日曜日、雑司ケ谷のみちくさ市に行く。これまで副都心線をつかっていたが、JRの目白駅から歩いていくほうが楽だし、安く行けることに気づく。
野球本を何冊か買って、池袋の往来座に寄る。『詩人 石川善助 そのロマンの系譜』(萬葉堂出版、一九八一年刊)などを買った。帰りはリュックが重くなる。
石川善助は、仙台出身の詩人。一九〇一年生まれ。職(藤崎呉服店など)を転々とし、二十七歳で上京。生活苦に陥り、三十一歳のときに草野心平の家に移り住む。草野心平の焼鳥屋の手伝いをしていたこともあった。
一九三二年、電車が通ったときの風によろけて下水に転落して命を落とし、没後、詩集が一冊刊行された。
わたしは石川善助の詩のよさがよくわからない。でも、友人知人に送っていた手紙はおもしろく読んだ。
仙台の明治製菓売店で働いていたころ、友人の郡山弘史に宛てて書いた手紙――。
《永い永い間ほんとうに字を書かなかつた。書けなかったのだ。今日も疲れてゐる非常に。(中略)僕は思ふ、僕のくだらない日々の徒労を悲しく思ふ僕の感情と仕事の貴さをわからない社内の人間等が多く如何にあることよ、僕は毎日会社にとまつてゐる、朝は七時から店先のセイリと会計をやる、ひるは雑務(帳面をつけたり、算盤をおいたり)よるは喫茶部へ出て大理石の台の前でコーヒーやレモンテーを出したり、入れたり、新吉の皿皿皿皿の詩があるだろうバケツの中で皿もあらふよ。(中略)でもねむれない、詩を思ふ、友を思ふ、僕を思ふ、僕はいまこの手紙を泣いて書いてゐるのだ、泣いて書いてゐるのだ、兄よ昨年兄とRと僕が一緒に東一番町のカフェーでアイスクリームをたべた時を思ひうかぶのだ》
行間から、ダメなかんじがにじみでている。愚痴っぽさがすごくいい。そのまま詩になりそうだけど、石川善助の詩は、そういう詩ではなかった。もったいないけど、しかたがない。
この日の夜は、西荻窪北口のテキーラ専門店フリーダでミックスナッツハウスと金沢のミュージシャン杉野清隆さんのライブ(口笛ふいてやっておいで vol.10)を見た。いいライブだった。酒もうまかった。