……二十九日、札幌から『北の無人駅から』(北海道新聞社)の渡辺一史さんが上京し、古本酒場コクテイル、ペリカン時代をハシゴする。
『北の無人駅から』は、原稿用紙一六〇〇枚の大著なのだが、これだけの枚数を費やさなければ書けないことが書いてある。無人駅のある町の歴史、そこで暮らす人々の半生を丹念に描いていて、まったく知らない町、知らない人のドラマにどんどん引込まれてしまった。
大学時代から札幌に移って、フリーライターになり、八年前に『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅賞と講談社ノンフィクション賞を受賞。『北の無人駅から』は、それ以来の本である。
渡辺さんとは一年前にも高円寺で会って飲んでいる。
そのときは『北の無人駅から』を執筆中ということを知らなかった。
観光情報誌で、北海道について書こうとすると、どうしても雄大な自然や食物のおいしさを讚えるといった「定型」をなぞらなくてはならない。渡辺さんは、そのことに疑問をおぼえる。
それから果てしない取材がはじまる。これほど贅沢な(非効率な)時間の使い方をして書かれた本はそうない。
飲み屋では、渡辺さんが山田太一さんの大ファンだという話になった。『北の無人駅から』を執筆中、山田さんからの励ましの手紙を何度も読み返していたらしい。
その前日、山田太一さんと原恵一さんの対談が掲載されている『For Everyman/フォーエブリマン』を編集した河田拓也さん、松本るきつらさんと同じ店で飲んでいた。
一日ズレたことが悔やまれる。
*
どうでもいい話を書くが、高円寺は住んでいる人口にたいし、郵便局のキャッシュディスペンサーの数が少なすぎる気がする。
年末、行列にひるんで、お金を引き出せなかった。何に負けたのかわからないが、敗北感を味わった。
今年も携帯電話を持たなかった。もはや自分との戦いになっている。持ったら負け。でもいつか負けそうだ。ふだんはなくてもいいのだが、旅先で困る。
鮎川信夫は「その日その日の消費に浮かれる自己喪失者」と現代(といっても一九八〇年代)の日本人を評したことがあった。
わたしもそうした時代を通過し、日々、モノや情報を消費することに追われている。
来年はもうすこし平穏にすごしたい。平穏な一日を送るにもそれなりに手間がかかる。
たっぷり睡眠をとって、ちゃっちゃと部屋を片づけて、じっくり時間をかけて本を読み、文章を書きたい。
「自己喪失」しないためには、ひとりで静かに思索する時間が必要なのではないかとおもう。
2011/12/28
ゆるやかな崩壊
……昔から冷静に世の中を分析したり、俯瞰したりすることが得意ではない。そのかわり(自分の)日常や生活における実感を大切にしてきた。
震災後、悲観しがちではあったが、なんだかんだいって、日本は恵まれた国だという実感はある。
内乱もなければ、飢饉もなく、医療、衛生、治安は非常に優れている。
これほどの災害に見舞われても、大きな混乱が起こらなかったのは、社会にたいする信用があったからだともいえる。
今回の震災でも、道路や線路の復旧、流通網の回復の早さは心強くおもえた。
世界から賞賛された日本の被災者のモラルを支えていたのは、個人の善良さだけではなく、自国の技術や国力への信頼も大きかったのではないか。
きっと救助が来る。水や食糧が届く。今さえしのげば何とかなる。
大震災と原発事故後の日本は安心や安全にたいする信用も揺らいだ。揺らいだけど、瓦解はしていない。今のところは。
すこし前のこのブログで紹介した「福島の惨事:未だ何も終わってはいない」(ジョナサン・ワッツ記者)の締めは次のような言葉だった。
《原子力の惨事は恐ろしいものだったが、想像していたほどではなかった。1年前に誰かが私に原子炉3基が同時にメルトダウンすると言っていたら、それは世界の終わりだと思っただろう。でも、今の日本は想像していたような終末の様相を呈していない。その代わり、ゆるやかな崩壊が起こっている。福島を3回訪問して1年前より放射能に対する恐怖は小さくなったが、日本に対する心配は大きくなっている》
この記事を読んでから「ゆるやかな崩壊」という言葉が引っ掛かっている。急激にではないが、徐々に「何か」が壊れはじめている。信用とか信頼とか目には見えない、これまで社会を支えていた何か。
