一週間があっという間にすぎる。時間が経つのがはやくかんじるというのではなく、一週間という時間の中で「自分はたったこれだけのことしかできないんだ」という気分もある。
今週、連載の原稿を二本、短い書評を一本書いた。仕事の打ち合わせもした。誇れるような仕事量ではないが、以前と比べれば、これだけずいぶん働いている。そのあいだ、何冊かの詩集と漫画を読み、夜はラジオでプロ野球のナイターを聴いた。二日、外で酒を飲んだ。神保町にも行って、新刊書店と古本屋をまわった。
食事はほぼ自炊、二日に一度くらいのペースで洗濯もした。ゴミもちゃんと出した。
そんなかんじで一週間がすぎて、一ヶ月がすぎ、一年がすぎてしまう。
今年の秋で四十五歳になる。あとどれくらい仕事ができるのだろう。遊べるのだろう。高円寺で暮らせるのだろう。
東日本大震災から三年半、そして9・11同時多発テロから十三年——。十三年前でさえ、ついこのあいだのことにおもえたり、三年半前がずいぶん昔のことにおもえたりする。
十三年前といえば、わたしは独身だった。高円寺にいて、今と同じくフリーライターをしていた。
それからいろいろ本を読んだり、おもしろい人と会ったり、世の中のこともすこしは考えたりしてきたけど、「何もできないわけではないが、できることは限られている」という実感は深まるばかりだ。
震災後しばらくは都内でさえ、原発事故の影響がどのくらいあるのかわからなかった。
今でも、確信をもって安全だといいきる自信はない。大きな震災と原発事故が起きても、日本は世界有数の豊かな国であり、治安に関してもかなり恵まれた国である。水や食べ物だって、安全なほうだろう。
でも今後はわからない。人口が減って、地方の過疎化も進み、今より格差は広がっていくだろう。
自分の仕事もどうなるかわからない。出版界がどうなるかもわからない。
ここ数年、わたしが理想の暮らし方としておもいえがいているのは「半農半筆」の生活である。
半農の「農」の部分は別に「農業」でなくてもいい。収入の半分くらいを別の仕事で稼ぐことができれば、今の仕事が半分になってもどうにかなる。
逆に収入が半分になるかわりに、仕事の時間も半分になって、残りの時間でいくらでも副業してもかまわないというオプションがあれば、そういう働き方を選ぶ人もいるとおもう。
ひとつの会社、ひとつの職種をまっとうする(依存する)という道だけでなく、もうすこしいろいろなことをしながら適当に食べていける道があってもいい。
そのためにはもうすこし「身軽」になる必要もある。
どうやって身軽さを保つかという問題もある。