくなくとも、わたしは店の棚に並んでいるところを見た記憶がなかった。『流浪』三点セット(新書・単行本・文庫)が揃うと、願い事がかなうらしい。おもいつきを書いてみた。

「風流夢譚」事件後の放浪生活を綴ったエッセイが収録されている本なのだが、「書かなければよかったのに日記」「言えば恥ずかしいけど日記」など、『言わなければよかったのに日記』(中公文庫)に通じる深沢七郎の日記シリーズも読める。

「言わなければよかった」「書かなければよかった」とおもうことをどう書くか。ただ、あけすけに書くのではなく、躊躇したり、恥じたりしながら書く。
 深沢七郎はそのさじ加減が絶妙に狂っていてすごいとしかいいようがない。
 タイプはちがうけど、色川武大もそうかもしれない。

 ただ、深沢七郎や色川武大を知って、もっとこういう作家の本を読みたいとおもっても、なかなか見つからない。ほとんど行き止まりというかんじもする。まあ、わたしが停滞しているだけともいえる。

 読書の快楽は、読むタイミングにも左右される。
 深沢七郎は、まだ文学の免疫がついていないころ、金がなくてひまで活字に飢えていたころに読んだせいか、感激も大きかった。
 未知の作家、未知のジャンルを追いかけいるうちに、すれた読者になってしまうような気がする。

(お知らせ)
 ブックマーク・ナゴヤのリブロ大古本市、開催中。
 来月四月四日(日)は月の湯古本まつり。文壇高円寺古書部も参加します。