安全といわれてもそれを信じない。
同時に危険といわれてもピンとこない。
そんな思考停止が世の中に蔓延しつつあるようにおもえてならない。
わたしもそうなってきている。
震災後、悲観しがちではあったが、なんだかんだいって、日本は恵まれた国だという実感はある。
内乱もなければ、飢饉もなく、医療、衛生、治安は非常に優れている。
これほどの災害に見舞われても、大きな混乱が起こらなかったのは、社会にたいする信用があったからだともいえる。
今回の震災でも、道路や線路の復旧、流通網の回復の早さは心強くおもえた。
世界から賞賛された日本の被災者のモラルを支えていたのは、個人の善良さだけではなく、自国の技術や国力への信頼も大きかったのではないか。
きっと救助が来る。水や食糧が届く。今さえしのげば何とかなる。
大震災と原発事故後の日本は安心や安全にたいする信用も揺らいだ。揺らいだけど、瓦解はしていない。今のところは。
すこし前のこのブログで紹介した「福島の惨事:未だ何も終わってはいない」(ジョナサン・ワッツ記者)の締めは次のような言葉だった。
《原子力の惨事は恐ろしいものだったが、想像していたほどではなかった。1年前に誰かが私に原子炉3基が同時にメルトダウンすると言っていたら、それは世界の終わりだと思っただろう。でも、今の日本は想像していたような終末の様相を呈していない。その代わり、ゆるやかな崩壊が起こっている。福島を3回訪問して1年前より放射能に対する恐怖は小さくなったが、日本に対する心配は大きくなっている》
この記事を読んでから「ゆるやかな崩壊」という言葉が引っ掛かっている。急激にではないが、徐々に「何か」が壊れはじめている。信用とか信頼とか目には見えない、これまで社会を支えていた何か。
安全といわれてもそれを信じない。
同時に危険といわれてもピンとこない。
そんな思考停止が世の中に蔓延しつつあるようにおもえてならない。
わたしもそうなってきている。
2011/12/25
鈴の音
……高円寺のショーボートで開催された「ギンガギンガvol.6」に行く。出演はペリカンオーバードライブ、しゅう&トレモロウズ、オグラさん。素晴らしかった。午後六時半から朝の五時まで飲んで、昼すぎまで寝る。
求道型というか、年月を重ねて、渋く巧くなるという方向性だけではなく、新鮮さや楽しさを追い求めたり、どんどん独特で変になったり(どのバンドがどうということではなく)、ミュージシャンにはいろいろな道があるなあとおもった。
*
文章を書くときに「伝えたい」という欲求と「考えたい」という欲求があるのだけど、今は後者の時期なのかもしれない。
「考えたい」ときの文章は、どうしても重くなりがちで、行き詰まりやすい。
でも行き詰まる経験を積み重ねることも、何かの足しにはなっている気がする。
*
二十代のころ、古山高麗雄さんの『身世打鈴』(中央公論社)を読んで、どんどんわからない、書けない方向に進んでいくような文章に魅了された。
《私たちは、過去を思い出しているつもりでいて、実は、思い出せないのかも知れないのだ。思い出せない状態が続くことで、過去は失われているのかも知れないのだ》
二十代半ば、仕事を干されて、まったく書いていなかったころ、古山さんは「そのときでないと書けないことがあるから、どんどん書いたほうがいいですよ」といわれたことがある。
《多かれ少なかれ、人は恰好づけなしに自分を語ることはできない。その恰好づけに誤謬や錯覚を加えて、人は自分を語る。身上話とは、しょせん、自分だけにひそかに聞かせる自慰的な詠歌である。しかし、恰好づけと思い違いに充ちた他人の自慰的な詠歌を懇切に聞いて、その詠歌の底で鳴っている鈴の音を聞きださなければならないのだと思う》
言葉の中に「鈴の音」を聞く、あるいは鳴らす。
この「鈴の音」は何なのか。古山さんは自問自答をくりかえす。
わたしもなんとなくそういうものがあるということしかわかっていない。
たぶん「鈴の音」は人によって聞こえたり聞こえなかったりする。人によって聞こえる「音色」がちがうこともある。
その日の体調や得手不得手によって「鈴の音」を聞き逃してしまうこともある。
三十代前半で音楽ライターの仕事を辞めたのも、自分の好きなジャンル、ミュージシャン以外の「鈴の音」を聞き取れなくなってしまったからだ。好きなものはどんどん好きになるのだけど、好きになれるものが狭くなってしまった。
