土曜日、西部古書会館。初日。大型連休……は関係なし。仕事、時々、酒。日曜日、西荻窪Clop Clopでペリカンオーバードライブのライブ。ペリカン、二十年くらいライブを観てきた。平成最後のライブ(わたしにとって)。
仕事のあいまに橋本治の本を読み返す。『貧乏は正しい!』(小学館文庫)はすごい……というか、二十代のときにこの連載を読んでいなかったから、まったく別の人生を送ることになったとおもう。
《技術というのは、身につけることがしんどいだけではなくて、それを維持し続けるというのもまた大変なものなのである。そういうことを忘れると、かつては魅力的な技術を持って輝いていた人間も、いたって安易な“つまんない人間”になる。安易なものはつまんなくなって、つまんないものは、魅力をなくして、結局みずからの墓穴を掘るという悲劇だけが待っている》
この文章は一九九〇年代前半の若者雑誌(マンガ雑誌・グラビア雑誌)とその読者にたいする警鐘である。
橋本さんによれば、当時のライター(の多く)は“なんにも言えないでヘラヘラ笑っているやつ”に変わってしまったらしい。読者もそう。
《人間というものは、訓練というものを必要とする生き物で、言うべきことをさっさと、しかも簡単に言うなんてことは、ちっとやそっとじゃ出来ない。なかなか言えなくて、グダグダグダグダしているという状況をへて、それを克服して、やっとまともなことが言える人間になる。肝心なことをあっさり言うためには、「くどくどしか言えない」という危機状況を乗り越えるしかないんだ。そしてきみらの最大の悲劇は、この“訓練の段階”を奪われていることにある》
一九八九年にフリーライターをはじめたわたしは最初から危機に直面していた。書きたいものが書かせてもらえない。文章がヘタだったからというのもあるが、「(無名の書き手の)意見はいらない」という方針の編集者が多かった。今もそうかもしれない。
ライターとしては「内容はないけど、読ませる」というのは褒め言葉でもあるのだが、そんな文章ばかり書いていたら“なんにも言えないでヘラヘラ笑っているやつ”になってしまう。
二十代のころ、時代に適応せず(できず)、フリーターをしながら古本ばかり読んでいた。
ライター生活も三十年。「言うべきこと」を書けるようになったのか。
2019/04/25
香川にて
土曜日、新幹線で新神戸に行き、三ノ宮からジャンボフェリーで高松へ。ジャンボフェリー、値上げしていた。船旅、楽しい。桟敷席でごろごろしているうちに、港に着く。船で港に到着すると「旅をした」という気分になる。まったく疲れない。
高松は行くたびに好きになる。人も空間もどことなくゆったりしている。季候もいい。
玉藻公園に寄って、琴電で仏生山。仏生山温泉に入る。
翌日、丸亀の金毘羅街道、琴平界隈を歩く。丸亀に行くのは、はじめてだった。骨付き鶏をはじめて食べる。金毘羅街道、素晴らしい。古い建物がたくさん残っていて、あちこちに灯籠がある。
夜、本屋ルヌガンガで『些末事研究』を発行している福田賢治さんとトークショー。福田さんに難しい質問を連発され、答えに窮す。
「なぜ書くのか」という話になったのだが、自分でもわからないのだ。昔から書かないと頭の中だけで考え続けることができなかった。
「読者を意識するか」という質問もむずかしく、うまく答えられなかった。
福田さんは同世代で『思想の科学』の最後のほうに関わっていて、当時はすれ違いだったのだが、鶴見俊輔さんの影響を多大に受けたという共通点がある。
もともと福田さんは中央線沿線に住んでいて、高円寺の飲み屋で知り合ったのだが、四年ほど前に高松に移住している。
イベント中、しどろもどろになっている時間が続いたが、最後のお客さんの質問で自分のいいたかったことがすこしいえた気がした。
トークショーのあと、帰りの電車で読む本がほしくなり、橋本治著『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)を買う。帯の「追悼 橋本治」の文字を見て、あらためて橋本さんの不在を痛感する。
鶴見俊輔もそうだが、橋本治も百年、千年という大きな時間の幅の中でものを考えられる人だった。『鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは』(晶文社)に鶴見さんと橋本さんの対談が収録されている。初出は『広告批評』の二〇〇二年一月号。
打ち上げで酔っぱらう。終電がなくなり、瓦町から仏生山まで二時間ほどかけて歩いて帰る。LEDライトが役に立つ。
