今年の六月でライター生活二十五年になった。
はじめて仕事をしたときは東武東上線の下赤塚(板橋区)の四畳半の寮に住んでいた。当時は専用電話もFAXもなかった。
最初の原稿料で六行しか表示されない東芝のルポというワープロを買った。食っていけるかどうかはわからなかったが、ライターを一生の仕事にしたいとおもっていた。そのために何をすればいいのか、二十五年経った今でもよくわからない。
どんな仕事もそうだとおもうが「続けよう」という意志は大切だ。でもそれだけでは続けることはむずかしい。
調子がよくなかったり、仕事がぱったり来なくなったりしても、どうにかふみとどまる。最近はわるいときはわるいなりに六回三失点くらいでまとめることを心がけるようになった。
そういう技術を身につけるまでがけっこうたいへんだ。
ライターの仕事にかぎっていえば、決められた枚数の原稿を決められた期日までに仕上げるという技術がある。
最初のころは一回一回の仕事でどのくらいの時間がかかるのかまったくわからなかった。今はおおよその目安がわかる。
その目安がわかると、月々の予定が組めるようになる。
自分のまわりのフリーランスも「何でもやる派」と「できないことはしない派」がいるけど、そのあたりは自分の適性に合わせるしかないとおもう。
こういうことは「続いたほうが正解」なのである。
量をこなして形にする。
それしかない……というのが、零細自由業四半世紀の結論、いや、仮の答えだ。
量をこなさないと身につかない技術もあるし、身についた技術を維持するためにはそれなりに量をこなさないといけない。
当たり前だけど、頭の中でどんなに傑作を書いても、誰にも伝わらない。
作って見せて恥をかく。やらなきゃよかったとおもうこともたくさんあるけど、それも経験だ。
もうすこし早くそのことに気づいていたらよかったのだが、あり余る時間を浪費してしまった。
(……続く)