こんな仕事、こんな生活をいつまで続けられるのか。
そのおもいは二十五年前も今もある。この先もそんなふうにおもいながら生きていくことになるのかもしれない。
二〇〇一年、三十代のはじめごろ、アパートの立ち退きでずいぶん本を売った。五十冊くらい入ったダンボールを七十箱。あとレコードとCDも半分くらい手放した。
その後は買って売ってのくりかえしなのだが、それでも本は増える。
新聞や雑誌の切り抜きも増える。
量の制約がある中でどこまでやれるか。
高円寺で生活することを選択した以上、この問題は避けられない。
四十代以降は、時間の制約もシビアになる。体力は衰えるし、疲れもとれにくくなる。
ほんの十年ちょっと前まで、一冊の本を探すのにものすごく時間がかかった。今はインターネットで検索してひっかかれば、翌日か翌々日には本が届く。調べ事も楽になった。
ぼんやりしたり、なんてことのないことを考えたりする時間がほしい。そういう時間がいちばん贅沢なのではないかと気がしている。
効率よく資料を揃えて、短時間で仕事を片づけることができても、なんだかなあとおもう。
家事でも仕事でもなるべくゆっくりやりたいのだが、気持に余裕がないとそれができない。
どうやって食べていたのだろうとおもいながら、寡作で遅筆の作家や漫画家の作品を読む。
(……続く)