翌日、JR高徳線で引田、それから徳島港に行き、南海フェリーで和歌山へ。フェリー+和歌山港〜なんばまで二千円の切符がある。大阪の梅田街道をすこし歩き、新大阪から新幹線で東京に帰る。
高松は行くたびに好きになる。人も空間もどことなくゆったりしている。季候もいい。
玉藻公園に寄って、琴電で仏生山。仏生山温泉に入る。
翌日、丸亀の金毘羅街道、琴平界隈を歩く。丸亀に行くのは、はじめてだった。骨付き鶏をはじめて食べる。金毘羅街道、素晴らしい。古い建物がたくさん残っていて、あちこちに灯籠がある。
夜、本屋ルヌガンガで『些末事研究』を発行している福田賢治さんとトークショー。福田さんに難しい質問を連発され、答えに窮す。
「なぜ書くのか」という話になったのだが、自分でもわからないのだ。昔から書かないと頭の中だけで考え続けることができなかった。
「読者を意識するか」という質問もむずかしく、うまく答えられなかった。
福田さんは同世代で『思想の科学』の最後のほうに関わっていて、当時はすれ違いだったのだが、鶴見俊輔さんの影響を多大に受けたという共通点がある。
もともと福田さんは中央線沿線に住んでいて、高円寺の飲み屋で知り合ったのだが、四年ほど前に高松に移住している。
イベント中、しどろもどろになっている時間が続いたが、最後のお客さんの質問で自分のいいたかったことがすこしいえた気がした。
トークショーのあと、帰りの電車で読む本がほしくなり、橋本治著『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)を買う。帯の「追悼 橋本治」の文字を見て、あらためて橋本さんの不在を痛感する。
鶴見俊輔もそうだが、橋本治も百年、千年という大きな時間の幅の中でものを考えられる人だった。『鶴見俊輔対談集 未来におきたいものは』(晶文社)に鶴見さんと橋本さんの対談が収録されている。初出は『広告批評』の二〇〇二年一月号。
打ち上げで酔っぱらう。終電がなくなり、瓦町から仏生山まで二時間ほどかけて歩いて帰る。LEDライトが役に立つ。
翌日、JR高徳線で引田、それから徳島港に行き、南海フェリーで和歌山へ。フェリー+和歌山港〜なんばまで二千円の切符がある。大阪の梅田街道をすこし歩き、新大阪から新幹線で東京に帰る。
2019/04/18
連休進行中
火曜日、新橋で取材(インタビューを受ける)。
そのあと日比谷公園を通り、東京メトロの霞ヶ関駅から丸ノ内線で新高円寺駅に帰る。地下鉄だとJRより百円ちょっと安い。
東京はすこし歩くと交通費が安くなるルートがたくさんある。これまでは百円ちょっとの差なら最短ルートを選択しがちだったが、街道歩きをはじめてからは遠回りが苦にならなくなった。というか、むしろ楽しい。
何年か前に猪瀬直樹が都知事だったころ、東京メトロと都営地下鉄の料金を一本化する案が浮上していたのだけど、あの話は流れてしまったのか。一本化されたら、都内の移動がずいぶん楽になるのだが。
それからいつの間にかJRの回数券が新幹線の切符と同じサイズになった。これは改悪だとおもう。
連休進行(出版業界では大型連休前はしめきりが一週間くらい早まる傾向がある)。仕事中、一球速報でヤクルト阪神戦をチェック。延長十二回引き分け。両チーム勝ちの譲り合い。疲れて仕事にならず。目先の勝ち負け、順位に一喜一憂せず、淡々とペナントレースを楽しめればいいのだが、それができない。
そのあと日比谷公園を通り、東京メトロの霞ヶ関駅から丸ノ内線で新高円寺駅に帰る。地下鉄だとJRより百円ちょっと安い。
東京はすこし歩くと交通費が安くなるルートがたくさんある。これまでは百円ちょっとの差なら最短ルートを選択しがちだったが、街道歩きをはじめてからは遠回りが苦にならなくなった。というか、むしろ楽しい。
何年か前に猪瀬直樹が都知事だったころ、東京メトロと都営地下鉄の料金を一本化する案が浮上していたのだけど、あの話は流れてしまったのか。一本化されたら、都内の移動がずいぶん楽になるのだが。
それからいつの間にかJRの回数券が新幹線の切符と同じサイズになった。これは改悪だとおもう。
連休進行(出版業界では大型連休前はしめきりが一週間くらい早まる傾向がある)。仕事中、一球速報でヤクルト阪神戦をチェック。延長十二回引き分け。両チーム勝ちの譲り合い。疲れて仕事にならず。目先の勝ち負け、順位に一喜一憂せず、淡々とペナントレースを楽しめればいいのだが、それができない。
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