自分には聞こえないけど、聞こえる人には聞こえる。批評は、ちゃんと「鈴の音」が聞こえる人が書いたほうがいい。
*
そんなことをうつらうつら考えていたら、前田和彦さんから磯部涼著『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が届いた。前田君が編集者の卵かそれ未満くらいのときから、ずっと著者の文章が好きだということを聞いていた。
第三章の前野健太評から読みはじめた。「鈴の音」が聞こえる人が書いた文章だとおもった。
言葉の奥に「静かな熱い問いかけ」がある。
それは「音楽」というジャンルにおさまり切らない、「人生」あるいは「世界」にたいする問いかけだろう。
二〇〇〇年代の音楽をほとんど通りすぎてきたわたしにもその問いかけは深く響いた。
求道型というか、年月を重ねて、渋く巧くなるという方向性だけではなく、新鮮さや楽しさを追い求めたり、どんどん独特で変になったり(どのバンドがどうということではなく)、ミュージシャンにはいろいろな道があるなあとおもった。
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文章を書くときに「伝えたい」という欲求と「考えたい」という欲求があるのだけど、今は後者の時期なのかもしれない。
「考えたい」ときの文章は、どうしても重くなりがちで、行き詰まりやすい。
でも行き詰まる経験を積み重ねることも、何かの足しにはなっている気がする。
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二十代のころ、古山高麗雄さんの『身世打鈴』(中央公論社)を読んで、どんどんわからない、書けない方向に進んでいくような文章に魅了された。
《私たちは、過去を思い出しているつもりでいて、実は、思い出せないのかも知れないのだ。思い出せない状態が続くことで、過去は失われているのかも知れないのだ》
二十代半ば、仕事を干されて、まったく書いていなかったころ、古山さんは「そのときでないと書けないことがあるから、どんどん書いたほうがいいですよ」といわれたことがある。
《多かれ少なかれ、人は恰好づけなしに自分を語ることはできない。その恰好づけに誤謬や錯覚を加えて、人は自分を語る。身上話とは、しょせん、自分だけにひそかに聞かせる自慰的な詠歌である。しかし、恰好づけと思い違いに充ちた他人の自慰的な詠歌を懇切に聞いて、その詠歌の底で鳴っている鈴の音を聞きださなければならないのだと思う》
言葉の中に「鈴の音」を聞く、あるいは鳴らす。
この「鈴の音」は何なのか。古山さんは自問自答をくりかえす。
わたしもなんとなくそういうものがあるということしかわかっていない。
たぶん「鈴の音」は人によって聞こえたり聞こえなかったりする。人によって聞こえる「音色」がちがうこともある。
その日の体調や得手不得手によって「鈴の音」を聞き逃してしまうこともある。
三十代前半で音楽ライターの仕事を辞めたのも、自分の好きなジャンル、ミュージシャン以外の「鈴の音」を聞き取れなくなってしまったからだ。好きなものはどんどん好きになるのだけど、好きになれるものが狭くなってしまった。
自分には聞こえないけど、聞こえる人には聞こえる。批評は、ちゃんと「鈴の音」が聞こえる人が書いたほうがいい。
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そんなことをうつらうつら考えていたら、前田和彦さんから磯部涼著『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が届いた。前田君が編集者の卵かそれ未満くらいのときから、ずっと著者の文章が好きだということを聞いていた。
第三章の前野健太評から読みはじめた。「鈴の音」が聞こえる人が書いた文章だとおもった。
言葉の奥に「静かな熱い問いかけ」がある。
それは「音楽」というジャンルにおさまり切らない、「人生」あるいは「世界」にたいする問いかけだろう。
二〇〇〇年代の音楽をほとんど通りすぎてきたわたしにもその問いかけは深く響いた。
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